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2008.12.31 Wednesday

カボチャの馬車


さて、シンデレラがカボチャの馬車に戻るまでに、もう少し時間がありそうなので今年最後の、本当に最後のブログを書きます。
我が家の近所にとてもおいしいお肉屋さんがあります。
そこのお肉を食べたら、他のお肉は食べられないほどおいしい!の。
お正月用に数日前から注文して、ついさっき届きました。
…これで、急なお客様が来ても大丈夫。

夕方には昨日頂いたおそばを茹でます。舞踏会の始まる前は、まだシンデレラも忙しい。シンデレラはとりあえずエプロンをはずして、テレビの前に座ります。
今年の紅白…始まったらとりあえず最後まで観ます。色々なことを言われるけれど年の瀬はやはり紅白歌合戦が流れていないと気分が出ない。

子供の頃にまだ白黒のテレビだったころは、日本中が熱狂していたのに、今は色も鮮やかで大型テレビ…何もかもが華やかになればなるほど、どこかに盛り上がりが欠けて来るのはどうしてなのかしら?
…そんなことを思いながら、時代や時の流れを見極めるように、私は同じ番組にチャンネルを合わせます。変わって行くもの…変わらないもの…色々な要素を見極めるには同じものを観ているのが一番わかりやすいの。

昨日は阿久悠氏の作詞に少し触れました。その前日私は坂本龍一さんの対談番組を見ました。彼は生粋のサラブレッド…その輝かしい経歴は周知の事実だけれど、人間味溢れるトークは面白かったな。
お話し相手の突っ込み方も見事でした。本音でしか答えられないように持って行く質問も…どんなに練られたものか…と思いました。

坂本龍一さんは海外での生活が長く、そこは日本よりも静かで、ひとりの時間が多いとおっしゃっていました。
日本では誘惑も友だちも多いので、一人になる時間が少ないと…。

ものつくりの時間は静かにひとりでヒタヒタと流れる…ここだけはすごい共通のものを感じました(笑)
留まれないし落ち着きたくない…それはクリエーターの業のようなもの。それをなくしても、彼は王様の椅子には座り続けるでしょう。
そこから立ち上がり、また戦場に戻って行く暮らしを選択するのがクリエーターの道。
決して優しく緩やかな道ばかりではありません。

いくつかの共通項と、目を見張るような展開との間で、私は18年ほど前に書いた長編の物語を思い出していました。
子供を産んでから、私の人生は一変しました。30年後、50年後、100年後の世界のことが急に身近に思えたのです。

期せずして、実は少し前に山本恭司さんに、「百年後の世界」という詩を渡しました。彼はすぐに曲を付けて送ってくれましたが、もう少し作詞を再考するね!…といったまま、まだ仕上がってはいません。

その番組を私ははじめて見たのだけれど、坂本龍一さんは最後に100年後の人たちにメッセージを送っていました。
その内容は、私が書いたものとは真逆でした。
彼は100年後には、この世界が悲惨になっていないように…と願いを込めました。

けれど私が書いた歌は、百年後に今の世界を観て、「悲しい時代があった」と歌う歌なのです。絶滅の危機や温暖化…色々な問題が表面化している今の時代を超えて、百年後は素晴らしい時代が来ているという想定の元に、私は書きました。

今の時代が抱えている問題のひとつに「明日への希望が絶たれている」という由々しき問題があります。
私のイメージする百年後は、今よりもずっと輝いている…それをいつか伝えたいと思います。
その時はもちろん、私もこの世界に生きていることはありません。けれど今この時も「明日への希望」を片時も手放したくないのです。
千年も二千年も先の世界…地球は今よりももっと美しく輝く星のままです。
月も太陽も黙ってそれを見ています。

皆様よいお年を!…そして心からの感謝を込めて…今年も私の作ったものを沢山使って頂きました。
俣野はまだまだ元気です。

…そうそう、タオルって最後は雑巾になるんだよって、ある人が言いました。
そうだね!立派な雑巾になれるように、頑張る!と答えました。ぼろ雑巾になるまで使い倒して頂きたいと思います(笑)

今年最後の絵は、大きな鳥に抱かれた地球を描いたものにしました。
2008年…完。
2008.12.31 Wednesday

おまけの一日

一日間違えていました(笑)時空を超えて仕事をしていたせいかしら?
夕方になっても私はその間違いに気づかずにいました。友人の娘がおいしいおそばを届けてくれた時も。
「今年も数時間で終わりだね!」なんて声をかけてた(笑)

おなます用の三浦大根…お雑煮用の鶏肉…三つ葉、ミョウガ、大葉など…色々足りないものを数えて、きんぴらは太いのがいいかな…細切りも品がいい…などと考えながら時計を見て…ああ、もう2時間ほどで紅白か…。

でも急に母に頼まれた年賀状…プリンターがなかなか言うことを聞いてくれない。
なんとか今年中にポストに入れなきゃ…。
ふいに母が言いました。
「今日はまだ30日よ!31日は明日!」
「………」
狐につままれたようにフリーズした瞬間…急に肩に入っていた力が抜けました(笑)

夕べブログを書いていたときから、この不思議な現象は起こり始めていました。
2008年の総括を書いたつもりだった。
これは一体何?…おまけのようにいきなり増えた一日をどう過ごそうか…眠るのは余りにももったいないと思いながら、ブログを書いています。

今日は絶対仕事はしないと心に誓って、もう一度読みたいと思っていた本を開いたら、作詞が浮かんで来る(笑)
そうそう、さっきBSかな…阿久悠氏の思い出を語る番組を見ました。
すごい作詞家だった…繊細で大胆で、何でも書いてやると言う気迫のようなものがいつもみなぎっていた。
そして男臭い風貌から、何故かぐさりと女心を突いて来る言葉を書いた希有の作詞家だったと思う。昭和の歌謡曲からポップスへ移行する狭間で、驚くべき発想の広がりをその手のうちに全て持ちながら、愛すべきキャラクターの要素も兼ね備えていた。
彼が美空ひばりさんと同じ年に生まれたというのを今日の番組ではじめて知った。
阿久悠さんは、かなりひばりさんを意識していたとか…。まあ、あれだけのシンガーなんだから無理もない。

ひばりさんと言えば船村徹さんとのコンビが有名だけれど、作曲家とシンガーの微妙な関係について船村さんのトークが興味深かった。今までと全然違うタイプの曲を作っても、美空ひばりさんはさらりと、難なく歌ったと言う。元々伝説には事欠かない彼女だけれど、そのとき船村さんは喜ぶのではなく…とんでもない人と組んでいると、どこかで戦闘態勢に入ったと言う。

ごぼうやこんにゃくをさばきながら見ていたので、言い方は少し違っていたかもしれないけれど、意味はだいたいそんなところだった。
今更だけれど作詞の世界も作曲の世界も歌の世界も奥が深い、深い…。

私は今年60以上の歌を書いた。全部に曲がついた訳ではないけれど、いつの間にか半分近くに曲が付いている。
山本恭司さんと作った歌は、未発表も含めると全部で18曲くらいにはなったかなあ。
今同時に平野浩由さんとも、次々と新しい歌を作っている。すでに11曲が形になっているの。
年明けから本格的なレコーディングの作業に入るところ。

私の中ではものつくりの延長線上に、ごく自然に入って行けた扉だった。次のタオル美術館のリニューアルでは、そのオリジナル曲とタオル作品と組み合わせて、より伝えられる作品群を大々的に展開する予定です。多分今までどこにもないような世界を作ります。楽しみにお待ちくださいね。

昨日のブログで、〆の言葉は書いてしまったので、今夜は少し変化球を投げます。
2008年は、とても不思議な年でした。2009年はもっと不思議な年になると思います。
この「不思議」という言葉…とても気軽に使っているけれど結構奥が深い言葉です。
面妖な…とか、玄妙なとか…類語はもっと怪しい気配を放っています。私の人生は結構不思議の連続だった。
自分でも考えていなかったようなことが、次々と起こってきます。
それをいつからか楽しめるようになった私がいます。来年も予想外の扉が開く気配にちょっとワクワクです。この予感はきっと当たります。

おまけの一日に私は少しだけイメージチェンジをしました。休み明けにスタッフたちはきっと驚くと思います。

2008.12.30 Tuesday

2008年という年

今年も残すところ後一日。秒読みになりました。
とりあえず、今年できることは全部やったかな…。残している仕事もあるけれど、今年中ってわけじゃない。

ライブの最後の挨拶で「仕事って特別なことじゃない。まず、生きる!ってことが一番の仕事だと思う」…と言いました。
この「生きる」には私は万感の思いを込めた。精一杯自分らしく生きるのって、簡単じゃないものね。

人って最初から与えられている。色んなことをね。考える力や身体を動かす力や、言葉を話したり、笑ったり、怒ったり…ものすごく精密な機械のように、すべてが見事に組み立てられて生まれて来る。
人がそれを一生のなかで使い切ることは出来ないかも…って思います。
そのなかに個性が出る。
自分が人よりも夢中になれるもの。…それを見つけることが出来たらとても幸せだよね。
私はずいぶん前に「ペン」と「筆」に惹かれた。
でも、それに気づいたのは二十歳も過ぎてから。決して早くはなかった。子供のころから英才教育を受けた訳でもないし、特別なことはなかったような気がする。

でもね。よく考えてみると、いつの間にか色々な環境は知らず知らずに与えられていました。芝居好きな母に育てられたり、詩を書く友人に出会ったりして…。
そういうことの積み重ねで、人の人生は大きく変わります。
自分の得意分野でなくても、別の人の生き様に影響されたり、影響したり…。
色んなことが今日の私を作っていると思うんだ。

だから私は人との出会いをとても大切に思います。どうして私たちは出会ったのかしら?…そういうことを結構考える。
出会いには必ず意味があると思うようになったのは、ずいぶん前のこと。

とある本にこんなことが書いてありました。
人は必ず自分に足りないと思うことを引き寄せている…と。
だから私はだれかと出会うと、その人の持っているものと、自分が持っているものを組み合わせて、より良いものが出来るはずだと無条件に思うのです。

長年ものつくりをやってきて、そういう出会いは随所に散りばめられています。図案を渡しても、思い通りに色が出ないと悩めば…次は必ず最高の相棒になる人と出会えたし
形がなかなか思うようにいかないと悩めば…その道のプロの人が必ず現れました。

…この悩む…ってとこがキーワードかもって今ふと思いました。
これでいい。これで充分と思ったら、新しい出会いは起こりません。常に自分の目の前の現実と向き合って、理想からはまだ遠いと思っていると、少しずつ理想の形に近づいて来るのです。

2008年と言う年に、私が一番多く使った言葉は「夢と理想」だった。現実は目の前に常にあるけれど、私は「夢と理想」だけを目指して行く…と公言してたな。
それを具現化するために必要な人たちとの出会いは、次々と起こりました。きっとこれからも起こるでしょう。

先日乗ったタクシーの運転手さんと、ちょっとした四方山話をしていたら
「お客さんはポジティブですねえ」と言われました。
「そうね。私はネガティブなものさえも否定しないで生きてきたから…」と答えました。

今日我が家の設計をして下さった先生と久しぶりに長電話をしました。
しみじみと先生は「60才を過ぎてから、本当に自分の作りたい物が明確になってきた」とおっしゃいました。
私はまだ少しその年までには間があります…楽しみだと思いました。

夕べジュリーのライブを観ました。…人は何度でも咲く…と思いました。
久しぶりに80曲を熱唱する姿に、私はもっともっとと欲張って観ていました。
期せずしてジュリーは「夢と現実」の話をしていました。ジュリーこそがみんなの「夢」だったよ。現実はとりあえず目の前にあるけど、もう一度私たちの「夢そのもの」になってよ!と思いながら観ていました。

夢と現実…その境目に私たちは常に立っています。
そのどちら側に立つのも、実は自分で選んでいるのです。

書きたいことがどんどん増えてきて、かなり脈絡のないブログになってしまったかも…。

けれど、多分これが今年最後のブログになると思います。
後は来年またお会いしましょう。…といってもきっと明日の今頃です(笑)
12月はなかなか更新できなかったので、休みに入ってからまとめて書いています。
来年も皆様にとって最高の年になりますように…。
私は絶対最高の年にします!!今年もおかげさまで最高の年でした…ありがとう。

2008.12.28 Sunday

暮れという時間

15年ほど前まで私は、暮れにはいつも熱を出していました。一年の疲れがどっと出る時期だった。だからほとんど寝正月。…そして、休みが明けるとすっかり回復。
また仕事…。
クリスマスのイルミネーションも楽しむよりも、背中を押されているような感じがあった。
それでも、みんなでツリーを飾り…また飾りをはずして、祭りの後のような寂寥感のあるアトリエに閉じこもった。

普段描けない油彩の筆が久しぶりに取りだすと固まっていたりして、何時間もただ筆を洗っていた時もあった。
あのころの私はただ追われていた。ヒットを取れば取るほどその責任は重く肩にのしかかった。子供を産んだ後はもっと大変だった。仕事と育児は両立できない。心からそう思ったけれど、両立させなければならないと言う自戒にも似た感覚に襲われて、夢中で仕事をした。

表に出している仕事の量で言えば、今の方がずっとずっと多い。あのころはむしろ、作っても出さないものが9割は占めていた。
サンプルが出来上がっても、気に入らなくて没にしたり…新しいものにトライしたくても、要望に応える方を優先させてきた。
色々な時代が「暮れ」というくくりの中に存在している。

ある日、まだ三歳にも満たなかった息子が突然言った。
「お母さんは悲しいの?お母さんの絵って、みんな泣いてる」と。…私は息子を抱きしめて言った。「そうだね。お母さんは本当に描きたいものが、まだ描けないのかもしれないね」
そのころから15年が過ぎて、今私は幸せが伝わるように祈りながら筆を持っている。
今日の絵は、「ハナコが教えてくれた道」という油彩…30号だったか40号だったかは…忘れた。

毎年暮れには1年間の感謝を込めて、私の誕生日も含めて、我が家でパーティーを開いていた。ある年、数えたら参加者は140人に増えていた。最後に帰るお客様はいつも終電で乗り越してしまったように、ソファーで朝まで眠っていたりした。
パーティーの後はスタッフ全員で大掃除。それが会社の仕事納めだった。

ほとんどページに余白のないスケジュールの中で、唯一私が朝まで遊ぶ時間が、暮れに重なっていた。色々な思い出が走馬灯のように頭の中をよぎっている。

…そして今年の暮れ、私は原宿でライブをやっていた。
「どうしてここに私がいるの?…なんでこう言うことになったのかしら?」
リハーサルのとき、心の中を沢山の疑問符が浮かんでは消えた。
人生はわからない。
絵と言葉と音楽…このみっつのものを合わせた世界が作りたかった。そして小さな作品を時間を見つけては作っていた。

…いつかこれでオムニバスの映画を作るよ。そういい始めたのはいつ頃からだったか…今ではもう覚えていない。
はじめて発表したのは「思い出が真夜中に降ってきたら」という出版もされた短編だった。ショパンの幻想即興曲に合わせて、朗読した。客席を見ると、驚くほど沢山の人が泣いていた。
今回のライブではみんなとても楽しんで下さった。「終わって欲しくなかった」と言うメールは嬉しかったな…。

舞台の中には魔物が棲んでいる…誰が言ったのかはわからないけれど、的を得た言葉だと思う。
そこだけ遮断された空間の中で、お客様と向き合うとき、否が応でも自分自身と対峙させられる。私はいつも最後にはどんどん余分なものを削ぎ落としてしまう。それはデザインの世界でも全く同じで…甘さを必要最小限まで押さえ込む。
私はそこに観客の椅子を作っているつもりなのだ。
優しいもの甘いものを欲しがるのは、時代の常。けれど私はそこを抑えることで、人間の中にある優しいものに出会いたいと切望してしまう。
表現者は与えるのではなく、受け取り、それをまた返していく中で育てられる。

私が何故こんなにも長い期間、ものを作り続けて来られたかを考えるとき、私は沢山の方たちからのエールがあったからだと思うの。決してひとりで作ってきた訳ではなかった。直接お会いできることはなくても、どこかで私の作ったものを楽しんで使って下さる方たちがいると思うと勇気がわいてきた。

今日は誰もいないアトリエで、無心にこのブログを書き始めました。
何を書こうか決めていた訳でもありません。
ただ、この記念すべき年の瀬に、自分の心の中に印をつける意味で、正直に書きたいと思っただけ。
ちょっと日記みたいだね。12月はほとんど更新できなかったブログ。
「どうしたの?楽しみにしているのに…」そんな電話や手紙を頂いた。
もう少し丁寧に書けるかもしれない…続けられるかも…そのとき私はまた、あなたの言葉に反応して、そう思った。
2008.12.28 Sunday

ミュージシャンとデザイナー


今日、21日のライブ本番のときの音が届きました。
絵がないところで聴く世界はまた別の顔を持っています。Kyoji先生は全部本番のものを録音していて、ものすごく冷静に分析をはじめていました。
そういうことの積み重ねで、あの完璧な世界を構築しているんだと改めて襟を正してしまう私がいます。

私は歌を作り始めたとき、ものつくりは皆同じルーツを持ち、同じプロセスをたどるものだと思っていました。勿論そういう部分もあるけど、ライブと言う現場で私は、ものすごく緊張感の持続する世界を見たとき、ミュージシャンたちの(俳優さんやタレントさんも同じかもしれません)の修羅場を実感しました。

ものすごく怖いのは体調管理。風邪をひいたり、熱を出したりしたら、自分の持てる力は出せません。日時も決まっているライブ…ミュージシャンに一番近いのはスポーツ選手かな…という気がしました。その瞬間にベストを尽くすという意味で。

デザイナーはどちらかというと、インドア思考。タイムスケジュールはあるけれど、比較的自由に過ごす時間が多いもの。そして、何度か作り替えたり修正作業が効く現場です。その点、私はKyoji先生ほどストイックではありません。風邪が大流行している時期。本番前、彼はマスクを手放さなかったようです。

けれど、長年その現場にいると、どこかで慣れてしまうもの…。まあ、いいかと思うのが人間。…そういう甘さはKyoji先生からは全く感じないの。それが周りに伝わります。
緊張させるのよ。…なかなかすごい勉強をさせて頂きました。
一流と言う言葉の意味がわかったかな。作品や技術も勿論だけど、精神力が並外れて強くないと、その現場を支えることはできません。

まあ、そこはデザイナーも他の仕事も全部同じかも知れませんね。
どんなに才能に恵まれた人でも、精神力の弱い人がいます。それはすごくもったいない。
「自分は弱いから」という言葉は、言い訳に過ぎないよ。私はどんなに自分の弱さを見ていても「私は強い」と言い聞かせ続けます。
でも、男にはカッコいいことでも、強い女って可愛くないイメージだよね(笑)

精神力ってどうしたら鍛えられるのかしら?って考えたとき、やはりそれは沢山の現場をひとつずつクリアーしていくしか方法はないのかも。どんな想像よりも、数時間の現場を経験する方が得るものは大きいかも…。

ライブではないけれど、私も散々イベントを経験しました。どのイベントも短時間で決着をつけなくてはならない現場でした。ぐずぐずしてはいられません。その強さが叩かれることもあります。傲慢と誤解されることもあります。でもそんなことは取るに足らないことだと私は思っています。
私はこの道を選んできたんだから。自分で選んできたんだから…。

そうやって、自分で自分を励まして来た人生。ライブをやってまた少し強くなった私がいます。もう少し強くなりたいと思います。私にはまだ伝えたい事があるのです。

ところで、ライブの歌を聴いて、ものすごく思ったこと。ライブ前のデモテープとは全く違う歌が聴こえてきました。歌い方が変わったのかな…と私は思いましたが、どうもそれだけではなさそうです。
強いて言えば、言葉が完全にKyoji先生のものになっていたという感じかな。私は自分が書いたこともすっかり忘れて、ただのリスナーになって聴きました。さすがです。
丁寧に仕上げて下さって、冥利に尽きると思いました。

長年巣穴にこもっていた私。外の世界を垣間みると大いに刺激されます。けれど私は今またモードチェンジをして、自分の内側を見つめて、新しい創作に向かいはじめました。何かがまた変わりそうです。
それは是非、私の新作をご覧になった皆さんに、ご確認頂きたいと思います。
2008.12.26 Friday

MOON CHILD


ずっと更新できなくてごめんなさい。
色々あった今年…たった今仕事納めをしました。
スタッフ全員の顔をゆっくりとひとりずつながめました…みんな頑張ってくれたね!ありがとう…来年も頑張ろうね!

20日、21日のライブは本当に夢のように過ぎました。改めて恭司先生のすごさも充分に感じ、自分がただ黙々とやって来たことがダイレクトに伝わっていくことの嬉しさを噛み締めた2日間でした。
来て下さった皆様と、来られなかったけれど応援して下さっていた人たちの温かさを受け取りながら、不思議なパワースポットのような空気が会場全体に流れていました。
心からの感謝をお伝えしたいと思います。

さて…仕事納めはしたけれど、私の今年はまだ終われません。今ライブのプレゼント用の絵を描き始めたところ…。2枚とも「MOON CHILD」…という今回のために作った新曲をテーマに…シリーズのように描きたいと思っています。
当選した方…もう少々お待ちくださいね。Kyoji先生のサインも入れて年明けにはお送りできると思います。
この話だけでは何の話なのかわからない方に少しご説明します…が実は記念すべきライブの会場で、抽選会を行ったのです。
私のささやかな小さな絵をプレゼントしたい!と…。

本来なら、そこで用意しておけばいいのに…どうしても間に合わなかった(笑)
逆に今は少し緊張気味。滅多に迷わない私のペンや筆もちょっと彷徨っています(笑)
…でブログを書き始めたところ。
絵を描くとき、言葉を書くとき…無心になれないと線や言葉は正直に反応してしまいます。

…さて、ライブの話を少し。長い長い準備期間があったけれど、本番が始まるとあっという間…夢かうつつかの中でKyoji先生の歌声が、ずっと響いていました。
私はもう、20年以上前からKyoji先生に「英語ではなく日本語の歌を…」と幾度となくリクエストをしてきました。
まさか、その作詞を私が手がけることになるとは思わないままに…。
そして今回のライブ…全ての作詞を私が手がけて、作曲は勿論Kyoji先生。

夢って叶うんだよ!…それもすごい熱唱!!私は思わず、自分が出演者だということを忘れてしまいました(笑)
出番までの待ち時間も私は客席に入り浸って、観客のひとりになっていました。今回のために作った新曲は全部で7曲…それに高崎で作った歌を合わせて10曲を連続で熱唱。
勿論真骨頂のギターも…コラボの特権で私のお気に入りの曲ばかり…。これ観なかった人は損したね!…と胸を張って言ってしまいます。終わった後のメールやお手紙も全部宝物です。
神様っているね!Kyojiは勿論ギターの神様だけど…そういうことじゃなく、どこかでだれかが見ている…みたいな感覚。
私は盆と正月とクリスマスと誕生日…全部合わさったような贈り物を受け取りました。
それぞれの人生の中で、それぞれに頑張っていると、思わぬプレゼントがやって来る。

色々作った歌の中で…エンディングに選んだ歌がMOON CHILD…。
私はこの歌を書いた夜は満月だったな。我が家のテラスからポッカリ浮かんだ月を見ていたら、どんどん言葉が降ってきました。サビの部分を少しだけ書きますね。

「人の愛しさ覚えたころは 月は夜空にポカリ浮かんだ
人の哀しさ覚えたときは 空を見上げることもなかった」

こんな変哲もない言葉がメロディに乗ると、見違えるようにくっきりと輪郭を現します。私は今まで、かなりの数の作詞を手がけましたが、今回の歌作りではかなりしごかれたな(笑)難しさも…面白さも、全部この数ヶ月で学んだかな…。
…そしてKyoji先生の声…友人の言葉を借りますが…温かくて、優しくて、強くて、湿ってて、日本人が欲しがるものを全部含んでいるよね!…この言葉は絶妙だと思いました。
山本恭司の日本語の歌…是非沢山の方たちに聴いて頂きたいと切望しました!ギタリストとしての才能は周知のことだけど、シンガーとしての才能も群を抜いていると思いました。私はこれから、この作品群を広める活動を考え中です。
まだ今のところ出来立てのほやほや。色々準備期間は必要だけれど、この歌たちがあちこちの街角で皆様に届くようにと切望しております。

いよいよ押し詰まった今年。深刻な状況下にいらっしゃる方も多い時代です。けれど私も暢気に作詞やライブにのめり込んでいたわけではありません。大変な時代だからこそ新しい「歌」の誕生を心から望んだのです。
私は長年描き続けて、書き続けて来た人生…苦しい時やどうしようもない時、私を支え前を向かせてくれた一番の友人は、まさに「歌」だったと思うのです。
Kyojiと一緒に歌を作り始めたとき、ああ、やっと思い切り書けるかもしれないと思いました。
Kyojiの歌声の中には、確かに私の欲しかったものが全部あったからです。そしてKyojiの人生はジャンルは違うけれど、ものすごく似ていました。ものつくりの現場はみんな同じ。孤独と闘いながら、自分で自分を励ましながら歩く白い道です。
心の中の激しいものと闘いながら、見えない夢を追いかけ続ける人生のすさまじさを知っている人は、会えばすぐにわかります。
YAMAHAさんの会場には、そういう目をした人たちばかりが集まっていました。音響さん照明さん、舞台の進行さん、全体を統轄するプロデューサーの方たち。勿論お客様も含めて。

私はそんな目が大好きです。よく見ると彼らの目の中には沢山の星が輝いていて、まっすぐにたったひとつのものを目指しているのです。
それを言葉で言うのは難しいけれど「自分の人生をその一瞬に賭ける」…気迫のようなもの。同時にそんな目は必ず、穏やかで冷静な優しさを含んでいます。

このコラボはこれからも続けます!ふたりともチョー多忙な仕事を持っているけれど、忙中閑あり…時間は作るものであり、どんなに忙しくても生まれて来るものを誰も止めることは出来ません。私たちさえも…です。

次は来年3月…四国のタオル美術館で、このライブのリメイク版をやります!タオル美術館では、2月にはかなり大掛かりなリニューアルも。
私は今はもう、そのための準備を始めています。今年も忙しかった…そして来年も忙しくなりそう…でもそれがどんなに幸せなことかを、私は知っています。
2008.12.06 Saturday

大詰めです

いよいよライブの準備も大詰め。…ブログを書いている時間も惜しみたいけど、ここは省くところではないと、書き始めました。
先日、映像のチェックをしにドキドキしながら、会場に行きました。はじめてプロジェクターで画像を映すときは、本当に緊張します。
いろいろと気になるところはあったけれど、プロジェクターの癖のようなものがわかったので、今、猛然と修正作業に入っています。

実際の映像を作るときは、マックの中の本当に小さな画面。それが4メートル以上の大きさになるのだから、印象はかなり変わります。ほっとしたものもあるし、ああこれは駄目だな…と思うものもありました。
黄色が強く出て、青はほとんど見えないので、色のバランスをとっています。モニターや会場の条件で、全然見え方が違うの。濃度、コントラストなど微妙に私の中では変えた画像を持っていったので、だいたいはわかりました。
プロジェクターの設定も変えていただき、マックの設定もプロの手に。

そういう見えないところの積み重ねが、最終を決定します。何でも同じだな…と今更ながら思いました。
映像に興味を持ったのはもう、今から15年以上前のこと。ちょっとの間を惜しんでコツコツと勉強してきましたが、ソフトはもう、5本目くらいかな…。最初は難しいソフトから入って…でも主流はどんどん変わります。
一時期は、まあ趣味なんだから…と手軽なソフトに変えて…やっぱりこれじゃ駄目だと思い…今使っているのはFinal Cut Pro。…これは、本格的な映画も作れるソフト。
まだ、やっと入り口くらいのところしか使えていないんだろうな…。

私の修羅場は、この時期です。絵はライブ用にほとんどが書き下ろしです。クリスマスが近いので、そんなイメージのものとか…ああ、あれもいいかも…と、食事の途中でアトリエに飛んで降りたり、お風呂の途中で構図を思いつくと、あわてて飛び出したり…。自分でも挙動不審な私に笑ってしまいます。
けれど試写会はおおむね成功でした。…ということにしておきます。

Kyoji先生のインストのギターからも、かなり創作意欲を刺激されています。もちろん、今回のために新たに作ったオリジナル曲にも、力が入ります。
コラボって、それまでの自分の発想にはなかった扉が開くようなことに沢山向き合わされます。かなり病み付きです!どうぞ皆様、ご期待ください!!

今日の画像は、書き下ろしのスケッチの中の一枚。これがどんな風に使われるかは、ご覧いただかないとわからないでしょうし、もしかしたら一瞬のことだし、かなりトリミングもしてるので、お気づきにならない方もきっといらっしゃるでしょう(笑)



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