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2011.08.31 Wednesday

ドイツの報道

 ここに1本のビデオがあります。
また削除されてしまうかもしれませんがアップします。
なるべく沢山の方に観ていただきたいです。

福島原発に関してドイツから見た日本の対応
そして、ドイツのジャーナリストが見た日本の現実。
かなり心は痛いです。

けれどこの報道を知るべきだと思います。

「どうしたらよいか誰にもわからないし
簡単に答えもない」

「これは人類史上最悪の事態だと思う」
この言葉が、ずっと心の中に渦を巻いています。
2011.08.28 Sunday

塀の中の中学校を観る

昨日…テレビを付けたら、いきなり始まったテレビドラマ。
何だかちょっと気になって録画ボタンを押しておきました。

それが「塀の中の中学校」
何の先入観もなく、最初の数分は見逃したけど…。
素晴らしかったです。


色々別の用事があったので、家族が寝静まった夜中に
ひとりでゆっくり鑑賞しました。

久々に泣きました…。

少し心が軽くなった。温かいもので満たされたというか…。

ネットで調べてみたら、この作品は平成22年度文化庁芸術祭参加作品。
そして今年の6月に「モンテカルロ・テレビ祭」で
最優秀作品賞のほかに、異例のふたつの賞を取っているドラマだという。

昨年の10月に放映されていたらしいけど、気づきませんでした。
そして、震災後3ヶ月での数々の受賞も…私の目には留まりませんでしたが
ちゃんと見たいときに、見たいものと出会えるのは、私の特技かも…(笑)

あれこれと感想を書く気にはなりません。
DVDにもなっているようなので是非ご覧ください。

人生のこと、夢のこと…生きること、死ぬこと…
いろんなものがいっぱいに散りばめられている内容の濃いドラマでした。
それに、出演者の方々…すごい役者さんばかりが揃っている贅沢なドラマ。

それにしても大滝秀治さん…元々大好きな役者さんだけど…85才…
今なお現役で、ただただ素晴らしい!感動しました!


夕べはそのまま眠ってしまいました。
なんだか久々の休日モードです。

そして今朝は
セロリときゅうりとミョウガの浅漬け
きんぴらと納豆で健康的な朝食を作って
午前中から仕事をしています。

そうそう、今日載せた写真はドラマとは一切関係がありません。
昨日の散歩のときに撮ったものです。

ネタバレかもしれないけれど、先生役のオダギリジョーさんの夢は
カメラマンになること…。
ドラマの伏線で、それがなかなか深い奥行きになっています。



昨日は何だか足下ばかりを撮影していました(笑)
でも、ちょっと散歩熱に火がついたようです。
この仕事にけりがついたら、またウォーキングを再開したいな…と思います。
2011.08.27 Saturday

朝の散歩

我が家から歩いて2分の公園。
お天気は曇り…でも散歩にはちょうどいい…。
いつもは手ぶらだけれど、今朝はカメラを持って家を出ました。

一晩中雨が降っていたせいで、空気はひんやりと冷たくて気持ちがいい。
休憩用の東屋の屋根に鳩が沢山群がっている。
カメラを持って来て良かったな…。



大好きなベンチ…ちょっとごついところがまたいい。
昼間だといつも必ず誰かがお弁当を広げたりしているけど…。
この時間にはまだ誰もいない…。

今日は、どうしようもないニュースを読んで、ちょっと落ちてしまった心を抱えている。
そのニュースはこれ。

どうにもやりきれない。
いつもの朝。
何も変わらない公園。
それが一瞬で、危険地帯にもなるってこと…考えながら歩いた。


私は自分にパワーがないと感じた時、時々この公園の大きな木の幹に手を当てる。
イメージなのか、現実なのかわからないけれど
命の音が聴こえるような気がするの。

今日は少し違った。

震災から1ヶ月が過ぎた頃…
「毎朝、目が覚めるたびに、いつもと同じ故郷が目の前に広がっている
…毎朝必ずそう思うんです。そして、毎日そうじゃなかったと自分に言い聞かせながら
暮らしています。時は止まったままです」

インタビューに答えていた被災地の方の言葉が走馬灯のように蘇って来た。


鳩の足って真っ赤なんだね。
それもとても鮮やかな赤。

そういうことを人は同時に思ったりする。
そういうことが全部、ひとつの心のなかに詰まっている。

…気がついたら1時間は軽く過ぎていた。


じゃぶじゃぶ池…懐かしいな。
息子が小さなとき、何度か来た。

原発周辺の子どもたちみんな…完全に除染がすむまで
安全な場所で、暮らして欲しい…。

震災後…子どもたちの笑顔に、沢山のカメラが向いていた。
けれど子どもたちがどんなに笑っていたとしても
たったひとつしかない心の中には
不安感が消えないままに残っている。


それもこの先何年も…ひょっとしたら一生…

大きな羽音を立てて、沢山の鳩がいっせいに、空に向かって飛び立った。
何度も繰り返し見て来た風景だけれど…
私の頭の中で考えていることは、まるで違っている。

やっぱり原発は、ひとつずつ丁寧に処理をして
少しでも早く、止めなくてはならない…。

2011.08.26 Friday

秋刀魚の季節

 確か去年の秋に…買って来たばかりの秋刀魚を猫に盗られた話を書いた記憶があるけど
覚えていらっしゃる方はいるかしら?(笑)

その張本人に、今朝、会いました(笑)
長年すみついているこの猫とは、しょっちゅう顔を合わすのだけど…

今朝はいつもと違って、私が扉を開けたとたんに目が合って…
しばらくの間、お互いに相手の様子を窺って、しばしにらみ合った(笑)

そしてその猫は予想外の行動に出たの。

丁度カメラを持っていたので、ファインダーを覗き込んだら
何と、道ばたに座って、ポーズを取ってくれた。
大サービスじゃない!
なんだか感動!何もおいしいものを持っていないことにちょっと気が引けたけど。
パチリ!


結構長い時間…ただまっすぐに私を見ていた。
「そうか…今は秋刀魚が旬だものね。今夜当たり買って来ようか…」
私はシャッターを切りながらそんなことを考えていました。
何枚シャッターを切っても、微動だにしない。

そんな奇跡のような時間は、突然やって来たバイクの音に中断されてしまったけど
すずめちゃんは、軽やかな足取りで、トラックの下に潜り込んで、まだこっちを見ている。

そうそう…誰が名付けたのか…
いつの間にかみんなで「すずめちゃん」と呼んでいる猫なのです。

毛並みも色つやも良くて…とても美しいと思った…。

だけど…もしかしたら、二代目かも…?
よく見ると、シッポはまあまあ長い。
初代のすずめちゃんは、確かシッポが短かった…。
それにこんなに穏やかじゃなかったし。
とてもとても写真なんか撮らせてはくれなかったし…。

初代のすずめちゃんが喧嘩が強いと言う話は風の噂で、いつの間にか知っている。
「あの猫は気性が荒いから気をつけて…」
毎晩この辺りの猫にえさを届けている方に、注意されたこともあった。


やはり、若い…。
…でもそっくりだ〜〜子どもかもね。

以前その初代、すずめちゃんといつも一緒にいた猫がいた。
とても品の良い薄いグレーの長い毛を持っていて
きっと由緒ある猫に違いない…そんな風格を感じたけど…。

私は何度か我が家の敷地で、すずめちゃんがその猫に腕枕をしているシーンを
目撃したことがあるの(笑)何だか痛々しいほど献身的に見えたけど…

ある日ご近所の「猫通」の方に聞いたら
二匹とも雄だという…。
猫にも、人間と同じくらいなかなか複雑な人生(猫生)が用意されているらしい…。

けれどそうしてみると、この猫は一体誰の子どもなんだろう…(悩む)

今夜は秋刀魚かな…。
もちろんこの猫の分も買って来よう…。
塩焼きがいいか…新鮮な生がいいか…

そこもかなり悩むところではある。

2011.08.24 Wednesday

写真

 

ガラス越しに、ムクゲの花がぼんやりと映っていました。
丁度手元にカメラを持っていたので、シャッターを切った。
このところ、写真が面白い。
ブログやFBで写真が必要になって…以前は携帯で撮っていたけど
最近簡単なカメラを買って、いつもバッグに入れてあるの。

生活にメリハリを持たせるのは案外簡単なことかもしれない。

そのカメラは、今まで私が捉えていなかったものに向かって
違う視点で、ものを見せてくれる。



これは一体なんでしょう(笑)

キッチンに置いてあるシリコンでできた鍋敷き(笑)



これは二枚の写真を合成してみました。


毎日使っているドアの取っ手。


床も支えてくれるし
壁も守ってくれる。
思えばみんな…それぞれの役目を一生懸命に果たしてくれている。

ムクゲも、集中豪雨に打たれたり、突風にあおられたりしながら…。

また揺れはじめている地震列島。

家も一生懸命立っているんだと…思った。
2011.08.22 Monday

迎え火 送り火

お盆休みは終わったけど…まだ続きのお休みのような週末でした。

今年のお盆…迎え火も送り火も…特に何もしませんでした。
子どもの頃は、毎年、ナスやキュウリで馬や牛を作り
お迎えは早く、送るのは遅く…と唱えていた記憶がぼんやりと残っています。

今年は震災で亡くなった方…いまだに行方不明の方…
その方たちの新盆…
跡形もない故郷への道のりはきっと切なかったでしょう。
…いまだに放射能汚染で、立ち入り禁止区域が沢山ある現状では
迎え火や送り火だけが頼りかもしれませんね。

…今年が新盆の人が私の身近にも数人…。
お盆休みには、そのひとりひとりの方のことをゆっくりと思い出していました。
何故か、ふと気づくと…そんな方たちの好物を作っていたりします。
それがたぶん私のお盆…なんでしょう。



落ち込んでばかりでもいられないと
つい先日…スタッフにリクエストをして、カレーを作ってもらいました。
それは超本格的なカレーです。ずっと忙しかったのと(まだ忙しいけど)
どうしてもたまらなく食べたかったもの…。

とても元気が出る味です。
実際はここにパクチーを山ほど乗せていただきます。

彼女のカレーは、どんな専門店にも負けない素晴らしいバランス。
スパイスが効いているけれど、どのひとつが足りなくても成立しないような
絶妙なバランスです。
でも出来上がったとき、実は私は口内炎で(笑)一気に食べられなくて
悔しかったの(笑)
…で、ようやく治った昨日…死守していたカレーを存分に味わって食べました(笑)
美味しかった〜〜。

私は余り口に出さないけど、このカレーをはじめて食べた時から
その人のことを思い出していました。

私の家は実はインドと馴染みが深くて…祖父も祖母も叔父も母も
何度かインドに渡っています。
残念なことに、私はまだ行ったことはありませんが…。
子どもの頃は、よくインドから日本に来ている子どもたちと
遊ぶ役を任されたりしました。

一緒に絵を描いたり、折り紙をしたり…。
竹細工の勉強に来ていたインドの留学生も…家の近所にいて
毎週我が家に遊びに来て、彼が作るカレーを何度も食べました。
片言でしか通じ合えなくても、絵は言葉と同じです。
味も…共有できるものです。

縁は不思議です…ひょんなことから知り合ったインドの方。
彼はもうこの世にはいません。
でもはじめてこのカレーを食べたとき、絶対にお好きだろうな…と
直感的に思ったのです。

ミルクティーやジンジャーティーも…その人を思い出します。

私の父方の家はお寺なので、実はみんな宗教家の方たちです。
私は特定の宗派には全く属していませんが
自然に感謝すること、食事は薬膳…そんな基本的な考え方を
知らず知らずに学んできました。


これはパセリのサラダ…FBの友だちに教えてもらいましが…
いきなり思いついたので、食材が揃わなくて…ちょっとアレンジ。
レモンを丸々1個絞って入れるので、とてもさわやかな味です。

次はちゃんとレシピ通りに…。

私はなるべく1日に一度は生のタマネギを食べます。
オニオンスライスやサラダに入れたりして…。
そして、お肉やお魚よりも、何倍もの野菜を使うメニューにこだわります。

…で、こんな一品も。
薄切りのハムとフレンチドレッシングで和えたタマネギを山盛り。




今朝の東京は雨が降っています。
私は帰り遅れた魂がいないかと、少し耳を澄ませています。
魂が還る道はいったいどこにあるのでしょう…。

剃髪した祖母の口調で
「泣いても一日…笑っても一日」とつぶやいてみました。
何も案ずることはないと言っているような気がしました。
その祖母は百才の長寿を全うしてこの世を去りました。

私の人生の中でも特に途方もなく長かったこの数ヶ月…
お経のひとつくらい覚えておけば良かったかな…。
ふとそんなことを思いましたが…何故か私は、子どもの頃からひたすら
ゲーテを暗唱することに熱心でした。

「谷の上 流れの空を静かに陽の車輪(くるま)が渡ります。
ああ朝ごとにそれを仰げば、あなたと同じ悲しみが胸の底から湧き出ます」

…ミニヨンに寄せてある少女の歌えるより…

もしかしたら文字は間違っているかもしれません。
この詩は結構長いのですが…何百回も読みました。
被災地の方たちに心から捧げたいと思います。

2011.08.15 Monday

東日本大地震 チャリティーLIVE 生中継です!

もうすぐはじまります!↓こちらはニコニコ生放送

そしてこちらはUSTREAM!私のMacでは
上のニコニコ動画の方が、スムースに映ってます!音もいいです!↑



Free live streaming by Ustream
2011.08.13 Saturday

練馬区立美術館…グスタボ・イソエ展を観る

 そのイワシのポスターは衝撃的でした。
磯江毅…という画家のことを、私はその日まで全く知らなかったけれど…。

写実とは…そんな常識も完全にひっくり返された
とてもワクワク、ドキドキする作品展を、今練馬区立美術館で開催しています。


息子は、この方の鮭の絵を良く知っていましたが
実際に観るのと、知識として持っていることとは全く違います。
板の上に描かれているけれど、不思議な世界です。
ここから先は是非ご自身の目でお確かめください。

彼は高校を卒業後、美大へ進まずに、ヨーロッパで絵の勉強をしたという。
すぐにスペインに渡ったという記述を読みながら
私が生きてきた時間と重なってきました。ほとんど同世代です。
年表を見れば、1954年生まれ…びっくり!!
遺作展と言うので、もっと昔の人かと思ったけれど
惜しいことに2007年…彼は53才と言う若さで、この世を去りました。

彼が残した作品は100点余り…そのどれもが完璧な完成度と強い力を放っています!
そのなかの80点が一挙に公開されています。
…行って良かった!


私は評論家ではないので、難しいことを言うつもりは毛頭ありません。
けれど、彼の絵を観た瞬間から…私は彼の生きて来た人生に触れたような気になり
その絵の持つ温かさと、観客との距離のなかに日本人特有の美学のようなものを強く感じました。

1974年…彼はまだ10代の若さで、ヨーロッパに渡り
そこからの人生は、彼の残した絵のなかに雄弁に語られています。
海外への道は、まさに大きく開かれてつつあった時代だと思うけれど
この決断はとても大きかったと思います。

初の個展は、24才のとき。その個展は大成功に終わり
同じ年に出品したサロン・デ・オトーニョにて、2等賞、数年後には1等賞を取っています。
数々の輝かしいステージは彼の目の前に次々と現れ、若くして巨匠の仲間入りを果たし
日本とスペインの二つの国を行き来しながら、時代に迎合することなく自らの道を貫いた精神力にはただ脱帽。

同世代として同時に過ごして来た時代の変化と断片と向き合いながら
異国の地で黙々と画面に向き合う日本人画学生の横顔は、厳しい表情だったに違いありません。
表現と真っ向から向き合って来た人生。そんな人生が垣間見えて
所々に、彼を支えて来た奥様の興味深い記述も…。

ぶどうやパン…野菜や食材…彼がモティーフに選ぶものは決して特別なものではなく
誰もが馴染んでいるもの…そこに光を当てて行く…。

私は彼が迷いもなくまっすぐにその1本の道を歩いたことを感じるけれど
…それはこの時代に日本にいたら可能だったか…そんな希有の人生も感じました。

日本では、自分が誰なのかを、それを早いうちに発見することができるのは難しい。
まして高度成長期の日本は、経済がすべてという価値観に支配されていました。
同世代を生きてきて、全うすることの難しさに何度も感じた壁…
日本がなくしてしまったものが、生き生きと迫ってくるのはとても嬉しかったです。


彼のモティーフには、「生もの」も多いの。
同じサイズのぶどうやうずらを、何度も何度も取り替えていくらしい。
同じ場所に同じ形に置く…それも慎重に…。

1枚の絵にかける時間も長いものは2年とか…。
未完のまま…という絵も展示されています。
完成作品には一分の隙もないのに、未完の絵には、それが確かに絵だった…というのを
思い出させてくれます。

写実…とは何でしょう…。
私はこの作品と向き合いながら、そんなことを思いました。

判れば判るほど…知れば知るほど…自分が何も知らないことにいつも気づかされます…。

油彩も多いけれど、特殊な画材。板にジェッソ、鉛筆、水彩…この謎の組み合わせ…。
ジェッソは何度も塗り重ね、磨いているんだろうか…

彼の絵の特徴のひとつに、画面の汚れがあります。
知らず知らずにできたテーブルのしみ、欠け、細かい傷などが克明に描かれていますが
磯江氏自身の経歴報告書のなかに、興味深い記述があります。

日本の石膏デッサンとまるで違う方法をマドリードの美術学校で学んだと…。
それは、いつか試してみたいと思います。


私は今まで写実…という世界には余り馴染みがありませんでした。
どちらかというと、そこから少しでも離れたものに憧れて来たのかも。
時代もそうだったかもしれない…
けれど彼は徹底的に目の前の現実を見つめながら
その存在の持つ神秘を描ききろうとしていました。
静かな作風は、完璧すぎると時に個性を失いかねないけれど
その壁を見事に打ち破っている彼の世界のなかに迷い込んだ私は
ごく自然に画面にどんどん引き込まれそうになりました。

見れば、みんな鼻がくっつくような距離で細部を凝視…。
セーターの編み目や、髪の1本1本や、シャツの縫い目…
その表現は、魔法のようです。

ただそこにあるものがある…。

すべてを超えてただ…。

ふっと、何かに頭を殴られたような気になりました。

時間に追われているといつの間にか見えなくなるもの…。
それが、厳然として目の前に現れているのです。

この展覧会は10月2日までです。まだまだ期間があるので
期間中にもう一度足を運びたいな。

…そして10月22日から12月18日までは
奈良県立美術館での展示も。
是非皆様…この作品に直接お会いください。
とてもとても、素晴らしい作品展です!

昨日…厳密にはおとといかな…
震災から5ヶ月が過ぎました。…今日の特別番組で改めて震災からの日々を
もう一度…たどりました。

この震災が私たちに問いかけているものは…どう生きるか…
それに尽きるような気がしました。
グスタボ・イソエの作品展に出会い、頭を殴られたような気持ちになって
改めて、毎日を丁寧に生きよう!…心から…そう思いました。

2011.08.10 Wednesday

緑色の風景



暑い日が続きます。
今日は皆様の目に涼しい写真を特集します。

ブログやFBに写真を掲載するようになってから
カメラは必需品になりました。
私の身近なものばかりですが…「涼」を感じていただけたら…と思います。



これは二十年ほど前にパリの蚤の市で買った、手描きのガラスの小物入れ。
とても静かなものだけど。ファインダーをのぞいたら光が入って
美しい写真になりました。
確か定価は二万円くらいだったけど、半額に値切りました(笑)
写真では大きく見えるけど、手のひらに乗るくらいの小さなものです。
コットン入れかな…。


これは群馬のアトリエのそばの空き地…緑が余りにもきれいだったので
何気なくシャッターを押しました。


黄緑色のあじさい…。
我が家に来て4年目の夏です。


お抹茶と羊羹…カボの疲労回復用…。
アフタヌーン・ティーです。
緑色の風景…まだまだ色々ありますね〜〜。


これは群馬の神社へと続く道…両側にもみじがびっしり。
昼間でも、木漏れ日がうっすらと…。
夏もこの道に足を踏み込むと冷やりとした空気に包まれます。
私のパワースポットかな…(笑)
大好きな道です。


2011.08.07 Sunday

広島の原爆投下に思うこと


朝から出かけることは1年に1度くらいでしょうか…。
金曜日、ほとんど眠らずに出かけたら、完全時差ぼけ状態になりました。
昔なら、眠らないで解消したのに、最近はひたすら眠らないと解消しない(笑)
昨日は何度か起きて食事を取っては、また寝る…を繰り返して
ようやく復活。

重く感じていた身体にようやく力が戻ってきた感じです(笑)

金曜日…私は震災以来はじめて…群馬のアトリエに行きました。
ずっと気にしていたんだけど、とても動ける状態ではなくて
地震の影響も心配でした。

いくつかの引き出しが開いていて、大事にしていた栗の木で作ったお茶筒が
棚から落ちていました。
お気に入りのティーカップもひとつ床に転がっていましたが
その他は無事。ホッとしました。

周り中が緑に囲まれたその家は、数年前に縁あって購入。
少しずつ直して、好きな花を植えたりして
いつの間にかすべてが私色に変わっています。
車で1時間半もあれば行ける場所なのに、日々追われていたので
かなりのご無沙汰です。

カボスタッフ全員で移動。まずはあちこちに風を入れて大掃除。
あっという間にすっきりとした家の中で
途中で買った大きなスイカや桃をほおばりました。

今年は寒かったせいかな…
もうすっかり終わっていると思っていたあじさいが
見事に咲き誇っていました。


これはドライフラワーにすると素敵なんだ!
植えた時はひょろりとした一本の鉢植えが、大きな株に育ちました。
両手に抱えきれないほど切っても、まったく切ったように見えない。
植物の生命力には本当に驚かされます。

…そして昨日…寝不足がたたって、起きられない(笑)
そしてFBで私のページにリンクされていたオランダのOrigaさんの言葉。
それから石巻のユーリさんからのコメント。
「ああ、今日は広島に原爆が落とされた日…」

そんなことを思いながら、またベッドに逆戻り。
心の奥に私は、とても大切な忘れ物をしているような気になって…
そう…この日のことは絶対に忘れてはいけないのだと自戒を込めて思いながら
ウトウト眠りました。

私はずっと、こういうことを書かずにきました。
けれど今回は…今回こそ書かなければならないと思っていたの。

我が家では終戦記念日が近づくと、母から沢山の戦争の話を聞くのが
子供の頃からの、当たり前の行事でした。
たぶんこれから、8月15日までの間に、きっと母の心の内側に
触れる日はあるでしょう。

戦争体験者の心の中には語っても語っても語り尽くせないものが残っています。
私の家の中に、まだその現実が残っていること…
時には煩わしく思ったりしたこともあったけれど
今はそれがどんなに貴重な話なのかに思い当たっています。


世界で唯一の被爆国の日本が、今また放射能の汚染に悩まされている今。
けれど日本人の我慢強さ…ふとそんなことに想いを馳せています。

海外の方に接すると、その話はいつのまにか広島、長崎の原爆の話に及びます。
原爆の投下が世界に与えた影響は計り知れないものがあります。

けれど日本人の心は複雑でした。
敗戦後の日本は大きく変わりました。
戦後の高度成長期の日本は、そこに横たわる大きな犠牲を超えて
発展し続けました。

それは我慢強さ…のように見えるし
日和見のようにも思えます。
そのすべてをバネにして、日本は経済的に大きく発展していきました。

同時に危機意識も薄れて、世界一安全な国…という勝利をも勝ち取ったのです。
温厚で平和で勤勉な民族…それが日本人の誇りとも言えるでしょう。

けれどその価値観が、足下から崩れようとしています。
福島原発の事故は、日本だけの問題ではなく、世界へと波及する
問題になっています。
まだまだ予断を許さない状況が続いています。
今は国内の食料の汚染に留まっているけれど、海の汚染の現実はまだ
見えてきていません。

そして福島原発の事故の日本の立場は、被害者ではなく、世界から見れば
日本こそが加害者だとも言えると思います。
友好的だった世界のメディアは、もうそれに気づいています。

あの事故の直後は、日本はすぐに見事に事故を収束していくだろう…
そして今後の原発事故に対する模範ともなるような行動を起こすだろう…。

そんな期待は世界中に…そして国内にもあったような気がします。
もちろん、現場の方たちは強い責任感で次々と起こる難問に向かって
ひるむことなく、対応してきましたが、指揮系統が乱れ
軋轢も生じました。
そしてやはり隠ぺいや情報操作も…感じるこのごろ。
日本の立場は微妙に揺れ動いています。

それを見て、原発廃止を決めた諸外国の行動は、潔いものでした。
けれど日本は、やはり「日和見」と言う他はありません。
あちこちの顔色を見ながら、慎重に言葉を選んでいます。

私たちは核の怖さを知っています。
当時敗戦と戦後の混乱のなかで私たちは原爆に抗議する機会を逸していました。
それどころか流れ込んできた新しい文化に、心を奪われていた時期も長かったと思います。

けれど私は思います。
もしも私たちの国が被爆国として、強く抗議をしていたら
今までの長い平和は保てなかったでしょう。
ものすごく大きな犠牲を払って、私たちはその大地の上に豊かな国を作りました。
もう一度、すべての力や知恵を結集して一刻も早い収束と
復興のために、黙々と努力を積み重ねる時代を作らなければならないと思います。

そして以前私はこのブログにも書きました。
非核三原則…そこに「例え平和利用といえども」という一行を加えられたらと
私は切望しています。
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