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2009.01.26 Monday

レモンの木の下で

タオル美術館のお庭のレモンの木の下で撮った写真です。このレモンを私はいくつか摘んで、東京まで持ち帰りました。そして毎日のお料理にせっせと使いました。
サラダやお肉や紅茶にも…。
そのたびに私の頭の中には、あの日の事がよみがえります。

もう少し離れたところに鈴なりになっていたキンカンは、テーブルの上に山盛りにしておいたら、誰かがつまんでいつの間にかきれいに食べ終わってしまいました。
今はすべて私の心の中にあります。

私はそういう思い出を絵に描きます。言葉に書きます。考えてみればただ、それだけのことなのです。
皆さんもやってみてはいかがでしょう。とても簡単です。
実は私はこの年になってはじめて、レモンが実を付けているのを見ました。
多分、何度もタオル美術館に行っているので、今までも見ているのです。だけど私は他の事に心を奪われていて、本当に見たのかどうか記憶にはありません。

普段何気なくすぐ近くにあるもの。もしかしたらそういうものも実は、まだ一度も見ていないものかもしれないと、ふと思いました。
そう思いながら周りを見渡すととても面白いです。

2009.01.12 Monday

四国へ…Vol.3 タオル美術館リニューアル

一輪の花のために…部分。
今回のリニューアルには、特に特別な想いがあります。一番広いブース(約150坪)を中心に、オープン以来多分最大のリニューアルになると思います。
もうかなり構想はまとまりつつありますが、私は事前のプレゼンが大の苦手。
言霊(ことだま)というのがあるでしょ。だから、発表してしまうと、想いの方が薄れて行くような気がします。だから今はまだ、私の内側だけで留めているの。
今回は内装にも大きな変化を…と考えているので、ずっと図面とにらめっこの日々。
作品制作に当たっては、実は中国にも応援を頼みました。小さなタオルで作る「タオルビーズ」と私が名付けたパーツ作りをお願いしているのです。

…それも8万個…という量です。タオルを丸く切って周りをぐし縫いして作る、気が遠くなるような作業の連続。私もカボのスタッフも頑張って作ってみたけど、一日中針を持っても、ひとりで40〜50個しか出来ません。
それを8万個…もお願いしました。高崎のとき5点ほどの作品を作るのに軽く3万個近くが必要でした。
今回はそれよりも大きな作品を連作で10点以上作ります。それ以外にも沢山パーツを頼みました。それがすべて明日到着します。
今回のパーツ作りの時、高崎用に仕上げた作品の写真を中国に送ったら、みんな大歓声だったらしいです。出会ったことのない人たちだけれど、タオルを通じてつながっているのが本当に嬉しい。

一粒でも無駄にしないと覚悟を決めて、カボ企画は足の踏み場もない修羅場に変貌します。

今回の旅の目的は、実は私には別の意味もありました。オープン当初からメインブースに掛けられていた作品たちと、もう一度出会っておきたかったのです。
その中には9年間、一度も掛けかえないまま、私のブースを支えてくれた作品もあります。
それは「一輪の花のために」という13枚の連作。元は私がゴム版画で1枚ずつ彫ったもの。その版画を元にして、タオル織機で織り上げた連作です。
その作品には、とても思い入れがあります。そして、タオル美術館のための作品作りに取りかかった最初のもの。
それに、もう一度どうしても会いたかったのです。

今回のリニューアルで、私はその連作をしばらく倉庫に保管してもらうことになると思うの。きっと当分表には出さないだろうな…。
そんな気持ちを込めて、私は久しぶりにその連作をながめてきました。
「お疲れさま!ありがとう…」と心のなかで何度もつぶやきました。

2年ほど前にタオル美術館の初代館長さんの訃報が突然飛び込んできた日のことを、私は一生忘れないでしょう。私のことをとても深くご理解頂き、大変お世話になった方でした。
取るものも取りあえず、飛行機に飛び乗り最後のお別れをしました。そんな日のことが昨日のことのように次々と鮮やかに浮かびました。
亡くなるほんの数ヶ月前に、館長さんとリニューアルの打ち合わせをしました。今でも信じられないほど、突然に逝ってしまわれた館長さんが、一番気に入って下さっていた作品…それが「一輪の花のために」…でした。

その作品の飾られているブースで、私は何度も片手を上げて笑いながら歩いて来る初代館長さんのダンディな姿を思い出しました。今でもニコニコ笑いながら、ひょっこりと顔を出して下さるような気がしてなりませんでした。
2009.01.12 Monday

四国へ…Vol.2 空に包まれる休日

タオルと本格的に向き合ってから12年目の浅い春。しみじみとタオルと出会えて良かったと思います。
どこの家にも必ずあって、暮らしと密接に関わりながら、主張しすぎることもなく、優しく包んでくれるツールは、ちょっと他には見当たりません。

今回の旅のビッグサプライズのふたつめ。いつも今治国際ホテルに宿泊するのだけれど、な、なんとそこの17階の二部屋に、Ladies Planのためのお部屋というのがあって、そこの壁には私の描いたCG画とか、グラスとかカップとか、勿論タオルも…全部私のもので構成されていました。
希望すればエステもセットになっています。頑張っている自分へのご褒美と言うコンセプトで、そのプランの名前が「空に包まれる休日」…というの。
17階からの景色は本当に空に近いと感じられる場所。…素敵なネーミングに脱帽です。
私たちが宿泊した日は、予約で埋まっていましたが、朝早くチェックアウトをなさったらしく、お部屋を見せてもらいました。もー…チョー感激です!
…もの作りやってて良かった…

私の記憶違いでなければ、このホテルはタオル美術館が出来る少し前に出来たホテル。
出来たばかりの時から、今治で泊まるのはこのホテル…と決めてしまいました。
ゆったりした客室も、朝食のバイキングもおいしいの。
3階にある露天風呂には思い出があります。

タオル美術館の設営のとき、200点余りの展示を2日で仕上げることになって、初日は間に合わずに明け方の4時まで作業して、2時間ほどの仮眠…けれどいざ、起きてみたら、身体が動かない…腰も背中も固まったようになっていました。
どうしよう…とホテルのパンフレットを開いたら、3階に温泉があると書いてあったの。
私は祈るような気持ちで、その温泉に入りました。広い露天風呂も完備してあって、海水温泉…というのかな…ちょっとしょっぱい温泉。
ゆっくりとその温泉につかって出てきた時は、元気百倍!その日の作業は滞りなく順調に進み…明け方の疲れは嘘のように消えていました。

実は私はその日以来、温泉に目覚めたと言ってもいい。
今回ももちろん、ゆっくり温泉に入りました。疲労回復には飛び切りの効果があります。体験者として証言しちゃいます!
是非皆様も旅のご計画があるのなら、お勧めです!勿論タオル美術館もすぐ近くです。
http://www.imabari-kokusai-hotel.co.jp/


2009.01.10 Saturday

四国へ…Vol.1

まずはいきなり食べ物から。タオル美術館のミュージアムカフェのデザートです。
フレッシュなイチゴのソースがアイスクリームと絶妙な相性。最近少しウエイトを気にしていたのだけど、すっかり忘れてまず目が釘付け。そんなに甘くないのにものすごい満足感がありました。
プチシューは食べるのが惜しいほど可愛いの。
これはランチのオードブル。何しろ四国の野菜は、おいしい!!それぞれの味が、きっちりとしていておいしかったよ。
メインは和牛のステーキ。生野菜が山ほど乗せてありました。残念ながら食欲に負けて写真撮影は忘れました(笑)
それにしても平日だというのにミュージアムカフェは満席。女性たちの憩いの場になっていました。このランチを皮切りに、ともかく食べて食べて、あきれるほど食べ続けていた私。帰ったら、少し落とした体重が見事にもとに戻っていましたが、後悔はありません(笑)
昨日四国まで飛びました。タオル美術館のリニューアルの下見です。
…そして今日戻りました。
久しぶりに行った、我が家のような場所はとても温かく迎えてくれました。
松山空港は、天気予報では曇りと出ていたのに、時々まぶしいほどの光が降り注ぎ、天気雨のように突然パラッと降る雨もありで、それは私の心の中をそのまま現しているようでした。
思い出のぎっしり詰まった場所は、重かったり軽かったりして…私の心には雪も雨も風も太陽も次々と顔を出して、オープンしてから9年と言う歳月の中に眠らせていたすべてを映画のシーンのように、繰り返し見せるのです。

タオル美術館の庭にはレモンがたわわに実り、そのいくつかを私は手でもぎって、昼食のお肉に絞って食べました。キンカンはまだ少し青いところを残していましたが、食べてみると種まで甘くておいしかった!

懐かしい友だちに再会したような時間…2月に大掛かりなリニューアルをして、3月には山本恭司さんと、ライブをやります。
美術館の中で声をかけて頂いたお客様は、世田谷の三軒茶屋にお住まいの男性の方でした。お会いできて良かった!タオル美術館のことがずっと気になっていて下さったとのこと。とてもご満足頂いて嬉しかったな。…そしてご来場に心から感謝です。

丁度2年振りになります。この四国の旅はとても盛りだくさんで、とても一回では書ききれません。ひとつひとつゆっくりご紹介したいと思います。
何回になるかなあ…まあ気長にお付き合いください。

2009.01.05 Monday

予定は未定

何の予定もなかったはずのお正月休みの最後の日。…いきなり友だちが集まって来る。
我が家っていつもこんなふう。友だちがまた別の友だちに電話をかけて、続々と集まる。
年に何度かこんな日がある。とりあえず片っ端から、思いつく料理を作ってテーブルに並べて乾杯!
今年もいい年にしよう!みんな想いは同じでしょう。

メンバーの顔を見れば、いつの間にか30年以上の付き合いをしてきた人ばかり。話し始めると思い出話。あの時のこと…。ああ、そうあんなこともあった。
年を重ねても人はそう簡単には変わらない。
別に特別な話をしなくても、一緒にすごす時間は嬉しい。
けれど、環境はたった一年でも激変する…息子の結婚や初孫自慢も出たりして。

筑紫哲也さんの訃報はどこで聞いたの?誰かがそんな話をする。私はタクシーの中だった。「惜しい人が早くいなくなったね」私がいう。

記念写真を撮ろう!…携帯やカメラで写真を撮る。こう言う他愛のない時間…我が家で集まるのが決まったのが5時頃。
6時半にはもうあらかたのメンバーが来ていた。少し離れた場所に住む友だちは、もう間に合わないか…また次だね!
今度はちゃんと決めよう!…そう言ってまた、突発的に集まるんだよね。
次は九月の連休くらいかな…。何故か誰も定年のない仕事ばかり。普段はひたすら忙しい。
年が明けたばかりなのに、もう秋の話が出る。そのころは私は何をしているのやら。
今年もあっという間に過ぎてしまいそう…。

2009.01.03 Saturday

百年後の世界

カボチャの馬車の欄で、私は百年後の世界の話を書きました。そこにコメントを頂いて、心に灯がともったみたいな気がしています。

私はずっと同じ場所で、同じ椅子に座り、同じ歌を聴いている…と書いたことがあります。
出不精の私と言う意味もあるけれど、この言葉には万感の想いが交錯しているの。
ものを書いてきて、絵を描いてきた長い時間に、私は迷うと古典にその答えを求めてきました。
人間の価値観って、基本的には大きく変わらないと私は常日頃思っているのです。

先日カッパドキアのことを紹介した番組があって、私は息を止めるようにして魅入ってしまいました。
タケシさんのゴールデンタイムの番組だったから、きっとご覧になった方も多いでしょう。
そのなかの「カッパドキア」…素晴らしかった。不思議だった。感動した。…そして出不精の私でも行ってみたいと思った(笑)そしてまだ解明されていない無数の地下都市は、な、なんとハルマゲドンを危惧して作られたものではなかったか…という話が出ました。

…いつの時代も、人類は未来や将来に不安感を持っているもの…と同時に希望や期待も膨らませることが出来るということを改めて感じました。
手塚治虫さんの世界…そんなに詳しい訳ではないけど、彼の描く未来はいつも希望に満ちていたと、私は捕らえています。
表現者としての選択は色々あります。けれど世の中が少しおかしいぞと感じる時代にはいつも、明日に希望がつなげない刹那的な生き方が溢れていました。
私は、その時が「今」のような気がしてならないの。

環境問題を取り上げるメディアは、もっと慎重に報道して欲しいと切望してしまいます。ただ無闇に未来への不安感をあおっているようにしか見えない報道も多々あります。
今の日常は、知らず知らずに大人も子供も同じ情報を受け取ってしまう社会になっています。
その中でも、それを見抜けない子どもたちへの心への影響がとても心配です。
「どうせ…近い将来、地球は駄目になるんだ」と勘違いしてしまう子どもたちも多いのではないかしら?

私が子供の頃には、空が青いことや、月や太陽が輝いていること…に疑問などは微塵もありませんでした。ましてこの地球に終わりが来るなんて!
けれど、今では毎日、この星に異変が起こっている現実を見ています。人類滅亡の映画も、引きもなく作られています。
勿論、そうじゃないものも沢山あるけど、子どもたちの心がまっすぐに育つようなものを作りたい!書きたい!表現したい!という想いから逃れられなくなっています。

明日への不安は、誰もが持っているもの。環境問題への取り組みも、大企業がその方向性を変化させて、個人では日常の暮らし方に気を配っていけば、きっと大きく変わって行くのだと思います。
問題はそれを受け取る心の在処だと私は思っているのです。素直に「頑張ろう!」と思うのか…「どうせ、駄目になる」と思うのか…そこのところがすごく気になるの。

私はたったひとりの表現者です。白状すれば、それをスローガンにして立ち上がろうという勇気はありません。人にはそれぞれ役割みたいなものがあって、「政治」と「宗教」には一切の関わりを持ちたくないと思っています。

私の祖父はお坊さんでした。父方の実家はお寺…こんなことを言ったら祖父は嘆くかもしれないけれど、私には私にしか出来ない人生があるような気がしているのです。

私はいつか、ささやかな映画を作りたいと思っています。
もうずいぶん前からそのイメージは固まっています。その夢は必ず叶えます!
…そこには私は将来への希望と、輝かしい未来を信じられるメッセージを込めたいと思っています。先日のライブでも、私は「この地球という素晴らしい星はいつまでも青いまま輝き続ける」というメッセージを込めました。

junkonekoさん共感して下さってありがとうございます!最敬礼です!

高崎市で「地球市民の日」のテーマ曲に指定して下さった「マイ ネバーランド」も
同じコンセプトで書きました。沢山の方に届くといいな…。作曲は勿論、山本恭司先生です。

2009.01.01 Thursday

2009年 幕開け…

平成という年号になってから20年目の今年…昭和育ちの私には、この20年という年月を驚愕を持ってながめています。
「平成になって20年か…」主人の一言に私は飛び上がりそうになった(笑)
「えっ!20年…嘘!」

頭の中には、時の小渕総理が「平成」と書いた紙をテレビに向かって見せていた絵が鮮やかに浮かびました。息子は平成2年生まれ…今18なので、確かに計算は合っている。

20年という歳月は、私にとって余りにも速く過ぎた時の流れでした。

一体何をやっていたんだろう…もちろん、無我夢中で仕事をしてきた。バブルがはじけて一時は会社もぐらぐら揺れた。
あのとき、私は決断したんだ。今までの仕事のやり方ではない違う方法がないだろうかと。

物事は深く深く考えて行くと、どんどん単純になった。タマネギの皮を剥くみたいに周りについた薄皮を丁寧に慎重にはがして行くと、全く色の違うものがニョキッと顔を出す。

そのとき私はただ、ものつくりの現場があるところ…より深く追求できる場所に行きたい!とだけを切望した。
ライセンスの話はそれまでも色々頂いた…けれど私は自由に静かにひっそりと作り続けていたかっただけだった。
けれど、専門メーカーさんには、私が考えもしない技術(ハード)があった。
そこで思いっきり腕をふるえたら…。

私はその時のことを…とても不思議な時間を思い出している。数々の出会い…それは願えば必ず与えられると言う言葉を信じられる時の流れでした。

決して楽な道ではなかった。けれど、まっすぐに歩いた。
石ころにつまづいたり、崖っぷちで途方に暮れながら、ただ必死でものつくりと格闘した。
私の取り柄と言えば…それしかなかったから(笑)
けれどそれは特別なことではなかった…私に生まれながらの才能があったとも思えない。
長い年月一点だけを見つめて生きてきた人生だっただけ。

ある人は私にこう言った「そんなふうに変わらずに人は生きられない」と。
またある人はこうも言った「理想よりも現実の方が大変なこと、わかってるの?」と。

そういうこと、一言一言を私は胸に刻んだ…否、石(意思)に刻んだ。昔書いていたまだ未発表の長編には、私はずっと考えていた答えを書いた。
「みんな知識は持っている。みんな知ってるんだよ。でもそれはただの豪華な包装紙さ。意識まで届いていないんだよ」…と。

情報が溢れる今の時代は、みんなが驚くほど博学で、専門的なこともネットで調べればすぐに答えが書いてある。
その答えを読んでも知っても…それはただ知っているに過ぎない。

知識が意識の深いところまで落ちて行くには、時間の流れや経験が必要になる。それを否定するなら、専門家の意味はない。
若さというはかないものを珍重する風潮には、反対はしないけれど、経験は得難い財産だと思う。

私は今年もたくさんのものを作ります。
私の人生で学んだすべてのことを丁寧に反芻しながら、ひとつひとつタマネギの薄皮を剥くように、物事の本質を見極めながら…。

なんか、固い話になっちゃったかな…。私はただ、晴れやかに生きたいと思っているだけ。子どもたちからも素直なまっすぐな心を受け取り、長い航海を経験してきた人たちからは老獪な人生の知恵を受け取り…あなどらずに、ゆっくりと。
まだこの年で成長したいと願い続ける私。

2009年という年が私の希望通りに、私を成長させてくれる年になることを疑わない私。きっと何かが起こるはず。
今日の絵はピエロの衣装を来た同級生と先生…みんな長い付き合いです。
新しい年に乾杯!
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