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2011.05.29 Sunday

今夜1時からBOWWOWです! NHK総合Club J-MELO Vol.25: BOWWOW

 みなさん!是非ご覧ください!
インフォメーションがぎりぎりで、すみませ〜ん!!(汗)
Kyoji先生のBOWWOW ライブ放映です!


NHK 総合テレビ 5/29(日)深夜25:00
1. ROCK ME / BOWWOW 
2. SILVER LIGHTNING / BOWWOW 
3. STILL / BOWWOW 
4. GET ON OUR TRAIN / BOWWOW 
5. THEME OF BOWWOW / BOWWOW
 写真が小さいけど…(笑)
とりいそぎ!
お見逃しなく!

2011.05.28 Saturday

Elwiraの3枚の写真

 FBの友だち…ポーランドのElwiraから
スペシャルな写真が届きました。


私の新作のレインコートと傘を持ったElwira!!
おお!…なんと絵になる風景!
かっこよく着こなしてくださっているElwira!!

おお!可愛いイラスト付きだ!!


私は彼女から送ってもらったイラストやCDのお礼に
散々迷って、この傘とレインコートを送りました。

…それがこんなにも素敵な写真になって
戻ってくるなんて!
大感激です!

彼女は画家であり、インテリアデザイナーでもある。
私たちを結んだのは、たぶんお互いの仕事がものすごく近い場所にあったからかも。
感性もどこか似ている。

ポーランド…まだ一度も行ったことがない国。
…どこもかしこも新鮮で美しい!

けれど送ったときは、まさかこんなにも喜んでくださるなんて
思ってもいなかったです。
彼女は小さなタグやシール…包装紙にも、とても感激してくださって
送ったハンカチを額裝してくださったり…して
子供のようにはしゃいでいる顔が目に浮かぶようでした。



…それにしても、なんと美しい場所なんでしょう!

ポーランドの言葉はとても難しくて
私は毎回返信に、かなり七転八倒しながら…(笑)
時々は、お互いに余り得意ではない英語で、おずおずと感想などを書いています。

…でもね。
この写真は、すべてを語ってくれています。
海を越えて、国境も越えて…
私の作ったものが、こんなにも喜んでいただけたことに…
私はとても感激しています。

アイテムも迷ったけど、色にも迷いました。
黄緑のイチゴ…実は私もこの色を使っています。
私は出不精だけど…
作ったものは、はるばると、どこまでも…!

この仕事をしていて良かった!
このレイングッズを作って良かった!
そしてFBで、沢山の方たちと知り合えて良かった!

2011.05.27 Friday

かなしいときはかなしいままがいい


 このところ訃報続きで、心は悲しみをずっと抱きしめています。
けれど私は、それを紛らわせたいとは思いません。

ずいぶん前に、私は「かなしいときはかなしいままがいい」という本を
出版しました。
やはり…あれで良かった…今更ながらそう思います(苦笑)

その本を書き上げた時、当時の編集者さんがいいました。
「重〜い。俣野さん!これって重すぎる。
次の日になればお天気は変わるっていうエンディングどうですか?」

私は黙って、著者の欄に、その編集者さんの名前を書いて
差し出しました。
「どうぞ…そういう本はあなたがお書きになって!」
これが引き金でした。
私は出版を取りやめ…原稿は棚の上に。

1年後、その本は原文のまま出版されました。

…今になって、この悲しみの真ん中にいて、私はまた考えています。
そう…あれで良かった…と(苦笑)

プラス思考という考え方のなかで
悲しみとか寂しさ…をマイナスだと思っている人もいるかもしれませんが
私は違います。

笑顔も素敵だけど、涙もまた素敵です。

言い換えれば悲しみや寂しさという感情は、決してマイナスではないということ。
それを無理矢理排除しようとすることこそがマイナスだと私は思うの。

悲しみはいつか癒えます。
癒そうとしなくても…。
それを違うもので紛らわせようとすればするほど
その悲しみは長く…深く…いつまでも根雪のように積もっていくような気がします。

私は昨日、中学のときの先生に会いに、高崎まで行きました。
何年振りだったかしら?3月から同級生と約束をしていて
やっとその約束を果たせました。
他にも会いたい友だちが沢山いる街だけど…前日ほとんど眠らずに出かけたので
とんぼ返りしました。…ごめん。

帰り際友だちが作った春キャベツが3個。
パツパツ、ピチピチの太ったレッドオニオンが5個。
帰ってからさっそくキャベツをざく切りして軽く塩でもんで、
オニオンも山ほど
フレンチドレッシングを作って
うさぎみたいに食べました…。

子供の頃の私が、ひょっこりと顔を出したような
先生との再会。
先生は全くお変わりなく…いつまでもあの頃の先生のままでした。
私は何か許されたような気になって、はじめて子供の頃の愚痴話も
飛び出したりして…(笑)

行って良かった…誘ってくれた友だちに感謝です。

2011.05.26 Thursday

Ann Arys…逝く



 Facebookで知り合ったAnn Arys…
アンは、私がFBに登録してすぐに、リクエストを送ってくれたベルギーの方です。
FBでの人とのつながり方や英語の表現で気をつけなければならないこと…
様々なことを沢山教えてくださいました。
そう、彼女のことを他の方が「ネットワーカー」と呼ぶのを聞いて
私も大きくうなづいたものです。

Kyoji先生の熱狂的なファンでもあったAnnのページには、
いつもKyoji先生のライブ映像が繰り返し流れていました。

そして同時に、彼女のページには、沢山の私の絵の写真やKyoji先生との
コラボ映像も繰り返し…。
…そう…いつもAnnは無条件に私たちをサポートしてくれていました。

彼女が不治の病だと聞いたのは、つい最近のこと。
彼女自身も、それに気づいてから日は浅いと思います。
しかし彼女は、驚くほど気丈に、自分の死と向き合い、勇敢にすべてを見極めていました。
以前私は友人の訃報を嘆き、このブログにも書きましたが
その際のAnnからのメッセージは「Atsuko!あなたは悲しみと出会っています。
けれどそこにとどまらずに、強くなりなさい!もっと強く…」…というものでした。

彼女の人生がどんなものだったか…私にはわかりません。
それは、決して平坦な道のりではなかったことだけは
時々交わす言葉のなかから感じることが出来ました。

時に厳しく、私は叱られることもありました。
けれどその中には必ず大きな愛が隠れていました。
それに私はすぐに気づきました。
言葉の壁も国境も越えて、人はわかりあうことができます。
「何も恐れなくてもいいよ。Atsukoには絵がある…」
そんなメッセージを、何度も送ってくれていたAnnは、夕べ天国に旅立ちました。

「お見舞いにビデオを作りたい!」Kyoji先生から、そう提案があったとき
私はすぐに取りかかりました。
Kyoji先生と私の間では、そのビデオは公開しないで、Annだけに届けたのですが
おとといの夜、Annはそのビデオを自分のページで発表してくれました。

いつも無条件に、私たちを応援してくれていたAnnに宛てた
私信の動画なので、Kyoji先生のプライベート写真や
タオル美術館の私の作品も加えています。これは私なりのビデオレターのようなものです。


彼女の笑顔が私は大好きでした。
それから、とてもはっきりと自分の姿勢を現すやり方も…。

「来年は日本に行きます…」
数ヶ月前に、そんなメッセージを受け取って、私は日本の最高のケーキを
用意して待っていると、返信しました。
その約束は果たせないままでした。

Annからの最後のメッセージ…ここには書きません。
私はこれから作る作品の中に、その想いを伝えられればと思っています。
2011.05.25 Wednesday

隣り合わせの椅子

 


今日は胸の奥が何度も熱くなった一日。

このブログを通じて、以前からコメントを頂いていた石巻の中学の先生。
ずっと、ら・むりーずの雑貨を応援してくださっていたけど。
石巻と言えば、このたびの震災で、とても大きなダメージを受けた被災地。

少しでも元気が出たらいいな…と、ら・むりーずの小物を送らせていただきましたが
中学生たちの可愛いお礼のコメントがぎっしりのアルバムや、お菓子などが入った箱。
かえってお気遣い頂いてしまったけど…嬉しかったし、美味しかったです。
心の奥がほっこりと温かくなりました。
ありがとうございます。

そして以前このブログでご紹介したポーランドのElwiraさんからのメールや写真が色々。
ショパンのCDは何度聴いても、本当に素晴らしいです。
数日前に私は、お礼にと…ら・むりーずの雑貨をお送りしたのです。
商品についている小さなタグまでも、きれいに並べてあった写真。
…それがポーランドの机の上…だと思うと感激です。

そして、今日は来客がありました。
FBで知り合った友だち…これで二人目だ〜!
すごく楽しかったです。

これは一体なんだろう…。

今月に入ってから訃報が続き…
なかなか立ち直れずにいました。

かといって、どんなに大きな喜びも
悲しみの代わりにはなれません。

同じように、今がどんなに深い悲しみに打ちひしがれていても
喜びもやってくる…。

それは、隣り合わせの椅子かもしれません。

そんなことが、心にふうっとよぎりました。


2011.05.23 Monday

福島原発深刻度を増す



人の噂も75日…というけれど…このごろになって情報は小出しに
次々と発表されています。

悪い予感を払拭したいと、究極のポジティブの私としては
いいほうへ…いいほうへと…何とか思考回路をプラスに変えたかったけど。
…それは、毎回裏切られています。

今の福島原発は、予測を遥かに上回る、深刻な状況です。
誰が何を言ったとか言わないとか…子供の喧嘩のようなことを国会に
持ち込むのではなく、抜本的な問題を早急に解決して欲しいです。

その危険のなか、黙々と作業している方たちに贈りたい言葉は
沢山あるけれど…その過酷な現場の環境に対する配慮はいまだに希薄です。
最終的な収束まで、この先どのくらいかかるのか見通しが立たない今。
もうどんな理由も、いかなる言い訳もきかないでしょうが、何故現場の環境は
改善されないのでしょうか…。
…どうかしています。

大切なことが抜け落ちてしまっています…どうしてこうなるんだろう…。
私は気がつけば、深いため息をもらしている自分に気づいています。

何度もペンを持つんだけどね〜〜。
何度もペンを置いてしまう私。

心の中を覆っている雲は途切れない…。
五月晴れの空ならなおさら…。
今の混乱を避けるために、政府も東電も細心の注意を払って発表しているけど
…それらは数年後に、いきなりその姿を現すかも…。

見えないからこそ…注意が必要です。
最新の機器も、揃っています。日本の技術は素晴らしいものがあります。
けれどそれを活用しないというところに…どうしようもない疑問が残ります。
事実を知らせたくないのです。
故郷から離れて、全く違う環境に身を置くのは
…それも自分たちの選択ではなく、他の理由で…
どんなに無念の想いかは、想像することしか出来ませんが…
子供たちの将来のためには、今、福島原発に近いところにいる方たちは
思い切って避難されたほうがいいと思います。

これを書くべきかどうかで…私は数日ブログに向かう度に迷い抜きました。

けれどやはり書こうと思いました。
避難地域に指定されていなくても
50キロ圏内(80キロと言いたいところだけど)
は特に…長いことそこにとどまるのは危険です。
特に小さなお子さんや、若い女性たち…。
冷却…安定するまでの期間は、緩やかに汚染され続けます。

心の中の黒い雲は…今も広がっています。
政治家たちの小競り合いも…そういうことはもういいです。
それよりも、各自で行動を起こすときだと思います。
子供たちの未来が本当に心配です。

昨日は東京も横殴りの強い風や雨。
この風はどこから吹いてくるのだろう…
そんなことが気になります。
神奈川や、東京でも…地形に寄っては、放射能の濃度はあがっていますね。

海も年間の上限の百倍もの汚染水が混入。

2号機も3号機もメルトダウンを肯定しています。
政府は、もちろん細部の情報を調べあげていると思うけれど…。
まだまだ謎も深まるばかり…あてにならない工程表よりも、正確な情報が
もっと欲しいです。


2011.05.22 Sunday

ブラン・フーの閉店

 P1040553.jpg

三七日(みなのか)も過ぎましたが、まだ心の整理はついていません。
けれど今日も、閉店の理由をこのブログで知ったという方から
コメントをいただきました。

ブラン・フーを愛してくださった方たちに、心からお礼を申し上げます。
そして、とても残念なことですが、マスターの突然の訃報で
閉店せざるを得なくなったことをご報告申し上げます。

40年近い友人で…いつでも当たり前にすぐそばにいた彼の死は
受け入れることが出来ずに、まだ悶々と日々を過ごしています。

ご家族の悲しみも深く…何かの形できちんと知らせたいという
意向を受けておりましたが、遅くなりましたことを心からお詫びします。
その日のことは、下記のブログに書きました。
合わせてお読みいただければと思います。


後悔のない別れなどはないと…私はいつも思います。
お葬式が終わり、店の片付けをしている家族に連絡を入れました。
15分ほどの間にも、予約の電話が立て続けに鳴っていました。

P1040556.JPG

彼が突然入院したのは、3月のことでした。
「お見舞いにいくよ」…と連絡を入れたら
「明日退院」という返事。

…その次の日から店も通常通りの営業を再開していました。

交代の効かない仕事でしたが、彼はその仕事が大好きでした。
無理もしたと思います。
…けれど、だからこそ、どこにも紛れない彼だけの味が
そこに表現されていたのだと思うのです。

沢山の方に愛された店ですが、やはり閉じることになりました。
ご来店いただいたお客様に、ただ心から御礼申し上げます。
そして、あの味を時々思い出していただければと思います。
本当に美味しかったよ!みっちゃん!!
私の自慢の店でした…。

私は今も、ふとした瞬間に彼の笑顔を思い出します。
そして、彼の存在の大きさに今更ながら思い当たるのです。
きっと彼は天国でも料理を作ることでしょう。
天職だったと思います。
そして、彼の料理は沢山の神様たちを楽しませるに違いありません。

P1040557.JPG

明日オープンという前日に、私は数枚の絵と、木切れで作った
ちょっとした飾りを作って、スタッフたちと一緒に飾り付けをしました。
家族みんなで作った店…。
温かいぬくもりのある…最初から懐かしさを感じる店でした。

「そろそろペン画に変えてみようか…」

そんな話も出ていた矢先の出来事。
彼がその前に開いていた「美々屋」という居酒屋では
私は看板もメニューも作っていました。

沢山の思い出があります。
沢山の心残りもあります。
それが今は、悲しみという形で押し寄せてくるけれど

…彼に出会えて良かったです。

彼の作る料理に出会えて良かったです。
2011.05.19 Thursday

THE BIG BARD

2011.05.18 Wednesday

ArtistsSuportJapanというサイト



このサイトの冒頭には、こう書かれています。
http://www.youtube.com/user/ArtistsSupportJapan#p/u/6/DGYQmMNqkBE

日本を支援するアーティストたち は日本の皆さんが復興への長い道のりを歩み出すにあたって
その支えになりたいとの思いで設立されました。
ここに参加したアーティストたちは全員が時間と労力を無償で提供してくれました。
私たちはこのチャンネルが希望と支援の場所であり続けることを目指しています……

震災から10日目くらいだったかな…私の元にKyoji先生から曲が送られてきました。
それは深く…とても美しい曲でした。
「コラボできない?震災支援のために…」
私はそのメッセージを受け取り…仕事の段取りを考えました。
3月11日以降…全く仕事が手につかなくなり、私はテレビやネットにかじりついたままでした。

締め切りはどんどん過ぎて、周囲も心配そうに私の顔を覗き込みます。
この仕事をはじめて30年…ほとんど締め切りに遅れたことがない私が…どうしてもできない…。
いつもならまとめて一気に出す企画が…今日は1本だけ…次の日は2本…という具合。

…100点以上の企画の締め切りの最中。あの震災は起こりました。
その前日まで、他の企画に集中していた私は、ぴたりと思考が止まり
流れ込んでくる情報の整理をしながら、ブログに向かい…ひたすら書き続けていました。

たぶん日本中が時を止めた…そんな日々だったと思います。

それは震災から1ヶ月が過ぎた頃…ようやく…心をなだめて、
通常モードに戻らなくては…と思い始めていましたが…まだざわざわしていたかな…。

私の人生の中でもその日々のような空白は、経験のない日々でした。

けれど私は普段のものつくりでも心がけていることは…生まれるまで待つ…ということ。

ただ日々を真剣に生きてみる。

なんとか作ろうとか、作らなきゃ…そう思っていたら、とっくに挫折していたに違いない。
30年という年月はそういう日々でした…。
テキスタイルを描く手も滞りがちだった私は、今まで自分が描いてきた図案を眺めたり
ただぼーっと過ごしたり…(笑)
それもまた真剣に生きるということ…(笑)
たぶんそれが、必要な時間でした。

ペンが動き始めてからは、余り記憶にはありません…(笑)
その時私はようやく、自分に戻ったような…(笑)

そして最初の動画「Finally, I found you」は出来上がりました。
それをイギリスのサイトで発表する…ということがどういうことなのか
…方向音痴の私には、良くわかりませんでした(苦笑)

ものごとはたいてい、なるようにしかなりません(笑)

Kyoji先生の最終チェックはかなり厳しい(笑)
こういう現場は、真剣勝負で…今回も散々鍛えられました(笑)
最終的に映像と音楽がぴたりと合わさるまで延々と作業は続きました(笑)

おかげさまで、沢山の方たちにご覧いただいています。
心から御礼申し上げます。
…それの英語バージョンがもうすぐ出来上がります。
…そう…これも言いたかった!

イギリスのサイト…日本へ向けてのメッセージだけれど
イギリスの方が作ったサイト。
英語バージョンも作りたいと思ったのです。

その英訳には沢山の方にお手伝いいただきました。
…それも感動的でした。

私は今までにも、何度か英訳していただいた経験があります。
でもあの頃は、よくわかりませんでした(苦笑)

けれど私は数ヶ月前からFacebookをはじめていました。
英語のコメントも良くいただきます(笑)
今ではフランス語もイタリア語も、ポーランド語も、ブルガリア語も…。

色々読んでみたり、書いてみたりして…ふと気づいたことがあります。
…そう、結局日本語が大切だってことに…(笑)

私は今までの書き方が、どんなに未熟だったかに思い当たった。
美しい日本語は美しい英語になる…ってこと。

…知らなかった…。

THE BIG BARDでは、そこのところをものすごく気をつけてみました。
まあ私なりに…(汗)きっといざとなったら、またあちこちボロが出ると思いますが(汗)

これは以前、何人かに英訳していただいたものがすでに手元にありました。

私は英訳から読み始めたのです。

そして、自分の日本語の甘さに向き合いました…(苦笑)
人はどこで変われるか…わからないもんですね〜。
まだ変われるかどうか…結果はこれからですが…(笑)

ArtistsSuportJapan…このサイトで日本を支援してくださっているミュージシャンたち。
…すごいメンバーの方たちが参加しています。
是非皆様でお楽しみいただければと思います。

今このブログを書き終わって思うことは…
ぐるりと回って…どこに行っちゃうかわからなくなって…
また戻ってきた…(笑)…みたいな…思考回路。
ここもなんとかしなくちゃなりません…(汗)

まだまだ勉強しなきゃならないこと山積みだなあ…。
伝えることの難しさ…
その根本的な所と、今更ながら、ちょっと真剣に向き合っているところです(汗)
2011.05.17 Tuesday

THE BIG BIRD 秘話

 

私が「大きな鳥」という物語を書いたのは、今から18年も前のことです。
3才の息子のために…。
寝る前に読み聞かせをするために描いた絵本。
息子はこの本が大好きで、何度も何度もせがまれて…嬉しかったな。
つまらないものは、3ページでごろごろと部屋のなかを転がってしまうのに
この本だけは、ようやく息子のジャッジにOKが出たというか…(汗)

16年ほど前に、私はそれを元にして朗読用に書き下ろして高崎で初演。
…そして4年ほど前に、映像を変更して再演。
山本恭司さんのギターから奏でられる、カタロニア民謡の「鳥の歌」
「アヴェマリア」で構成された音楽は、本当に素晴らしくて
朗読をかぶせるのをためらったほどでした。
だから、言葉をかなり刈り込んで仕上げました。

…そして今…加筆修正を加えて…ゼロから映像を作り直して
ようやく最終バージョンができたという感じかな(笑)
今回は原作の絵本の構成に基づいて、物語として作りました。
(原作はもっともっと長いお話なんだけどね)

あの頃(18年前)…私は母親としてもまだ未熟で、育児と仕事の狭間でとても悩んでいました。
その両立は本当に難しかったです。
2才になるかならないかの息子を保育園に預けて、母や沢山の方に助けられていたけど
母親として、成長できない私を一番許せなかったのも「私」でした。

けれど眠る前の絵本の読み聞かせ…
それから、寝転がって思いつくことをだらだら話す長いおしゃべり…。
ふたりで一緒に物語を作る遊びには熱中しました(笑)
きっとみんなと同じようにできなくても、いいんだよね〜〜(苦笑)
自分の得意分野で関わっていけば…(しみじみ)

私がいきなり「恐竜がその窓の外にいるよ」と言えば
「草食だよね!お母さん!草食しか駄目だからね!」
真剣に抗議する息子は、自分でどんどん物語を作っていきました。

子供の感性の素晴らしさを知ったのは、まさにこのときです。

…そうか…この子のために絵本を描こう!
そう思いついたけど…
真夜中…なんとか仕事のめどがつくと、朝方…私は沢山の絵本を書きました。
でも難しかった〜〜。

「大きな鳥」はそのなかの一冊です。


私がこの本で息子に伝えたかったこと…それは自然に対する畏敬の念だったと思います。
当たり前にそこにあるもの…それを人は忘れがちです。
人間よりも大きなもの、目に見えないもの…大きすぎて、大きさを測れないもの…
そこにもすべて「魂」や「生命」が存在することを伝えたかったのです。

今の世の中には沢山の情報があります。
子供たちも大人と同じ情報を知らず知らずに取り込んでいます。
私はそんな現実だけを見せて、育てたくなかったかな…。

今回の震災…沢山の犠牲者が出ました。
…地震や竜巻…それは本当に自然災害なのでしょうか…
私は心の中に浮かぶ疑問を解き始めました。

「地球がもしも一頭のクジラだったら…」
そんなタイトルで新しい物語を書き始めたのです。
けれど書き進めるに従って…このコンセプトは以前にも書いたことがあるということに
気づきました。…そう…この物語のなかで…。

そして私は「大きな鳥」を「THE BIG BARD」と改題して
副題には「FOR ALL SOULS」と記しました。

その「SOUL」のなかには「地球」も含まれています。

Kyoji先生と最終の打ち合わせが終わって、私は最近手に入れたマイカメラで
Kyoji先生を撮影しました。
「あのね。シャッターが切れるまで、手は動かしちゃ駄目だよ」…とKyoji先生(笑)
「大丈夫!マイカメラなんだから…良くわかってるのよ」…と強気な私(笑)
このカメラは、自動補正してくれるすぐれものです。

…こんな会話で撮った写真とは思えないほど(自画自賛ですが)
結構いい写真が撮れました(笑)ま、モデルに助けられていますが(苦笑)

で、私はすぐその夜にポスターを制作しました。
THE BIG BARDの完成記念に…ちょーレアです。


他にもまだありますが…おいおいアップします(笑)

Kyoji先生の音楽との出会い…それには本当に必然を感じます。
ずいぶん以前からの知り合いだったけど
お互い自分の世界のなかで飛び回っていた時間が長く流れています。

もしかしたらその時間こそが、こういう「コラボ」に一番必要なことなのかも。

人はきっと、同じ山を見て、同じ山を登っています。
たぶんそのルートは違っていても…。
私たちが同じ山の途中にいることを知ったのは
一緒に作り始めたときです。

「方法は違っても、みんな一緒だね〜」
その言葉に、私も無条件に同意しました。

原稿だけを別に書いていると、ひとつの言葉を選ぶのも
歩き回って、空を仰ぐ…ようでしたが…
そこに音楽があると…言葉は自然に生まれます。

そして親バカだけど、この作品の原作の段階では
3才だった息子の、まっすぐな目が私の背中を押してくれていました。
どうぞ皆様、できれば、小さなお子さんも交えて一緒にご覧いただけたら…
本当に本望です。

そうそう今日いただいたメールで、右下のマークをクリックするとフル画面で
見られることに今日気づいた(笑)というコメントをいただきました。
まずは下をクリックしていただいて、右下のマークを押してご覧ください(笑)


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