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2009.09.30 Wednesday

窯だし


 シルバーウィークを利用して、主人がせっせと作陶に励みました。
今日の写真は、今朝方焼き上がったばかりの陶器…朝方6時くらいだったかなあ…。ようやく扉が開けられる温度を待って、ドキドキ、ワクワクしながら、私が「窯だし」をしました。
30分ほどひとりでながめて…まだ起こすには早すぎると思ったけど、我慢できずに叩き起こしてしまいました(笑)
「すごい…」と感激したのは手前味噌というものでしょうか…。

かなり大振りの蓋物です。直径は20センチくらい高さも10センチほど。
これはまだ素焼きの段階から、私の母の自慢の梅干しを入れよう!と思っていました。
釉薬は、渋めの蕎麦釉と黒マットの掛け合わせ。
予想以上の出来上がりに、とても満足…
今日は仕事の合間にも、みんなで陶芸談議が花盛りでした。


主人が陶芸をはじめてから、ほぼ1年たったっけ?まだだっけ…。
ようやく花が咲いて来た(笑)
試行錯誤を繰り返していますが、こういうものが出来上がると、次々と作りたくなります。


愛嬌だけで作った私の箸置き。
これは素焼きの段階でも、カボのみんなの失笑を買うほど、ただのうすべったい四角いもの。
「出来上がり完成図は、私の頭の中にあるんだから…」と見栄を張ったものの
焼き上がるまではちょっと心配でしたが…かなり可愛い!!と自画自賛です。
主人はきっちりとした性格。私はファジー。
それは本当に作るものに現れます。

これもまたファジーな私の作品です。
古代呉須(コダイゴス)でささっと描いて、蕎麦釉で仕上げました。
薬味入れかな…灰皿かな…アクセサリートレイでもいいか…。
まあどうとでも使えます(笑)


さて、次は砂糖壷です。
これもかなり大振りにできました。
「蕎麦釉…ちょっと薄めすぎたかな…」
「いや…これがかなり味を出してる」
「土は美濃だっけ???」
「この取っ手は結構難しかったな…」
会話なんか全然成り立ってないけど、まあそういうことはどうでもいいのです。
「まだだな…」と主人。
「そうかな…素焼きのときは聖徳太子の仏舎利入れみたいだったけど…結構いいものになったと思うよ」と私。
こういうかっちりしたものは、主人の粘りと根気の賜物。
私はかなり使い勝手もいいものに仕上がっているので、ただ嬉しい。
「専用の棚を作ろう!喫茶店みたいな棚がいい」
「まあもう少し、出来てからだな…」


「フランスの角砂糖!きっとぴったりだよ!入れてみよう!」
…なかなかいいじゃない。
「コーヒーいれよう!」


「これはね。ミルクを入れてあっためるんだ。
コーヒーとか紅茶に注ぐの。きっとひと味違うよ」
「黒土はちょっと他のよりも重いな…」
「水切れもばっちりだよ!不思議な色に焼けたね」


最後に…これも黒土のマグカップ。
まずは主人が飲んで「厚いかな…口触りがいまいち」
次に私が飲んで
「そんなことないよ!かなり頃合いだと思うよ」
次にスタッフが飲んで
「飲みやす〜い!」
…と嬌声をあげた。

2009.09.29 Tuesday

本当の気持ちっていつもどこかに隠れているよね

 さて、シルバーウィークも終わり、土日も終わり、休日モードの心とさよなら…です。
今日のアトリエはサンプルの山。
来週からいよいよまた、展示会があちこちで開かれるのです。
新作は、何故かどれも明るい。…かなり意識もしたんだけど…明るく元気になれるものを
沢山作っています。

今日は朝から試着をしたり、広げたりたたんだりのスタート。これが最終チェックになります。
世の中の景気は今ひとつ盛り上がりませんね。お天気も今年はエールを送ってくれそうもないようだけど、こういうときこそ平常心です。

私は今ただ「お疲れさま!」と「ありがとう!」という言葉しか思いつきません。
年二回開かれる展示会のために、きっと最後の調整でみんなクタクタになっているでしょう。
サンプルチェックをしながら…そんなことを考えていました。
思えば、プリントや素材作り、縫製やパターン…一つのものが出来上がるまでにはとても沢山の方の手がかかっています。そして展示会の設営をして下さる人たちもいたり、細かいキャッチボールにミスのないように気を配って下さる人たち。
出来上がったものたちは、そんなみんなの努力の結晶のようなもの。

けれど最終チェックの責任者としては、「あれ?この縫製、ちょっと雑」とか
「送りが違うね!」などと、ズバズバ言いながら、仕事をします。
今ジタバタしても、もう展示会には間に合わないものもあるけれど、本番で、少しでも気になるところがあったら、直すことが目的です。

追い込まれていると、本当の気持ちって、なかなか口に出せないけど…それを面倒がらずに、黙ってやり直したり、アイロンをかけたり…出来上がったものをもっと良く見えるようにと心を砕いたりしている、すべての人たちに心から、今夜はただ「ありがとう!」と「お疲れさま!」を届けたいと思います。

今日の絵は「LOVE」…この絵には様々な想いを込めて描きました。
夕焼けの中でひとりの人が、捨てられて泣いている子猫に手を伸ばしているシーンです。
私は、私の人生の中で、この「猫」のようだったこともありましたし
この「人」のようになりたい!と願うこともありました。

そして今私は、この夕焼けに憧れています。
何もかもを温かく包んで…けれど静かに暮れていく空のように…と。
けれど現実の私は「この色、思ったよりもキツく出たね〜」
「なんかイメージと違う…」などと言っているのです。


2009.09.27 Sunday

白洲正子を読む…美しくなるにつれて若くなる

 
NHKドラマスペシャルの「白洲次郎」を観て、本棚にある白洲正子の著書「美しくなるにつれて若くなる」をもう一度取り出して、読み直してみました。…不思議なもので、また違うものが見え始めています。
以前この本を読んだときは、ものすごく強いものが押し寄せて来る感じだったような気がします。
けれど「ドラマ」のなかで、時代背景やその生き様などを垣間みることによって、何となく訳がわかったような気になりながら、再度ページを開きはじめた途端から、ものすごい吸引力で、本の中の言葉が生き生きと動き始めるようでした。
特に日記を集めたようなこの本から伝わってくる、リズムのようなものが、呼吸と言うか
鼓動しているようにも思えるのです。

生き様という言葉があるけれど、この激しさは一体どこから来るのだろう…。それが人の出会いであったり、時代という形のないものだったとしても、その風をまともに受ける覚悟がないと、こうは書けない…そんなことを思っています。
まだ一冊しか読んでいないので、他の作品を読んでから…と思いながらもこの方の、この一節に背中を押されて、書き続けてしまうことにしました。

「何かを書くということは、ある程度、独断でやらぬかぎり出来るものではありません。いや、ついには徹頭徹尾独断でない限り、人は何もやってのけることは出来ないのです」

一刀両断に言い切っている言葉の小気味良さったら!
その言葉を聞いていると、まるで私はあっちにもこっちにも気を遣いながら、おどおどと生きているのではないかしら?と不安になってしまうほどです(笑)

表現を切り捨てる…ということを学びたいな…それはある意味まるで「捨て身」のようにも見えて来ます。この方にはまるで「保身」がないのです。
それはたぶんご主人の白洲次郎氏の生き様にも共通した、「潔さ」というようなもの。
泥沼のような時代に生きて、まるでドロドロしたものを感じないのです。

もしも私も同じときを生きて、この方がすぐ近くにいて、一緒にお茶を飲んだりお話をする場所にいたとしたら…ふとそんなことを考えました。

…とても大変かもしれません。
これだけの強烈な個性、たった一言で言い切ることの出来る頭脳、それにすぐ近くにいて少しでも面白い話などすれば、すぐにすっぱ抜かれてしまうような危機感も伴って、まともに目を見て話すことができるのかと…思ったりもしますが、同時に一度関わったら目を離せないような、魅力も感じています。

青山二郎氏との出会い…これがまた白洲正子氏の内側の扉を叩き、深く潜り込んでいた小さな種に芽を出させて、大きな花を咲かせるきっかけを作ったことは、どうやら周知の事実のようです。
ウィキペディアを開くと、青山二郎という人のことが少しわかります。
伝説的な骨董の目利きであり、多くの文人を育てた存在。小林秀雄、河上徹太郎、中原中也、永井龍男、大岡昇平…という名前がずらりと並び、弟子には白洲正子、宇野千代の両氏がいる。
まるで「エコール・ド・パリ」を彷彿とさせるような、華やかな顔ぶれ。

ドラマの中では白洲正子が「勝負!」と言いながらカウンターに原稿を叩き付けるシーンがあったと思います…が、青山二郎は「読まなくてもわかる!」と切り捨てます。
その場面のスピードに乗り遅れた私は、もう一度そのシーンを観たい!と思いながら、書き進めていますが…思い返せば、そのシーンはものをつくる人間にとってはダイヤモンドのような輝きを放っていたと思うのです。

ここでお願いがあります!…是非NHKさんにこの続編として「青山二郎」にスポットを当てたドラマを制作して頂きたい!…と切に希望します!
…人間は面白い。本当に…。

きっと白洲正子さんという人には理解者もいたけれど、「敵」も多かったことと思います。
けれどこの方のすごさは、「敵」が何者なのかを知っている所だと思うのです。
確かキルケゴールだったと思うけれど
「たとえ自分がどんなに強いと思っていても、それよりももっと強い敵がいます。
それは自分自身です」
それがわからないと、どんな出会いに恵まれたとしても、ただの通りすがりの人。
あるいは、自分を否定されたように感じて、その出会いに怒りさえも感じるのではないかと思ったりします。

それにしても白洲正子氏のペンは小気味よく走り続けています。
私はいちいち、頬を打たれたように感じて、自分の頬をなでながら読み進みました(笑)

「素人芸と言うものほどいやなものはありません。それはひがみであり、虚栄であり、責任のがれです。(中略)素人が玄人に商売替えをすると、せっかく今まであったいわゆる素人芸の良さを全く失って、一文の値打ちもなくなる人があります。
それは、その人の芸に対する覚悟がたしかでないからです。
技というものは、もっとおそろしい、もっときびしいものです。やたらめったらの向こう見ずというのが、多くの場合素人の良さと呼ぶものですが、それは大きな芸に対する尊敬と恐怖と謙遜と信頼がないからです。そういう甘さがない素人は、素人といえどもすでに立派な専門家です。
素人の良さなんてものは、ほんとうはないのです。
もしあるとすれば、それはその人の人間の良さです。人間的にれっきとした玄人であるのです」
すごいなあ…すぱっと言い切れる強さ…。短い文章でその奥までも鋭く洞察しています。
これはとてもおすすめの一冊です。
帯にはこう書いてありました。
”わたしになる成熟”…この本を私に届けて下さった方も、見事に一言で私の書くものを見抜いてくださった、素晴らしい編集者さんです。その方の言葉は、何かを書き始めるといつも必ず思い出しています。「俣野さんは正直すぎる…もっと嘘つきになりなさい」と。
…ありがとうございました。
このアドバイスは決して無駄にしない覚悟です(笑)

2009.09.26 Saturday

デザイナーの仕事…ビーカーチェックとか…


 私の日常の仕事の中で、かなり多いのが、このビーカーチェック。
余りにも毎日のようにやっている仕事なので、忘れていました(笑)
けれど、一般の方には馴染みが薄い言葉かも知れません。

そうそう、デザイナーの仕事に興味がある方のために、本業のことをもう少し書きたいと
思いました。年のうち三分の二くらいは、このビーカーチェックの仕事からはじめます。
ビーカーチェックというのは、布地に染めた色を決定することです。
素材によって全く染まり方も見え方も違うので、このビーカーチェックはかなり重要。
濃い方に振るか、軽い方がぴたりとおさまるか…濃度や彩度、色ぶれなどを
瞬時に決定して行きます。

写真はつい最近エプロン用に染めて頂いたガーゼデニム。表は渋い赤で、裏は明るいオレンジを使いました。肌触りも柔らかくて、とても軽いのです。
いま一番気に入っているかも…。毎日袖を通しています。

ビーカーチェックの判断基準は…と聞かれたら「想像力と経験」といってしまうかもしれません。かなり虫眼鏡で覗き込むような現場です。
本来はものすごく小さな生地で判断しますが、それが大きく広がったときのことなども
経験と想像力が必要です。

長年やって来ても、迷うこともしばしば。
めったにないけれど、やはりここは妥協できません。膨大なビーカーがすでにあるので
その色をもう一度取り出して、確かめたり、他の色との相性を見たり…。
出来ることは全部やってみます。それに、たいていすぐにジャッジしないと
生産に影響が出てしまうの。

「今日は何かビーカー来てる?」おはよう!のかわりに、こんな挨拶からはじまる現場。
私は一体年間どのくらいの色と向き合っているんだろう…。

プリントのサンプル…織りのサンプル…糸だったり紙だったり…毎日のようにカボ企画には
そういうサンプルが届きます。


これは織り上がったタオルです。糸の種類や加工のしかた…ここに至るまでに
何度もミーティングを重ねます。

紺とか…結構難しいな…赤みを強くするか、彩度を上げるか、渋くカッコ良く仕上げるか
…黄色も難しいな…グランドに使うよりも差し色に使うときも、かなり慎重になります。
黒も赤も白も…ピンクも…どの色ひとつとっても簡単なものはありません。

つい最近、息子が色彩検定の試験を受けると言う。
「頑張ってね!」と伝えるけど、心の中では色の問題は「試験」ではわからないと
どこかで思っている私もいます(笑)

私は自分が疲れているときには決して色は見ません。スケジュールを確かめてから、ギリギリいっぱい締め切りを延ばしてもらいます。延ばせないときは、まずお茶を飲んだりチョコレートを食べたり…「今の時期の葡萄っておいしいのよね〜」
などと、あたかも全く違う話題のようなことを話しながら、葡萄の色などを頭の中でイメージしていたりします。

少しでも締め切りに余裕のあるときは、自分の体調やマインドを客観的に見て
「今日は駄目。色は決められない…ちょっとだけ休ませて」

ものすごい集中力と、エネルギーが必要なの。
そのためにいつも、最高のジャッジが出来るように整える。
これがものつくりの一番の仕事といえるかもしれません。


出来上がってしまえば、どこにでもあるようなチェック…
これはフリースにプリントで表現しています。
柄はコンピューターで描きます。こういう何でもないものが逆にとても難しいと感じます。
何度もやり直して難産した柄です。

10年に一度くらい、ビーカーもサンプルも仕上げても
「ごめんなさい!この企画没にして下さい!」と頼むことがあるの。
ま、そういう人騒がせは、かなり少ない方だと思うけど…(笑)
全力投球しても、キャッチボールがうまくいかなかったり、基本的な組み立ての詰めが甘かったりして、最後の最後で納得がいかないもの。

それを私は捨てます。断腸の思いで捨てます。

それに関わった全ての人に対して、心から申し訳ないと思いながら…。
いくら展示会が決まっていても数合わせになるようなものだけは作りたくないのです。

それが私の「エコ」です。量産する現場では瞬時に数千、数万という単位で
「もの」は出来上がります。必要ないと判断したときの私の動きは速いです。
そしてまたこつこつと最初から作りはじめます。

2009.09.26 Saturday

歯の丈夫な人

 
少し前に歯の話を書きました…ご心配頂いた方に、ごめんなさいもう大丈夫です!と
お伝えしておきます。
疲れると弱い所にでるねえ〜。
まあそれはそれとして、しょうがないよね。

実は私の歯は、かなり丈夫に出来ている。子供の頃から歯医者さんに行くと必ず
「いい歯だねえ。大事にしなさい」と言ってもらった。
私の母は、料理がめちゃくちゃに巧い。
料理が巧いということは家族が健康に過ごせると言う意味もある。

けれど、つい5、6年くらい前から「歯」が丈夫だからアダになる…ということを知る。
歯が丈夫だと歯茎に負担がかかるらしい。特に私は寝ている間に歯ぎしりをするの。
歯ぎしりで歯が削れる…ひどいときは歯茎が負けて噛み合わせが大幅にずれる。
マウスピースなども何度か作ったけど長続きしない。違和感があるのは夢見も悪いの。

東京で一人暮らしをはじめた18才のころ。
私は1年でほぼ10キロくらいいきなり太った。家にいればあれこれと色々な種類の食材を
平均的に食べているのに、一人暮らしだとつい、炭水化物が中心の食事になる。
うどんや、ラーメン…それだけで、すべてを満たしてしまう。
今の学生たちとは時代が違って、デザートなんてものは、特別のときしか食べないものと
思っていた。デザートなしで10キロも太る(笑)部活を急にやめたのも多分大きい。
当時は誰も体重計なども持っていないから、野方図に順調に太った(笑)
栄養バランスに問題があるんだなんて知恵は、今のような情報社会だからこそ
みんな知っていること。あのころは何も考えていなかった。

けれど意思は強い。とある夏休みに決心をして田舎に帰り、1ヶ月で8キロのダイエットに成功する。思えば散々無茶なこともやってきたよ。
そういうこともやってみなけりゃわからないしね。
だからもちろん決心すれば必ず目標に達する自信はある。少し落とそうかと最近思ったら
このところ体重は緩やかに下降線…よしよし。

ふと気づけば、息子が知らぬ間に8キロも落としている。
そういえば、1年ほど前からやたらに食べ物を気にするようになった。
…そういう年頃なのかもしれない。
野菜とかは山ほど食べて、夜食には納豆と決めているらしい。
食欲がない訳でもないので、心配は全くないと思うけれど、私に似て(笑)息子も結構
意志が強い。
夜中にケーキなどの誘いをかけても、応じないのはあっぱれ。

我が家は基本的には母以外は結構無口。
信じられないかもしれないが、私も仕事以外では、口は重い。
だから母がいないと家の中はシンと静まり返っている。
80もとうに過ぎて、母は今、入れ歯の辛さを訴えている。
インプラントにしてみようかな…などと言う。
大切なことを今、母から教えてもらっているのだ。
それを生かすも殺すも、受け止め方次第。
…歯磨きをしながら、そう思っている。

今度新発売するグラスの猫の絵は、にっこり笑って歯がぞろりと並んでいる
猫の顔を描きました。普段使いのさりげないコップ。
「歯を大事に…」そんなメッセージを思い出しながら
歯磨きコップなどにも使っていただけたらすごく嬉しい。
もうじき発売になると思います。


今日の写真は、タオル美術館のリニューアルのときに
最後の最後まで粘って作った作品と、パッチワークのような手法で作った
カトラリーやポーチ。刺繍糸を入れておくケースなども…。
最初の写真は積み忘れて…今はまだカボ企画に置いてあります。
表情の細いラインはタオルの脇の「ヘム」を丁寧に細く切って使用しています。

来年は、はやいものでタオル美術館も10周年になります。
本当に沢山の方々のご来場に、心から感謝申し上げます。

…数えてみれば今年も残す所3ヶ月か…。新型インフルエンザのワクチン…一日も早く
できないかなあ…。持病もある高齢の母には、真っ先に受けさせたいんだ。

2009.09.25 Friday

葉っぱをただ 葉っぱだと思う人

昨日はかなり固い文章を書いてしまった…(笑)
ちょっと学生時代の私…に再会した気分。…ま、誰の中にもそうだけど、色々な私がいるということで…(ぺこり)
自分の欠点といえば「真面目すぎるとこ」そして自分の長所といえば「真面目なとこ」…笑

振り返れば「小説」のようなものも、ものすごく書いてきました。
だから、名作に出会うと血が騒ぐ。いつか書ける日が来たらいいと思うけれど
世界中は素晴らしい人たちで溢れているようで、私はもちろん、その末席にも座れていないから、ごちゃごちゃ、くどくどと言い訳のように長い話になってしまう。

夢中になると寝食を忘れて没頭。
書き上がると…描き上がると…結構けろっとしている。余り振り返らない。
もともと余り「執着」しない方だと思う。
けれど、思い立ったらそのときだけは、自分で表現したいものととことん向き合う。
…そして厄介なことに、「そのとき」がいつやってくるか見当がつかない。

アトリエにこもりはじめてから、30年近くなる。
毎晩何かしら、ひとりでやっている。
現実的な締め切りだけに留まらないのが、継続できた一番の理由のような気もする。

絵や言葉だけでなく、針と糸だったり、木切れをじっと見ていたり…。
古道具屋さんのごちゃごちゃに積まれた店先とかでは、いつもしばらく動けなくなる。
沢山のものたちの声が聞こえて来るような気になる。

タオル美術館が出来てから、私の心はものすごく落ち着いている。
書き上がった絵や作品は、すぐに梱包されて手元から引き離される。
それがいい…。

昔は東高円寺の駅前にギャラリーを持っていた。
その時々に心に浮かぶものを作ったり書いたりして、自由に展示して来た。
今でも倉庫のなかに、山のように積まれていたりする。
それを見るのが結構辛いの(笑)
自分の足跡をたどるのは、もう少し暇になってからでいい。
過去にとらわれていると前に進めないような気になる。


タイトルの葉っぱをただ 葉っぱだと思う人…というのは、いじわるうさぎの絵本のなかに書いた一節。いじわるうさぎの苦手なもののひとつだ。

先日地震に襲われた中国四川省のパンダのその後…という特番を観た。
そのときの「恐怖」が与える影響が、ようやく癒えるまでに約半年かかったという。
異常行動や、食欲不信など、様々な難問をひとつずつ、忍耐強く解決して行く飼育員の心の動きが画面から伝わってくると、また人間というものが好きになる。
パンダの主食は「笹」…そのテレビを観ながら、私はいじわるうさぎがつぶやいた一言を
思い出していた。
葉っぱをただ、葉っぱだと思わない人たちが、そこにいると思うと嬉しくなった。

固い幹を食べるためにパンダの歯は、鋭く出来ている。
その犬歯がなかなか生えて来ないパンダに、飼育員は心を砕く。
歯が弱くても食べられるものを、地震の傷跡が残る施設で黙々と作る。
人間は本当に素敵だ。パンダにもうさぎにも出来ないことを、黙って補佐できる存在は
この世界の生物のなかでも、特出している。
私は人間も自然の一部だと思っているので、地上から人間が淘汰されて行くと言う説には
全く賛同できない。
環境の破壊も確かに人間がやったことではあるけれど、必ずそれを修復できる力も
人間は持っているのだと信じて続けている。

…いつか映画を作りたいと思う。
さりげなく簡素なもの…。小さな劇場でささやかに公開してみたいな。
そんな「夢」も私の引き出しの中に入っている。

絵と言葉と音楽…そのみっつのものを合わせた世界は、色々な形をイメージできる。
映画もそのひとつなんだと思うし、舞台やライブもその中にはある。
決してハードルは低くない。
挑戦者として挑んでみたいと思う。
それが私のスタジオを持つと言う夢につながっている。
たぶんまた、引きこもりの生活が続くんだろうな(笑)


今日の絵は高崎市で開かれた「緑化フェアー」のときに書き下ろした50号の油彩の連作が
2枚と、最後のはタオルで描いたもの。
タオルをただ、タオルとは思わない…という意識で作りました(笑)
たぶん80号くらいだったと思います…忘れた(笑)
何度か紹介したけれど、このタオル絵に使っているタオルは、丸く切って周りを手縫いして
ビーズのように丸めたもの。中国の人たちに根気よく作って頂きました。
この絵を1枚仕上げるのにたぶん6千個以上使ったと思います。
確か…今タオル美術館に展示中です。

タイトルはすべて「緑の街が私を育てた」

2009.09.24 Thursday

映画を観る…老人と海

 夕べ深夜遅くにたまたまテレビをつけたらBSでヘミングウェイの「老人と海」が丁度はじまる所でした。
私は中学生のときに本を読んでいたので、懐かしさも手伝って、結局最後までしっかり観ました。
原作がしっかりしているのと、出演者が少ない映画なので、それが古臭さを感じさせない効果もあって…久しぶりに「観たぞ!」みたいな気持ちになりました。
ネットで調べたら1958年に作られたアメリカ映画。

けれどその当時は、もちろんCGもないのに、カジキマグロが跳ねるシーン…サメが襲って来るシーンなど、どれもが、迫力満点。
流麗な語りと少ない台詞のバランスも絶妙。これはなかなかの名作と感じ入った!

映画としては地味なものだと思います。けれど観た後に、増々深くその世界にもぐって行きたくなっています。
感想文なんて一体何年前に書いたか忘れたけど、ちょっと書いてみようかな…。

ひとりの老人がいる。長年漁師として生きてきた人生。
海のことなら何でも知っている。孤独な人に良くあるように、想像力は豊かだが、口数は多くない。観察力は鋭く、自然と言う大きなものには強い畏敬の念を持ち、それが主人公としてふさわしい風格を作っている。
その老人を慕う少年がいる。親は貧しく、その少年を老人と一緒に漁に出すが、長い不漁続きの日々に見切りを付けて、少年は両親の意向で別の舟に乗ることになった。
けれど老人がひとりで漁から帰る時間、少年は桟橋で老人を待ち、あれこれと世話を焼くのだ。
他の船に乗って、大物を何匹も釣り上げた少年は、老人のために自分ができることはないかと考える。80日以上の不漁で、老人の家には食べるものもろくにない有様。
けれど老人は決して弱音を吐くこともなく、だからこそ、その尊厳を保ったまま、希望を捨てていない目をしていられるのだ。

少年が何故その老人を慕うのか…その理由がその場面から伝わってくる。

貧しくても不屈の魂を持っているからなのだ。
少年は自分で買った漁のためのえさや、老人の食事などを調達して、そのまっすぐな目で
何とか老人の力になろうとしている。
この少年の気持ちは、まるで神に仕える使徒のようでもあり、物語に救いを与えている。
そして、老人は「あるがまま」の事態を受け入れ、長い不漁の時期が明けるのを信じながら、黙々と出航する。

街の人たちは、漁から空手で帰った老人を哀れむような視線で見ることもあるが、同時に祈りにも似た気持ちも抱き、常に老人のことを目の縁に感じている。

広い海の中で一枚の葉っぱのように頼りない小舟には、水しか積んでいない。
その舟を漕ぎだして、老人と巨大な怪物のようなカジキマグロの死闘とも言える4日間をつぶさに描き出しているヘミングウェイの筆致の鋭さは、それを読む人の心まで巻き込んでどんどん勢いを増して行くように思える。

食うか食われるかの極限にまで追い込まれる老人と対峙しているカジキマグロは、老人の風格に負けるとも劣らない堂々たる魚。頭も良いし経験も豊富な海の生き物として描かれている。

これはハッピーエンドを期待する人には重すぎる結末が待っている。
闘いには勝っても、老人にはまた次々と試練が起こる。港にたどり着いたときは、このまま死んでしまうような気もした。サメにくいちぎられたカジキマグロに、老人が謝るシーンは
切ない。
海の男として迷わず挑み、闘い抜いて勝ったところで、その結末は単純ではないし
ハッピーでもない…。そこに嫌というほどリアリティーを書き切っている作家の魂に触れた気がする。
人生と言う深遠な世界では、今流行の「奇跡」もめったには起こらないのだ。
けれど観客は求めるだろう。居心地の良い椅子に座り、神も仏もそこにいると信じさせてくれる何かを期待するかもしれない。その期待に応えているのが、今の時代のものつくり全般に流れている風潮かもしれないと、ふと思った。

私は昔あるトップ企業の社長に向かい、こう言ったことがある。
「神も仏もいないのよ!こんな理不尽なことがまかり通るなんて許せない!」
トコトン準備を整え、丁寧にやった仕事が伝わらない現場に遭遇したときのことだった。
するとその社長はすかさずこう言った。
「先生!それは違う!この世には神も仏もいる!」
多分二人とも涙ぐんでいたに違いない。その言葉に私は両頬を打たれたような気になった。
しばらくの沈黙の後、私は「そうですね。確かにいます。まあ、次があるってことですね…」と答えた。

死んだように眠る老人が息をしているかどうか確かめる少年の動きはやさしい。
その前に老人が仕留めたカジキマグロの、想像を絶する巨大さをすでに少年は確認してきたのだ。
街の人々は、老練な漁師としての生き様をくっきりと見せつけられたとき、決して多くはない言葉を尊敬を込めて老人のために使う。
このシーンでは、読者も観客も、その行間を読まなくてはならない。今のアメリカ映画なら、大喝采と拍手でこの場を盛り上げようとするに違いないところだろう。読後感は確かにさわやかではあるが、そこから先の物語へと思いを馳せる余韻には及ばない。

この物語のすごさは、中学生のときには決してわからなかった。
もう一度原作を読み直したいとも思うけれど、映画と言う五感に訴える力を持ったものを
観た直後では、私の想像力は、決してその画面からはみ出せるとも思えない。
もう少し時期を待つことにしたいと思った。

老人の手には、死闘の傷跡が生々しく残っている。少年はその傷に心を打たれ
すぐに老人のために砂糖とミルクを入れたコーヒーを買いに飛び出して行く。

「いつこの風はやむの?」少年の問いかけに老人は答える。
「たぶん、2、3、日のことさ」
「今度は絶対一緒に行く!」
「親の言うことはちゃんと聞かなきゃな…」
「そんなこともうどうでもいい。一緒に行く」
細かい言い回しは違うかもしれないが、少年が老人を見る目には強い憧れが宿っている。
「手を治さなきゃね」少年の言葉に、老人がはじめて気弱につぶやく。
「途中でへんなものも吐いたよ。まるで胸がつぶれたかもしれないと思ったときにね!」
老人の言葉に少年は、さらりと答える。
「じゃあ、それも早く治して!」

一点の曇りもない少年の目の中に、明日への希望がある。
少年の心の中には、またこの老人と一緒に漁をする日のことしかない。
きっとその漁の中では、老人の知恵が、何度も少年に注ぎこまれたに違いない。

最後に老人は少年に言います。「私には運がない」…と。
すると少年は「大丈夫、運は僕が持って行く!」と答えます。
少年と老人の違い…それはこの短い会話から感じとれると思います。

自然と言う大きなものに立ち向かうとしたら、人間は確かにとても小さい。
何度も「死」と隣り合わせにある壮絶な生き様から垣間見えるものが
「運」だという言葉に、老人の悲哀がこもっている。
老いる…ということは多分こういうことなのだろう…。

奇跡は待つものでも、見せてもらうものでもない。
奇跡が起きたとしてもそれがハッピーエンドとは限らない。
あやふやなものだけに自分の人生をゆだねる訳には行かない。
けれど私は、ちょっとした雲の動き、月明かりや花が咲く瞬間にも
奇跡の気配を感じ取っている。
それはきっと幸せに過ごすために、自分が自分に見せている
奇跡なのかもしれない。

2009.09.23 Wednesday

ときにはやさしさが「毒」になる

カボ企画の冷蔵庫には、いつも私が疲れたときにちょっと欲しいな…と思うものが
いつの間にか補充されて入っています。
スタッフが、黙って整えてくれているのです。
私のスタッフたちは、過去も現在も含めて、本当に素晴らしい人ばかり。
それがどんなに幸せなことか…充分にわかっているからね〜(笑)

一番長いスタッフは20年以上、もうひとりは17年…というベテランたちもいる。
通常の仕事のほかに、いきなり飛び込んでくる仕事も数々。
作品展だよ…といえば、カンバスにジェッソを塗り、油彩の道具を一番使いやすい位置に
全部並べておいてくれる。
ライブだよと言えば、衣装や食べ物のこと。段取りや構成表…がすぐマップになって
見やすい位置に貼られている。
「あのとき描いたあのデザイン…どこだっけ?」と言えば、魔法のように目の前にすぐに
出てくる。だってもうとっくにデザインは数千点もある。その中の1点なの。
お茶にはうるさい私…コーヒーも紅茶も日本茶も…いつもカボ企画は絶品。
おやつによって飲み物の種類も様々に。
そんなカボ企画には、カウンターキッチンはあるけど、本格的なキッチンを作らなかった。
それだけが今のカボ企画に足りない…とずっと思ってきました。

次のアトリエはキッチンを作る。まずそこから入っていきました。
それも3、4人が動けるスペースが欲しいな。カボ企画の特製メニューも作ろうか…
今までの小さな冷蔵庫じゃなくて、600リットル以上のものを入れようね〜。
毎日楽しい会話が飛び交う。

いざ本番…そういうときのカボ企画の結束も半端じゃないの。
彼女たちは完璧なプロに徹してくれる。そして何故かとびきり明るいの。


昔とある人から言われたことがある。
俣野さんのスタッフは、みんな自主的に動く…と。
誰かに言われて「はい!」ということは驚くほど少なく、俣野さんが次に考えていることの先に動く…と。…そうなのよ。すぐに私はみんなに読まれちゃうの(笑)

コホン…これは自慢ですが、我が社は全員「誰かのためにできること」を中心に動いていると思うのです。私のことだけじゃなく、だれかひとりでも弱っていると、みんな全然別のことをしながらも、ずっと支えている…そういう会社です。


けれど人は慣れます。…そういうことも「当たり前」だと受け取ると、大きな亀裂が走ります。そういうことってみんなの努力が積み重なってできているのです。
自分がいっぱいいっぱいになっていると、人は「感謝の心」を忘れます。
当たり前…これがとても「くせ者」です。
人は「やさしさ」にも慣れてしまいます。いつもいつもやさしく接してもらっていると
ちょっとでも違う素振りを見せたら疑いはじめて、不平不満になっていきます。

ときにはやさしさも「毒」になる…このタイトルには沢山の想いを含んでいます。
やさしさは「甘え」とセットになると手強い。それは増長していきます。
やさしさは「厳しさ」とセットになったとき、はじめてその本来の光を放ちはじめます。

「心」というものは、決して素晴らしいもんじゃない…と私はあえて言ってしまいます。
激しく高鳴り、燃え盛り、あれも欲しいこれも欲しい!と叫ぶのが「心」
その「心」を抑えて、統治する意識を持つことこそが素晴らしいのだと思うのです。
…それこそが「知恵」とも呼べるかもしれません。

心の領域では。誰かと闘い「勝とう!」という意識を持った途端に、人は負けます。
その「負け」を認められないと人はとても苦しみます。
そして相手を攻撃し続けます。そして、決して心が鎮まることはないでしょう。

若い頃の私(おっと今もかな)良く「毒」と「薬」の使い方を間違えます(笑)
でもそれは、たいした問題ではありません。それが「ありのまま」の私ですから。
私は今、とても心が軽くなっています。重い荷物を下ろしたのです。
ずっと引き出しの中に大切にしまっていた原稿を、ばっさりと捨ててしまいました。
もう一度最初からです。
その中には私の精一杯が詰まっていましたが、それを書き直すのではなく、新しいものを最初から書きはじめます!
きっと今度も、七転八倒するのでしょうが…とても楽しみです。

そして、私の自慢のスタッフたちは歴代のみんなも含めて…私がそういう決断をするとき
必ず以前よりも輝くものたちが生まれることを、私よりも良く知っています(笑)

ついさっき連休中のスタッフからエールのメールが入りました。
ちょっと泣いた。ものすごくハイテンションの楽しいメールだったけど
痛いほど伝わって来たものがありました。

今日の絵は今の企画室のスタッフたちがモデルです。
みんなピエロの衣装を着せています。
人生は泣いたり笑ったりの連続。
それは「道化師」の姿が似合うような気がして、私は出会った人たちにみんなピエロの衣装を着せて、描き続けてみたいと思っています。
このシリーズは多分、私のライフワークになる予定です。
2009.09.22 Tuesday

いじわるうさぎ健在

















ここは日頃私がデザインの仕事をする場所。
このMacはもう10年以上使っているもの。
かなり調子が悪いけど、だましだまし使っています(笑)
モニターも小さいの。
他にMac Pro(映像編集用)と諸々の仕事用にはiMacを2台。
ハードディスクは1テラを4台。型は古いけど、馬力はまだある。
…なんか、自分を見てるみたい(笑)

この5連休の間に、私はずっと心に引っかかっていたことと向き合おうとしていました。
そしてようやく決心を固めました(笑)

そういえば、昔、とある編集者と、どうしてもうまくいかなかったことがあります。
私にとって「普通」のことが、相手の琴線に触れてしまうの。
何度も押し問答をしたあげくに、結局私は出版を取り下げました。
その人に合わせることに意味がなかった。途中、私は著者の欄に編集者の名前を書いて
「ごめんなさい。私の本じゃない。あなたの名前で出して下さい」と突き返したの。
それぞれに価値観がある。編集者は「私の言う通りに書いたら売れる」
「そうじゃなかったら、もう2度と本は出せなくなるかも…」と言われたとき
私は堪忍袋の緒を切った。
「もしもそれが私が憧れていた出版の世界なら、私の方から縁を切ります!」と。

私はいつもかなりはっきりとものを言う。色々な仕事を同時に進めて行く現場は
少しでも矛盾を生じると、自分が一体どこにいるのかわからなくなる。
その軸をずらさないように、仕事の現場ではいつも、神経を集中させている。
けれどこういう現場は驚くほど少ない。…だからしっかり記憶しているんだけど(笑)

普通は…とても楽しく和気あいあいと進んで行く現場がほとんど。
私の現場の楽しさを知っている人たちは多い。
…それは決して甘くないし、ものすごい緊張感を伴うこともしばしばだけれど
出来上がったものに、いつの間にかなぐさめられて、小さなことなど
どうでもいいような気になる。
普通はそこで終了する。目的が達成されればそこで終了する。

けれどそれでもなお問題が解決しない場合…それは滅多にないけれど…。
ここ半年余り宙に浮いている仕事がある。
もうすでに何度もさじは投げたけれど、もう一度だけ…祈るように受話器を持った。

…本当のことは相手を傷つける…ずいぶん昔書いた「いじわるうさぎ」というキャラクター
は、そんな経験から生まれた、私の分身のようなもの。
私の心の中にいきなり「いじうさ」がぴょんと飛び出してきて、私を横目でにらむ。

思えば…いつの間にかずいぶん丸くなったものだ私も…と苦笑したりする。
心の中は怒っているのに、顔は笑っている。言葉はどんどん丁寧になる。
私らしくない会話が続く…私はトコトン疲れている。
自分ではないものになろうとすると、人は「疲れる」のだ。
…思い出せば、その現場ほどぐったりと疲れを感じたことは今までになかったかも。
何とか巧くクリアーできればと考えていた。

だから、自分に集中したくて、もう何も話したくない…けれど、
何とかしなければと思い、私はまた重い口を開く。
「違うんだよ。何もかもが…」と思いながら「良かったよ!」などと言っている。
あるいは「良かったよ!」の変わりに、目を閉じて黙り込む。
ものつくりの現場は、上も下もなくフェアーなもの。
お互いに自分の力を出し切れてこそ、成立するもの。

そこでは、芝居の舞台のように役所は最初から決まっている。
それぞれが自分のことに精一杯になっている緊張した空気が
「結晶」を生むんだと私は思っている。

実はものすごくシンプルなことなんだ。
その成り立ちがわかってない人たち…との現場は、破天荒な学園祭のようになる。
まあ、まだキャリアが浅いのだからしょうがない…か…とことん付き合いながら
我慢に我慢を重ねてしまう。
みんなで一緒に出来ることは驚くほど少ない。
それぞれが自分のパートを支え切らなければ成立しない。

ほめられなくても、評価されなくても
自分が今何をやっているのかは、自分で充分わかっている。
自分で準備し、精一杯やったものと向き合う時は本当にドキドキするし、ハラハラするし、色々葛藤はあるけれど、ぐっと自分で背負い直すのみ。
そこでは何を話しても言い訳になるし、自分を正当化しようとすれば悪あがきになるだけ。
どんな言い訳もきかない世界なのよ。

…そう…もしかしたら「満足」したいのかな…。ほめてもらいたいのかな…(笑)
そういうこと…すでに私にはもうない。
喜んで頂きたいから、自分は空っぽになってしまう。
自分の持てるものを全部出してもまだ足りない…と思いながら
なるべく周りに気を遣わせないように、冗談などを言っている。
一緒にものを作る現場はある意味「運命共同体」だ。出来上がって行くものたちだけを
見ている。それを作った人が誰なのかも忘れているほど…。

まさに、終わったあとでごちゃごちゃ言うのは学生時代の反省会みたいなものだ。
プロは出来上がったものがすべて。
それを客観的に見て、お客様よりも先に、判断する。
失敗か成功か…そういうことも、全部自分の内側の中でのこと。
決して誰かのせいにはしない。
思えばそれを作りあげるのに、1年余りがかかっている。
十年先までスケジュールが埋まっている私にしては、かなり根を詰めた仕事だった。
それが最後の最後のところで、うまくいかない。
私の疲労も極限に近かった。このまま進んでも駄目だな…
多分私は生まれてはじめて…白いタオルを投げた。

自分の会社だけど、ごめん!何とか埋め合わせがするから、この仕事少し休ませて…。

自分なんかどうでもいいの。どこにもいなくてもいい。
いちいち確かめなくていい。何も…。
無心にひたすら走っているマラソン選手のように…。走り続けること
…それだけが私の目標だった。
そんな私が掲げた白旗…みんな途中経過を知っているから、切ないほどやさしい。

私はいつも「打ち上げ」はやっても「反省会」はしない。
全員フルパワーで頑張ったね!それが重要。
もしもそこに不手際があってもたいしたことはない。
それが次の作品に輝きを加えるものだと信じられるから。

いじわるうさぎが、ちょこんと私の隣に座り、Macの画面を覗き込んでいる。
「そうだよ…本当にいいものが作りたかったら自分を大事にしなきゃだめだよ」
思えば30年という長い年月をただ作り続けてきました。
その中には矛盾も挫折も、何度も経験し、泣いたり笑ったりの繰り返し。
自分がやったことだけが…ただ、そこにあるだけ。
私は出来る限りのことをやりました。私の全身全霊で挑みました。
それが全てです。それが伝わらないとしたら、余りにも徒労感の多い現場でした。

今私は充分に休養をとり…その経験を生かして
自分のハードルをまた少し上げながら、新たに作りはじめています。
皆様どうぞご期待ください。
いじわるうさぎは今も健在!

2枚目の写真はタオル美術館に展示中の長さ四十メートルのバスタオルです!
この絵を描くのは、1ヶ月くらいかかったかな…
縮小して書いても、ものすごい巻物みたいになるのです。
幸せの旅…と名付けました。
2009.09.21 Monday

5連休3日目

 
休みも後2日あると思えば、気も楽ですが…もう3日も過ぎてしまった…と思えば…。
考え方は様々…私はまあそれなりに充実もして、焦っている仕事もありで複雑です。
今夜はようやくやりたかったことに取りかかり、また筆を置いています。

昼間の打ち合わせはばっちり。後は待つだけ…。

ちょっとホッとしたら、学生時代に良く通ったジャズ喫茶を思い出しています。
誰も話さない場所に、ただ音楽だけが流れています。
人に疲れると、私は良くその店の扉を開けて、ひとりで隅っこの席に座っていました。
コミュニケーションが問題視されている今は、逆に「沈黙」も糾弾されるような気がしています。…そうやってただ放っておいてくれる場所…それも少なくなりました。

企画の仕事でも、私は時々周囲が心配するほど無口になります。
スタッフは心得ていて「ごめん!今日は駄目だ…」といえば、あ、うんの呼吸で
私をひとりにしておいてくれます。
けれど彼女たちの笑顔が、いつもそんな私を簡単に「その気」にさせてくれているのに
気づいているかなあ…そんなことを思いながら、久しぶりにちょっと
ヘビーなジャズを聴いています。

今日はとある方にお借りした本を2冊…1冊は重いです。もう1冊は軽いです。
読む順番を間違えないように…。もちろん先に重い方から読んでみて下さい。
3ページも読み進まないうちに、すでにトーンダウン(笑)
この本をこの貴重な休みに読まなくてはならないものかと……。
ご忠告はありがたく頂戴して、ちょっと軽くて甘い方に手を伸ばしている私(笑)
まあいいよね。5連休の3日目なんだから…と訳の分からない言い訳をしながら
すっかりトーンダウンした心をちょっと持て余している私(笑)

秋の夜長…まだ時間はたっぷりあります。
ちょっと仕事でもはじめようか…な。


写真はタオル美術館に展示中のものです。
上は「哲学するねずみ」というタイトルで、下のは「ライバル」
ふたつとも、私にとって、とても思い出深い作品です。
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