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2010.12.31 Friday

2010年最後のブログ…


今年も後、数時間…テレビを付けたら

見知らぬ国で迷子になってしまったようになり

紅白歌合戦の録画ボタンを押して後で早送りで観ようと

また仕事場に舞い戻ってきました。

ここが一番居心地がいいの。

年が明けても暮れても、いつも目の前に仕事がありました。

うらやましいと思う方も、大変だと思ってくださる方もいて

なんとかバランスをとってきたかも。


私は言葉の仕事を本格的にスタートさせようと思います。

何だかようやく、見え始めたというか(笑)


花束とごちそうに囲まれた年末に

私は何かを返さずにはいられないような気になり

散々引き出しの中を引っ掻き回しています。


そうしたら見つけた。

洪水のように溢れてくる言葉を

一体何がはじまるのか、私にもとんと見当はつきません。


デザインの仕事は、私の鼓動のようなもの。

寝ても覚めても、息をするようにものつくりと生きてきた時間が

流れています。


けれどその反面…私は仕事以外のことでは

とても寡黙に(自分で書きながらちょっとうっとりしていますが)

本当に口数少なく暮らしてきました。コホン…


まあ真夜中なので話し相手がいないというのが現状ですが…(笑)


そして…このブログ…日々思うことをランダムに綴るようになって

はじめて…伝えることの大切さを知ったような気になっています。

話してみなきゃわからないことって多い〜〜。

…とまあ、平たく言えばそうなのですが…(笑)


今日は2010年最後のブログ。

いつもお読みいただいている皆様に心から感謝を!!

そして新しい年が、皆様にとって最高の一年となりますように…。

我が家は喪中なので…新年の挨拶のかわりにと…今書いてしまいました。


火の用心の拍子木が通りから聞こえてきます。

なんとも…音楽のように心地の良い音です。

今ふと気づいたのだけど…今日は会社がお休みなので

ものすごく深い静けさの中。

子猫の忍び足も聞こえそうなほどです。


ついさっき、指先が凍るような寒さのなか

スーパーに今年最後の買い出しに行きました。

それぞれの買い物かごの中には、それぞれの幸せの形が見えました。

たぶん同じものはひとつもありません。


まだきっとやり残していることも沢山ある…。

私にとっては…そう思えるのが幸せだと思いました。

年中猫年の私は…足音を忍ばせて…

来年へのカウントダウンをはじめています。

2010.12.30 Thursday

おいしい話

昨日は仕事納めで
今年は最後の日に特大のターキーが届いた。 


毎年この時期にはこれがないと…
今年はクリスマスがVOWざんまいだったので(笑)
3日ほどずらしてもらった。
私の友人が焼くターキーは本当に絶品。
おなかの中にはもち米とハーブ、栗などがどっさり。


ベシャメルソースとブラウンソースの中間のようなソースも彼女のオリジナル。
クランベリージャムで食べるのもおいしいし
私はいつも最後はレモンと塩に落ち着く。

たっぷりのサラダとパンとワイン。
恒例のことなので、支度はいつもあっという間にできる。

色んなことがあった一年…
何もない年なんてないけど…穏やかな年の瀬が嬉しい。
「来年もいい年にするよ〜」
それが私の今年最後の挨拶。

駆け抜けてきた人生のなかで…仕事納めの思い出は沢山ある。
まだその年が終われなくて、大掃除の最中にも
筆を手放せなかったときもあるし
企画書とにらめっこしながら、紅白歌合戦が遠くに聞こえていた年もあった。
その前は数年、いつも31日になると熱を出していた。
何故か三が日が終わると、元気になっている(笑)

会社的には年賀状を作ったけど
我が家は来年は喪中…お正月の支度はしない。
「このお休みはただただ、のんびりしようね」と母と話す。
まだぎりぎりまで仕事という方も多いでしょう。

今日のブランチにはターキーの骨をことこと煮込んで作ったスープに
野菜をどっさり加えたスープ。
最後にレモン汁を入れると、さっぱりと仕上がる。
脂っこさを中和させるのはじゃがいも。

夕食はすっきりと湯豆腐にしました。
とりあえず、どんなにおなかいっぱい食べても
またおなかはすくんだ…ね(笑)
2010.12.28 Tuesday

上弦の月


 息子と一緒に夜食を食べながら、私って幸せだなあ…としみじみ思う。
押し詰まった年の暮れには
重たいものを抱えて眠れずに夜を過ごす人も沢山いると思うけれど…。

小学生だったか中学生だったか…今は遠い記憶。
ちょっとしたことで母が入院した。
その留守中に父がこともなげに言った。
「差し押さえがくるかもしれないよ。
大丈夫。お前のものは、手をつけないから、これは違うと言えばいい…」
そういって、父はさっさと出かけてしまった。

私はひとりで家の中を見渡してみた。
何が私のもので、何がそうじゃないのだろう…。

世の中を知らないというのは幸福だと思う。
私はそのとき…何故か怖くなかった…。

父は気はいい方だと思うがたまにしか家に帰ってこない父は
いつも誰かを一緒に連れて帰ってきた。
そしていきなり宴会が始まる。
母は手際良く、あれこれと作ってもてなすことに長けていた。


そういう両親の元で私は成長した。
何度も事業に失敗し…空っぽになる。
潮の満ち引きが繰り返される…それが人生というものなのかも。
今思えば、子供の頃英才教育だったかもね(笑)
それが私の根っこにはいつも垣間見える。

けれど…そのあくる年のお正月には
築地からものすごく大きな(180センチもあるほどの)
まな板の上にいっぱいに乗ったお刺身が届いた。
食べても食べても、何事もなかったように減らないお刺身(笑)


自家用車に運転手さんがいた頃もあった(笑)
父は子供には不向きなハンドバッグや時計を買ってくれたり
芸者さんがいるお座敷に私を座らせて
特大の海老フライを注文したりした。

母は、そんな父をみかねて、手に職を付けた。
子供を産んでから洋裁を習い、私と兄を育てた。
この母は本当に偉大だと思う。

二十歳の時両親が離婚。
私は大学を途中で中退した。
母がそれを決心するには、深い深い理由があった。
決して夫婦の問題ではなく、母は私たちを守ろうとしたんだと思う。


「人生には正と負があります。
けれどあなたの場合は、すべての負を終了しています。
この先はいいことしかないでしょう…」

数年前、友だちの友だちで色々な占いを長年勉強した人に
そういわれた時…無性に嬉しかった。
それは父の遺産かも…と思った。
父は母よりも10才年上で…確か72になったばかりで逝った。

私の右の眉に今も少し残る傷がある。
子供の頃転んで付けた傷。
「この眉の傷は…父親と長く暮らせない暗示があるんですよ」
それもいつだったか…
八卦見に、呼び止められて言われたような気がする。
普段は全く忘れているんだけど…
私にはその傷が上弦の月の形に見える。
今夜は見事な上弦の月。
ふと、思い出話をしたくなった…。


父方の家はお寺だった。
祖母は自分にも人にも厳しい人で
子供だからという甘えは許されなかった。
家の中の仕事は女なら当然と…
中学生になったばかりの私に
10人前の昼食を精進料理で作るようにと
それもこともなげにいきなりいったりした(笑)

人はその内容がどうであれ
相手が自分を信頼して、話してくれていると思うと
思わぬ力が出る。
今となると、そういうことが全部私の人生の基礎を
作ってくれた気がする。

昔エッセイを頼まれて、色々書いた。
人生観とか…仕事のことや、日常のこと
書き始めて気づいたのは…要所要所で必ず素晴らしい出会いがあったこと。
それもものすごくドラマチックなできごとばかり。
編集者はびっくり…くまやうさぎのぬいぐるみと暮らす幸せエッセイを
期待していたのに…編集者の想いを見事に裏切って
その本は出版されなかったけど(笑)

私はそのとき物書きのプロになりたくないと思った(苦笑)
どうとでも書けるけど、人生は楽しいことばかりでもないし
そういう本なら私でなくてもいいんじゃないかと思ったし。

何故今の人生があるのか…
それを考えた時、父の浮き沈みの激しい人生が押し寄せてくる。
私はただ…静かに暮らしたかっただけ。
それを守るために働いてきたのかも…。

上弦の月を見るたびに、私は父を思い出し
眉の間にある小さな傷を思い出す。
思えば…まさにハードロックな人生なのよ(笑)

今日の写真は私の誕生日のパーティーの様子。
沢山の方たちにお集まりいただきました。
ようやく写真がまとまってきました。
色々とイベント続きで忙しくてまだまだだけど(笑)

まずは会社は今日まで…大掃除もしなきゃね。
ぎりぎりまでお仕事の人も多いでしょうが…
暦は確実に残りわずか…
どうぞ皆様、精一杯今年を使い倒してしまいましょう(笑)
2010.12.27 Monday

VOWWOW 第二部に行く…2日間すごかった…ありがとう!


 今日は私にしては珍しく
30分以上前に到着。
余裕を持って、昨日買いそびれた去年のVOWWOWのDVDも買えました。
2日で一本の映画を見るような
VOWの総て…堪能してきました。

昨日は興奮覚めやらず…勢いで書きました。
ま、たぶん今日もそうだけど…(笑)

メンバーのみなさま…お疲れさまでした!!
心から感謝します。
素敵な夢の中に連れて行ってくださってありがとうございました。

人が出会い…人が別れ…再会する
出会った時が平坦な緩やかな道だったら
再会してもそんなに大きな感動はないかもしれません。

けれどそれが急勾配を必死で一緒に登った仲間なら
どんなに長い時を過ごしても
再会の時…一瞬で時を埋めることができます。
これは決してメンバーだけの物語ではなく
観客の方たちの人生も同時に含んでいます。

けれどVOWWOWがたどった道は、道のない森に分け入り
それぞれの5感、6感(シックスセンスも含めて)を駆使してたどり着いた場所。
絶賛と絶頂の最中に…
彼らはそれぞれに別の道を急ぎました。

賞賛が足りなかった訳ではない。
正当な評価も充分に受けていたと思う。
けれど彼らは満足しなかった…それが真実だったのではないかと
…今夜私はしみじみと感じました。

本物の表現者の証は、そこにあるのだと
私は常日頃思っています。
世界中が賞賛の嵐になったとしても…満足できないものを抱えて
それがまた次への力となります。

きっと彼らの血が騒ぎはじめて
また、再演もあることを期待しています。

それに…ライブという不確定な場所で、
あれほどまでに完璧な演奏を目指すことが
誰もを惹き付けてやまない要因だとしても
徹底的にストイックに客観的に自分を見ているもうひとつの目を
持っている表現者は多くありません。

それをメンバー全員が持っていることが
VOWWOW の最大の武器であり…魅力だと言えると思います。

人々が共感し、感動する場面に出会う時、私は物書きの習性で
それをどう伝えられるかと、自然に言葉を選んでいます。
今日のライブを観ながら、頭に浮かんだ言葉は多くありませんでした。
そういうこと…どうでも良かった(笑)
途中から私はただただ無条件に楽しんでいました。

二度のアンコールに応えてもなお
誰も帰ろうとしませんでした。
拍手は長い間鳴り続けました。

そして2日間で聴いたすべての曲はどれも
素晴らしい完成度で…すべての観客に満足を与えたことは
言うまでもありませんし
その演奏には…力強い霊感のようなものを感じたのは
私だけではないでしょう。

人は時に、無意識に神の領域に足を踏み込みます。
それは決して特別視されることではないけれど
…そして意外と本人たちはそれに気づいていなかったりするけれど

このライブ…私にとって確かなことは
心が豊かなものに触れた時に感じる充足感だけが
今も残っているということです。
本当にありがとうございました。
また明日から頑張れそうです…(笑)

2010.12.26 Sunday

そのとき何が起こったのか VOWの総て第一部に行く

かなり余裕を持って支度は整えたのに
出がけにバタバタと野暮用が入って…道路も込んでいて結局
開演ぎりぎりに到着。
寒いというよりも冷たい風の中で
そこだけ熱気がものすごかった。

メンバーが出てくる気配だけで会場は興奮の渦のなかにあり
みんなどんなにかこのライブを心待ちにしていたんだろうと
私自身も胸の奥に熱いものがこみあげていた。
この空気感…そう…これこそがVOWWOW…。

そしてそのライブの幕はいきなり切って落とされた。

悲鳴のような、怒号のような声援が飛び交い
会場は大きくゆらゆらと揺れている。
もちろん満席。かなりのプレミアムもついた、貴重なチケット。

たぶん後にも先にも…日本でこのバンドを越えるバンドは
決して現れないだろうな…。
この成熟した生のサウンドに…私は20年以上前に
すでに出会っていたひとりでもある。

日本でのハードロックというジャンルの先駆者の彼らは
その後その活動を、ロックの本場イギリスへと移した。
第一部の今日は「渡英前」と名付けられていた。
先駆者がたどる道のり…それを想像するのは難しくない。
どこまでもどこまでも目指して行く。
それが先駆者に架せられた十字架のようなもの。

私は再びVOWWOWに再会しながら…
彼らがイギリスでスタンディング・オベーションを受けて
日本で爆発的に再評価されたときのことも同時に思い出していた。
けれどあっけない解散。
これほどまでに多くのファンを持ち、心に灯りを点し続けている
VOWWOWが本格的に活躍したのはわずか6年ほどの期間。
それが今日まで全く色が褪せないままに…再結成されたことへの驚きと尊敬。

本物の価値をまだ知らない人たちに…本気で
「自分の目で聴き、自分の耳で見よ!」←これは詩的表現だからね(笑)
と心から願った。またあるかどうかは…わからないけれど…(泣)

どうしてもありきたりの言葉を使いたくなくて
私はさっきから、遠回りをしているかもしれない。

どの楽曲にも会場のみんなは精通している。
曲が終わると盛大な拍手。
けれど、演奏中の静けさはなんだろう…。
はもるところは見事にはもり
ファンたちのリアクションも完璧なタイミングで出される。
この一体感を待ち望んでいた人たちの姿勢がまた美しい。

研ぎすまされた音楽…卓抜なセンス…
見事なバランス…それぞれが自分の個性を最大限に発揮して
決して自分のポジションを他者に委ねない。
すべてのメンバーが同じスタンスで、志を高く掲げていたこともすごいけれど
それが…まだ20代になったかならない人たちが集まって
やってのけたことに、私は今更ながら私自身の認識も新たにした。

はじめてVOWWOWを聴いた日。
あのとき一体何が起こっていたのだろう…。

私は私の表現と真正面から向き合っていて、それどころではなかった。
大げさではなく「生きるか死ぬか」のような現場で格闘していたころ
…私はVOWWOWに出会う。

彼らはあの頃、すでにすべてを持っていたと思う。
すべてとは…「理想」と言い換えてもいいかもしれない。
自分たちの目指している場所に向かって迷わず歩いて行くこと。

それを探して長いこと人は彷徨う。

けれど彼らには、その目標が確実に見えていたんだと思う。
もしそうでなかったら…
あのサウンドは決して生まれなかっただろう。

今聴いても…いえ、今だからこそわかることがある。

短期間で、すでに完成されていたVOWWOWというバンドの底力は
ライブという臨場感の現場で、完璧なクオリティを
目指し続けていることにもある。
そう甘えが一切ないの。
そして再結成した今夜。
それを持続させている情熱。
どの曲もすべて、相当の難易度が高いにも関わらず
メンバーのすべてが時空を超えて、あの頃の空に浮かんだ夜。

明日は第二部がある。
私はようやく何故VOWWOWというバンドに対して
ここまで心酔してきたのか…その答えを今日探り当てた気がしている。
そこには「高い理想」への道が見えるんだ。

それはね。誰もが探しているもの。
そしてそれを見つけられたとしても、実践できるとは限らない。
それを彼らはそれぞれに持ち続け、実践してきたんだと思う。
表現者としての誇りは、表現によってしか証明されない。
私は彼らからそれを学んだ。
そして私は…20年以上前に、迷い道の途中で彼らと出会った。

私が彼らの音楽のなかから感じ取ったものは
まさに「芸術」の本質であったと思う。
百科事典の引用で恐縮だけど
芸術とは…作品の創作と鑑賞によって、精神の充実体験を追求する
文化活動とある。

私がはじめてVOWWOWの音楽に触れた時
一瞬にして引き込まれたことに誇張はない。
けれど私はそのとき以来…私の中に一体何が起こったのか…
ずっと考え続けていた。

その答えがようやく見えた。
それはたぐいまれな芸術だった…。
それが私を元気にしたし、私がその後歩んできた道を照らし続けてくれたことも
今日…再認識したと思う。

「日本の宝ですから…」長年熱狂的なファンの一人がつぶやいた言葉。
その宝物をもっともっと沢山の人たちに届けたい。
芸術に出会うと人は確実に精神性を向上させ
目指す場所を高めることができる。

私はあの日直感した。
けれど長いことそれを明確な言葉にはできなかった…。
ジャンルや表現方法は様々だけれど…その本質はたったひとつ。
芸術か否か…。
私はあの日…まぎれもなく芸術に包まれたのだと思った。
もちろん今夜も…。

2010.12.25 Saturday

MERRY CHRISTMAS!

今夜はイヴです。
…すっかり頭には締め切りしかなくて…ごめん。
スタッフたちを残業させちゃったよ…本当にごめん。

昭和の日ができてから
暮れがいっそう慌ただしくなったような気がします。
ごめん。これもただのいい訳。
もっと早めに締め切りを動いていればいいんだけどね(汗)

何はともあれ
MERRY CHRISTMAS!

誕生日で完全燃焼してしまったので
今年はケーキも用意しなかった。
つい数日前に、とびきりのケーキを食べたばかりだし。


ろうそくはいったい何本だったのか…(笑)
ともかく大きい。
ともかくおいしい。

毎年、取引先の会社が特注で頼んでくださるの。
このケーキは本当にスペシャル。
ごめん…口ばっかりで…(苦笑)



今日はなんだか「ごめんの日」になってる(笑)

今頃はサンタさんは大忙しだろう。
何しろ世界中はいい子ばかり。
悪い子なんてひとりもいないんだから。

私は少し前までは自宅と会社を全部オープンにして
パーティーを開いていたの。
一番多かった年はな、なんと140人も来てくださった。

けれどあまりにも後片付けが大変なので
最近は別の場所に移動。

まだ息子も小さかった頃
子供たちも大勢来た。
その日だけは、いたいだけいさせてくださいとご両親にたのんで
子供たちは真夜中まで目が爛々だった。

大人になってもそのパーティのことだけは
みんな覚えていてくれる。
それが何よりも嬉しい。

MERRY CHRISTMAS!
サンタさん!
世界中の子供たちに素晴らしい夢を届けて!!

2010.12.23 Thursday

誕生日に思ったこと

さすがに暮れです(笑)
毎日が矢のようにというよりも
光のように…猛スピード!!!

私が暮れに生まれそうだと知った時、母は
1月1日でもいいから…来年生みたいと願ったそうです。

私も、クリスマスとセットになった誕生日はどうなの?
…と言う想いもあったけど…(笑)
毎年恒例のバースデーパーティ。
お忙しい方たちをさらに忙しくさせて
滞りなく済ませました。


初公開の母の写真…
誕生日の日に私のアトリエで撮影しました。
現在84才です。

母は50代で「多発性筋炎」という難病を発病しました。
膠原病…という原因不明の病気。
はじめて入院した時は「持って1ヶ月」と言われて
私はショックで7キロも一気にやせました(笑)

高熱で繰り返されるうわごとが
全部仕事の話だったことを良く思い出します。
母は洋裁の仕事をコツコツやっていて
いつも今の私のように期限に追われていました。

あれから27年…まだ「ら・むりーず」をはじめたばかりで
右往左往しているときの、母の突然の発病で私は覚悟を決めたことも
良く思い出します。
集中治療室に入った母。私はすぐに婦長さんに呼ばれて
「月に100万ほどかかります。用意してください」と言われました。
それまでは、自分のペースで丁寧に仕事をするために
契約の話もお断りしていましたが
次の日…私はそのときにいただいていた契約をすべて受けました。

…それが今の私の仕事の基礎を作ってくれたとわかったのは
それから5年後に私が息子を生み、仕事と育児の両立にとことん悩み
ようやく、色々が落ち着いたころでした…。

人生は無駄なことはひとつもないと
良く書くけど…後になって気づくと…
たいていひとつの物語の中で、重要なキーワードになっていたりする。
不思議だ…と思います。

この母がいなければ、私の誕生日はありませんでした。
当然だけど…忘れがちなことをちょっと書き留めておきたくて…。



どこかに出かける時はたいてい私が母の洋服を
コーディネイトします。
この日も二三日前から、母はタンスをかき回していて
「何を着よう…」「何を着よう…」と
騒いでいました。
肩にかけているのは、ずいぶん前に私がプレゼントした
フェイクファーのショール。

それをタンスの奥から取り出してきた母。
「…いつだったか忘れたけど、ずいぶん前にお前からもらった
こんなものがあったよ」
…私もすっかり忘れていたけど…着物にも洋服にも合いそうだと
一目で気に入ったショール。

あのときはさほど喜んでもいなかったような…(笑)
「…今の方がずっと似合ってるね…」

…で、それに合わせて整えました。
「遺影に使えるかもしれないから…色々写真を撮っておいてね」
…こういう会話は我が家ではとても自然(笑)
お墓の話とか、お葬式の話も…。
「決して延命しないように…」それも母の口癖。
「あと十年生きたい」…これも同時に…(笑)


誕生日の話はまだまだ続きます。
水前寺蓮根さんからコメントをいただいているけどまだアップできないのは
これから書こうと思っているネタバレを含んでいるからです(笑)
もう少しお待ちくださいね(笑)

これは数年前に描いた母の肖像。
花束を受け取るピエロ…とタイトルをつけました。
写真と一緒だとネタバレって感じかな(汗)
80号の結構大きな油彩です。

2010.12.22 Wednesday

誕生日の舞台裏を大公開(笑)…私流に着物を着てみた

 

 何回目の誕生日なのか…は別として(笑)
何度繰り返しても同じ誕生日は二度と来ない。
今年の誕生日には
私がデザインした大島紬を着ることに決めていた。
それが何よりも私にとって大イベントだった(笑)
…どう着ようか…ものすごく迷った。

小物や髪型…それを考えるのは楽しかったな…。
仕立て上がったばかりの着物を見ながら
まずは髪型の制作に入った(笑)
新宿のオカダヤで材料を買い込んで作ったヘッドドレスは
とても簡単に装着できるように作ってみました(笑)


パーティー用なので、結構派手(笑)
もうひとつ、普段にできるものもついでにひとつ
作ろうと思うけど
なかなか凝ってるでしょう?
羽根でできてたパーツは、持っていたビーズやスパンコールを貼って
仕上げました。
基本に仕込んだのは細いカチューシャ。
リボンやシルクの生地を数種類。
生地は10センチ単位で買えるので
ちょっと高級なものを使いました。
1メートルで8000円でも10センチなら800円。
ちりめんでできた紐は1本2百円だった。5本購入。
シルクのリボンが一番高かったかな…(笑)

ちょっと大きめな髪型にしないと
和服に負けそうな気がして
ヘアーピースはみっつ買いました。
今時の盛り髪も取り入れちゃうことにした(笑)
大きなまげ…
三つ編み
パッツン前髪。
これらを組み合わせて和風に作る。



三つ編みは1500円。
前髪が2000円くらいだったかな。
大きな髷も5000円はしなかった。
同じメーカーのもので揃えたら色も揃います。
本当に手軽に楽しめるのが嬉しい!!

こういうときの私って
「ああ、私ってデザイナーだった」って思う(笑)
スタッフたちも興味津々…みんな楽しそうだ!

私はもう数十年も美容院に行ったことがない。
自分で切って自分で染める。
息子の髪も私が切る。
親子そろって、美容院が苦手なんだ(笑)

もちろんなんでも自分で作る。それが私流。

でもね。和装に似合う髪型ははじめて。
髪飾りも髪型も…ネットで見るとみんな同じ感じでつまらないしね。
何となくイメージを作ったら
後は何とかなります(笑)

髪型と化粧がおおかた済んだとき
事務所のスタッフたちがやってきた。
頭だけ和装で奇妙な格好だけど…(笑)
これまたスタッフの手作りのくす玉を引っ張れという(笑)
…こういうことをやらせたら
カボ企画のスタッフは際限がなく熱中する(笑)


見れば…みんな手にはうちわ(笑)


実はこのくす玉は引っ張ったとたんに落ちてきた(笑)

私の頭に直撃(笑)
みんなそれを見て「当たり年!」だと笑う(汗)
誰も心配しない(まったく…)

…で、いよいよ着付けが完了。
足袋は半襟と同じピンクにしてみました。
これも足袋ソックスみたいなので
ものすごく楽です。



かなり照れています(笑)
ほぼイメージ通りにはなったかな…モデルが私なので
そこは何度も限界を感じたけど(笑)


参考までに後ろのボリューム感を…。
頭を少し大きめにすると
肩幅が狭く見える。
要は全体のバランスかな…。

かなり面白かった髪型作り…
まだ着物の話とか、パーティーまではいけない…(笑)
日を改めて…ご報告します。

今回の誕生日で学んだこと。
もっと遊びたい〜〜!!
いろんな髪型に挑戦したい!
着物って楽しい!!
帯は母が昔使っていたものを合わせました。
きっと皆さんの家にもタンスのなかに
色々あるんじゃないかしら?

もうすぐお正月。
私はまた別の新しい着こなしも考えてみたいな。

着付けをしてくださる方にも
「遊んでください!
今日は私の誕生日なので、何をしてもいいんです」と
お願いしました。
すると…とても素敵な形に結んでくださった。
プロの技ってやっぱりすごい!

2010.12.19 Sunday

眠れるという幸せ


夕べは気づかないうちに眠っていました。
たま〜にあるのよね。
こういう日が…昔は年に数回だったのが…最近は1ヶ月に数回になった(苦笑)
まあ、眠るのを忘れる日もあるのでそれなりにバランスをとっているかも。
私は毎日、真夜中は起きているので
灯りが消えない家と、近所でも評判らしい(苦笑)
スタッフたちとタッチ交代の日も多いしね。

なんでこう夢中になっちゃうんだろう…???

以前書いたかもしれないけど
エンジニアさんで丸三日寝なかった人がいて
その後1ヶ月入院したと言う。
…それを聞いてから、かなり気をつけるようになった(苦笑)

制作に入ると…ソファーでしか寝なくなる。
3時間くらいで起きる…仕事してまたちょっと寝る…みたいなことを
繰り返す。

20年ほど前に…まとめて眠ることができなくなって
1時間くらいしか眠れなくなった。
こういうのを睡眠障害って言うのかな…今なら何でもネットで調べられるけど
そのころは、どうしたら眠れるようになるか…を考えた。

…そして何故かバッハが有効だと気づいたの。
だからウォークマンで、バッハをエンドレスでかけながら眠った。
1ヶ月くらいで治ったけど
体重は10キロ近く落ちていた。
でも絶対にまねしては駄目です!!(笑)
まあ、まねはできないと思うけど…(汗)
若い頃はとことん無茶をやった。
仕事を4つくらい持っていて…眠るのも食べるのも忘れる。
母はそういう私を良く知っている唯一の人。
どうやら子供の頃からそうだったらしい。

実は私の母もそうだった(笑)
子供の頃真夜中にいつ起きても、母は仕事をしていた。
ようやく最近になって、昼寝をする母を見ることが増えた。


昨日久しぶりに電話をいただいた方が
母が受話器を取るとものすごく驚いて
「もう百歳は越えられましたか?」と聞いたらしい(笑)
母が百なら私は一体いくつなんだろう…と計算してみた…(驚)

彼女は昔お世話になった会社の社長夫人。
今おいくつになられたのだろう…。
ちょうど留守をしていて失礼をしてしまった。
今夜あたり電話をしてみよう…と思う。

時々、懐かしい方からお電話をいただく。
とても嬉しい。
そういえば、つい最近、それも10年ぶりくらいにお手紙をいただいた。
今思い出した…。
寝食を忘れても、こういうことは忘れてはいけない(笑)
さっそく返事を書かなきゃ。メールだといいのに…と
とことん筆無精になった私は思う。

明日は私の誕生日…
本物の年を思い出している。
…なんてこったい(笑)
今日の挿絵は、昔描いた絵本。
facebookにも載せたばかり…。
真夜中に車を走らせる猫。
これは私自身なのかも…とふと思った。
2010.12.17 Friday

つゆのひとしずく(植田正治の写真世界を彷徨う)を観る

この作品に興味を持ったのは…一枚の写真からです。

俳優の佐野史郎氏が山高帽をかぶり…一点を見つめている。

けれどその目が何を見ているのか…とても気になった。

佐野史郎氏は、このとき一体誰になっていたんだろうかと…。

俳優とは何だろう…そんなことも思った一枚の写真。



Facebookで

…その写真に惹かれて…佐野さんに直接コメントを入れたのがきっかけでした。

撮影したのは安珠さんと知る。国際的モデルとして活躍後

写真家に転身なさったという、またまた不可思議な経歴の持ち主。


意識的に情報を取り込まない私は、逆な意味でアンテナに引っかかるものには

とことん興味を持つ。

これは佐野史郎氏の監督作品…。

文化庁メディア芸術祭で審査委員会推薦作品に選ばれたという

情報もネットでみつけました。

すぐにアマゾンで調べて、購入。


私は佐野史郎氏の語る小泉八雲に山本恭司氏が音楽を担当している

作品を今までに数回観ている。

本編の中には、小泉八雲のなかで使われている印象的な言葉も

多様されているという。


佐野史郎氏の小泉八雲へのこだわりは

ライブのトークからも伝わってきた。

ここを観ない訳にはいかない…。私は直感的にそう思った。



まずは何も先入観なしで観る。

それが私流。

けれど見始めてすぐに

作り方に興味を覚えた。


その作品が植田正治氏の写真から生まれたということだけは

事前に知っていた。

植田正治氏は鳥取県出身(1913~2000)世界的な評価も高い

写真家である。


その作品からイマジネーションを受けたには違いないと思うけど

切り取られた時代の断片をどう結びつけて行くのか…

それが楽しみだった。

一枚の写真から受け取るものはそれぞれに違う。

そこは絵と同じだ。


一度見終わってから、この作品の成り立ちを読み始めた。

そこには

不思議な符号があちこちに隠されている。

監督の佐野史郎氏のことを私は勝手に「媒体」であると思った。

役者という職業では、常に自分を無にする訓練ができているのだろう。

だから、作品の声が聞こえる。

作者の意図とつながることができる。


沢山の創作の魂が、この作品のなかに織り込まれて

静止画をメインに、淡々と流れて行く…。

これでもかこれでもか…と畳み込むようなテレビ番組の中では

決して感じることのできない静寂と

受け取るものの意識を目覚めさせる何かが

そこにはあった。


このDVDには本編の他に使われた写真だけを

クリックできる植田正治氏のフォトギャラリーも

一緒に入っている。

膨大な量の写真から選んだ…という佐野史郎氏は

そこにパトリック・ラフカディオ・ハーン氏(小泉八雲)の言葉の世界を

重ねて行った。


それは、ある程度は年代別とか写真集別…になっているけれど

明らかに佐野史郎氏流の美学が貫かれていると思う。

新たに付けられたサブタイトルは佐野史郎氏の手によるものなのだろうか。


「都市」と名付けられたメニューには

1932年の驚くべき日比谷や銀座がある。

「学校」と名付けられたメニュー(私はこれが一番好き)

を観ながら、写真家の目が欲しいと切望する私がいたり


「砂丘」と名付けられたメニューには

写真家の人生観を伝えてくる物語を感じた。



さて…もう一度本編に戻って再生。


今度はある程度…その写真が撮られた時代や場所も頭に入っている。

またさっき見えたと思ったものとは違うものが見え始めた。


プロローグには金子國義氏の絵が使われている。

そこここがさりげなく贅沢だ。

カメラの追い方も写真館に置いてある小道具も興味深い。


たった80年ほどの歳月が

こんなにも変化に富んだものだったとは…。

今時の時代の流れは、速いように見えても

実は…と思う。

時の迷宮に迷い込むとき、人は自分の記憶以外に

他の人の記憶も同時に体験する。


日本がまだ貧しかった時代に…人々は生き生きと

黙々と我が道を生きていた。

植田正治さんの写真から私は人間の尊厳を感じ

豊かな時代とは何だったかを思い出す。

モデルに登場する彼らは少しお茶目だったり

被写体としての役を精一杯に演じていたりする。


けれどいつの時代にも

普遍的なもの…心の在処のようなものだったり

子供たちの笑顔だったり…どこかで深い記憶に結びつくものを

見逃さないように…と集中して観る。

うん、これは絶対に色々な背景を踏まえてみると

何倍も楽しめる。


佐野史郎氏の声の持つ陰影。

奥様の石川真希氏の軽妙な台詞まわし。

俳優の世界もまた、深い奥行きに満ち満ちている。


ここでの音楽は後に衝撃的な死を遂げた加藤和彦氏。

もちろんこの作品ができた後も、誰も想像できなかったと思う。


そして、この音楽が素晴らしい…まさに私好みなの。

昭和を彷彿とさせたり

のどかなものを伝えたり

バッハのように計算され尽くし、揺らされる箇所もある。

加藤和彦さんを

フォークの代表格のように捉えていたけど

それが間違いだったことにも気づく。


ブックレットが表紙についている仕様もなかなか。

みんな色々考えるんだなあ…。


サブタイトルに書いてあった

時空を超えた物語世界の「物語世界」のところに

「サーガ」とルビがふってあった。

これも調べてみたらなかなか奥が深い。


語源は全く別だけれどこのDVDで

表現者のサガのようなものを随所に感じた。

このサガとは…それぞれの表現者の人生観に他ならない。

いくつもの魂が込められたものを

ひとつの世界でまとめるのに

36分という構成のバランスは心地よい。

絶妙な長さだと思った。


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