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2008.09.25 Thursday

タオル美術館リニューアル

夏休みに第一弾のリニューアルをして、来春に第二弾のリニューアルをします!今回はメインブースの150坪くらいを全面的に変えます!その他にも細かいところを集中的に変えます。
天井の高さは4、5メートルくらいあって、大きな体育館がふたつくらいすっぽりと入るスペースがあるので、今から腕が鳴ります(笑)

アバウトな構想はずっと前からあるのだけれど、プランニングをしていく段階では、ほとんど当初の構想はなくなります(笑)
私はいつもできる限り沢山のアイデアを出し、1本に絞り込むまで、色々な形を想定します。最終形はなかなか見えないので、周りはにはいつも気をもませてしまってごめんね。ひとつに決めてしまって動くことはほとんどないのです。
プレゼンテーションがものすごく苦手。ひとたびプレゼンをすると、私の中ではできあがってしまうので面白くないの。

いつも自分がハラハラしながらより良い方向を目指しているときが好き。
今回も出来上がるまで、たぶん誰にもわからないと思います(笑)
…だから私は大きな会社では決して勤まらなかったと思うのです。

昨日のブログを見て「いつ、同窓会やりますか?」というメールが来ました。
そのなかには、予定を聞いたらきっと、数年後になっちゃうと言う…おっ!まだカボ企画の忙しさを覚えている!と思うようなメールもあり…スケジュールを見てるけど…本当にそうだね。
…そういうことは雨天決行!雨が降っても雪が降ってもどんなに忙しくても…という意味だけど…そろそろいいのかなあ…。私の娘たちは日本全国に広がっているので、結構大変かも…と思ったり、育児の真っ最中だったりすると、難しい人もいる。
やっぱり個別になんかおいしいものでも食べに行こうか…とも思います。

けれど…何か特別な意味を持った日に、必ず実行することだけは、今約束しておきますね。

実は私の目は今、世界へ向いています。音楽が国境を越えるようにデザインも国境を越えてくれる時期が、やっと目の前に見え始めているのです。…こうなったらトコトンやってみようかしら?…そんな数々の想いが溢れて来て、仕事はめちゃくちゃ楽しいです。

ようやく私は今、心の整理がついたところ。次の目標に向かって、準備を整えます。
実は12月にも大きな山があります。その山はまだ形が見えませんが、輪郭が少しずつ見え始めました。不思議なことにその山には葉っぱが一枚乗っかっています(笑)




2008.09.25 Thursday

完璧なタイミング

私はいつのころからか、物事は完璧なタイミングで起こるのだと思うようになりました。
…例えば、今うまくいかないことがあったとしたら、時期が違うのです。
あきらめずに、それでも続けていると、必ず時期が来ます。

特に表現は無限の答えを持った現場。迷うことなんて毎日。…そして、決定した後で他の方法があったことに気づいたり…。
私はそんなとき決して急ぎません。周りははらはらしてそんな私を見ています。

…けれど人は「考える葦」…パスカルだっけ?
私はトコトン考えます。…それがどうしても深夜になります。ひとりきりで集中して物事を組み立てていきます。
それが私のすべてといってもいいと思います。

簡単に前言を撤回することもあるけれど、かなり考え抜いた後の結論です。そのときはもう揺れることはありません。
…だから、痛いところを突かれても動じません(笑)
頑固かと言うと…たぶん違うと思います。私は自分で責任の取れるところだけを決めます。スタッフにも命令はしません。
けれど別の考え方もあると思うときは、黙ってそれを形にして見せます。

答えはいつでも無限…そのなかでたったひとつの答えを、私は探します。もしもその答えが間違っていたとしても…。

目の前に高い山があります。
それを北から登る人も入れば、南から登る人もいます。
その山の頂上には「幸せ」という小さな小屋が建っています。その小屋を目指していれば、方法は違ってもいいのです。

幸せは人によって違います。…だから私はだれかに出会うとすぐに「…あなたの夢は何?」とか…色んな言い方で尋ねます。
そして、その人の夢と私の夢や希望が一致したとき、ゆるやかに登り始めます。
…途中には険しい崖があります。
たまに人知れず咲いている花や、おいしい果物を見つけたり…。苦しいことも楽しいこともその中にはあるでしょう。
喧嘩をすることも…。

私はそんなときも夜更けに一人で考えます。決してそのままで見過ごすことはしませんが、その結論は私の中でひっそりと眠らせておきます。
沢山の選択肢の中からたったひとつの答えを選ぶのは、本当に大変なこと。
全然別の考え方もあります。
その人にとって正しいことが別の人にとっては間違いということもあるしね。

私はそんな自分をとても面倒だと思います。自分で自分を面倒だと思っているので、なるべく普段は、おとなしくしています(笑)
この文章は今まで一緒に仕事をやってきたスタッフが読んだら、きっと大笑いだと思います。みんな元気でいる??
人は夢を叶えるために生まれるんだよ!!忘れていないよね!
元スタッフたちといつか同窓会のように集まりたいと思っています。
何だか今日は無性にみんなに会いたい!


2008.09.16 Tuesday

あるがままという考え方

あるがまま…という言葉は知っていても、それを実践するのは意外とむずかしいもの。私は何事も手を加えるのではなく、そのままを生かすようなものつくりが好き。
お料理も素材を生かすことだったり、組み合わせとかにはこだわるけれど、高度な技術のお料理はレストランに任せておけばいいと思っています。私はむしろ、毎日食べても飽きない食事のほうに熱心になります。

デザインに関しても、よし!みたいなことには、最近余り興味を持たなくなりました。それを使って頂く方が素敵に見えたり、生活の中に自然に溶け込んで行くのがいいと思っているの。

それが出来るようになったとき、私はやっとプロになれたと思ったことを覚えています。けれど、そのさじ加減は結構難しい。
オリジナルという考え方も、その人の人生そのものが表現されていれば、いいのだと思うけれど、その人にしかない「人生」というのが結構難解。

私は今日ちょっと難しい頭でこれを書いています。
新しい歌の作詞で、どうしてもあと一行というところで何も思いつかないの。深呼吸したりストレッチしたり、全く別の仕事をしたりして気分転換をはかったりしているのだけど、これは一度眠るしかないか…と今さじを投げてしまったとこ。

デザインでも絵でも難産したらいいってものでもありません。さらっと書いたものが驚くほどイメージ以上の仕上がりだったり…でもね。甘さも禁物。
冷静に客観的にひたひたとペンも筆も運ばないと、結果は出せません。

…ところで、今朝ほど一度このブログを開こうとしたら「存在しません」というページに飛んでしまいました。更新しても駄目。あれこれと手を尽くしても駄目でした。
…ついにあきらめて、1時間ほどしたら、何事もなかったように開きました。
そういうことってはじめてだったので、かなりドキドキしました。

いつの間にかこのブログも100本を越えました。色々な方の応援があって、続けてこられたと思っています。読んで下さっている方たちに心から感謝です。

ブログを書くようになってから一番変わったことは、時間の使い方かもしれません。Macって結構ソフトによっては待ち時間があります。そんな時間に言葉を書くのは楽しい。それから、さて何かを書こうと構えずに仕事の合間に書き進められるのも、嬉しい。

書く習慣は、中毒のようだった時期もあったけど、最近は仕事用の文章ばかりでした。
いつかまとめて読み返したら、きっと日記のようにその日のことがよみがえるに違いありません。

私は日頃、全くメモを取ったことがないの。書いた方が忘れてしまうので、まったく書きません。予定表にびっちり文字が書いてあったら、もうそれだけで焦っちゃうしね。

「あるがままに」今日できることを淡々と続けていこうと、素直に思いました。
どうしてもできないときは、一度離れて少し頭を冷やしてからまた再度挑戦したいと思います。でもとても充実した3連休でした。

2008.09.12 Friday

秋です!お洒落をして出かけよう!!

先週で終わると思っていた仕事が、延び延びになって結局私の夏休みはどこに行ってしまったのか…。
でも、まあ、いつか休みを取ってやると思いながら、仕事をしているのは先に楽しみが待っているようで…いいと思うことにする。

年に2回ほどある大きな山のひとつが今…。昨日はそんな狭間で、我が家でスタッフと一緒に手料理を作った。疲労回復には何と言っても牛肉。
最近凝っているのが網焼きのローストビーフのような、たたきのような、薄切りのステーキみたいなもの。

塩こしょうだけでシンプルに仕上げて、ご飯に巻いて食べる。これにかなりはまっている。

元はバーベキューから発想したもので、5年ほど前にパリで食べた、牛肉のグリルの味も忘れられなくて、そういうのをヒントにした私流の焼き方。
ピーマンやタマネギ、パプリカなどをガーリックとオリーブオイルで炒めたものを付け合わせにしている。

あれこれと新作料理も考えるのだけど、疲れたときはこれ!という1品。

セロリの漬け物も大好きなもの。葉っぱもみんな一緒に塩漬けにして、細かく刻んで炊きたてご飯に混ぜるのがおいしい。

最近注目の食材はお豆腐。薬味に凝って食べるのも好きだけど、最近のお豆腐は薬味さえもいらず、お醤油よりも塩で食べる方が味が引き立つものが多いみたい。
お豆腐は、さっぱりしていたのに、どんどんこってり系になってきましたね。
スーパーでは新商品が目白押し。選び放題ってことは競争率も高くなって、ハードルがあがるから、どんどん開発が進む。そういう競争はかなりワクワクする。

消費者はそういうことに踊らされて欲しい。頑固にあの豆腐しか食べない…というよりも私はむしろ乱舞に近い(笑)
踊らされるって言葉は、本来は悪い意味だけれど、踊ってしまおう!と決めるのは面白い。…それも一生懸命にみんなが競って新しい商品開発をしている現場は、ものつくりのヒントが隠されている。

私はそういうものから、何度も新しいアイデアを生んできました。特別なものでなくみんなが馴染み、当たり前にあるものに光をあてる発想は、かなり応用できると思うのです。

最近ある人に久しぶりに会ったら、私のこと色々知っているのでびっくり。…なぜ?かと思ったら、このブログに書いてた(笑)
ついつい書きすぎてるかも。ちょっと気をつけよう…でもこれも乱舞の世界かもしれません。楽しく踊ってしまいます。

そうそう、ライブ情報をふたつ。
9月の20日に、BOWWOWのライブが渋谷で↓
http://www.wildland.co.jp/bowwow/schedule.html
よりによって同じ日に、高崎市の新町では天田美佐子さんのライブが…。↓
http://www.e-gunma.lg.jp/portal/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=3330
身体が二つ欲しい!…もちろん両方とも行きたいのです。悩みます……。
…それよりも、何としても今の仕事を全部上げてしまわねば…どこにも出かけられない……。切実です(笑)





2008.09.09 Tuesday

ブログ更新

みじかくてながいお話…という本を書いてから、何年が過ぎたのでしょう。…原作は息子が3才のときに書いた記憶があります。今日はまたあれこれと思い出している時間。
…そしてまだ、いろいろな物語が私の引き出しの中で沢山眠っています。
…そんなものを引っ張りだしたりして、何かが生まれそうな気配にわくわくしています。

ものすごく忙しくて、なかなか本を描く時間が取れなかったというのが現実。ようやく最近色々な仕事が落ち着いて来て、仕事量は前よりもずっと多いのだけど、仕事のやり方や、時間の使い方をかなり変えてみたの。
…そうしてみたら、結構余白があることに気づきました。ブログを書くのは、仕事の合間。
たいてい他の仕事をやっていたり、Macの作業の待ち時間とかに書き始めて、合間合間に書き進むという具合。

これが結構癖になります。ブログを更新してしまうと、ちょっとつまらない。何か手持ち無沙汰のようになってしまいます。
先日私のブログを読んで下さっている方にお会いしたら「忙しいのに毎日長いブログですよね」…と言って頂きました。

タイミングが合わなくてブログを更新できない日もあるけれど、多いときは数本書いて選んだりもしています。
書くことは習慣。このごろやっと昔の勘が戻って来たようで、余り悩むこともなくペンが進みます。

日曜日には、ブログに書いたようにハンバーグを作りました。ハンバーグ作るのは本当に久しぶり。少し多めに作って、焼いておいて…それを刻んでパスタのミートソースなどにアレンジすることもあります。この間は丁度食べきりの量だったけど。忙しい主婦にはぜひおすすめ。
急に人数が増えたりしたときは、お豆腐を絞って加えます。
ヘルシーでも、基本の味は変わらないので、これもおすすめ。

そういえば、もっとレシピが…と言うリクエストがだいぶ前にありました。私の料理は仕事を持っている人たちにはいいかも。
簡単スピード料理ばかり。
料理というよりも発想のヒントにはなるかもしれません。今日は夜食に納豆餅とからみ餅を作りました。
私はみんなとは時間帯が違うので、夜中の3時くらいにいつも夜食を作ります。夜型の息子と一緒のときもあるけど、一人のときの方が多いかな。

市販のお餅は我が家の常備食。いつも必ず納戸に入っています。オーブントースターで焼いて軽く焦げ目をつけてから、ぐらぐらに煮立てたお湯の中へ。
柔らかくなったお餅を一口大にちぎって、納豆の中に入れるだけ。からみ餅は大根おろし。お醤油にはすだちを少し絞りました。
今日は息子の友だちが夜遅く尋ねて来たので、一緒に食べたけどおいしかった。

いよいよ食欲の秋の到来…そのせいかやたらにお腹がすきます。要注意…でもせっかく食べるんだから、おいしく頂かなきゃ。おそるおそる体重計に乗ってみました。
…セーフでした。奇跡のように増えてない!

…でまたスピード簡単料理、色々と書き込んで行きます!でもね。毎日食べるものはシンプルがいいね。…そうそう、スーパーで青パパイヤの生を見つけました。
それを種を抜いて皮を剥き、塩漬けに…。パリパリの歯触りがなんともいい!白瓜よりもいける味でした。


2008.09.07 Sunday

再会

今日のタイトルの「再会」とは、昔の自分に出会うと言う意味です。
人は毎日少しずつ変化していて、昨日の自分と今日の自分は違うと言うのが私の基本的な考え方。

…だからものつくりも、余り時間がかかりすぎると、結局最初から作り直してしまうこともしばしば。今回のDVDも、最初のころはそれでOKだったものが、色々と作り込んで行くと、最初に作ったものが気に入らなくて、また作り直してしまう私がいます(苦笑)

単なる言い訳ですが、結局新しいソフトを使っているので、日々新しい発見があるのです。

…それでも散々作って来たものは、出来上がりまでを予測できるので、そんなに迷うことはありません。…けれど、今回のDVDはいわば、私の処女作…お待たせしてあちこちで叱られていますが、もう少しで完成です。深々と頭を下げております。

何回か前のブログでも触れたけれど、つい最近、私は数年前に描いたデザインのものを全く違う手法で、色を変えプリントしてみました。
…出来上がったテキスタイル…ちょっと自分でも驚いてしまうほどのお気に入り。
私の机の上に置いてあるけれど、全く別のようにも見えるけれど「再会」には間違いないのです。

仕事もつい夢中になると、それまでやってきたこととは全く別のことを追いかけ始めてそれはそれで、必要なことだけど、自分の一番得意な分野が何だったのか、ふと忘れてしまうときもあります。
大胆で元気の出る柄を散々模索して来た時代…今は私自身はどんどんナチュラルをめざしているけれど、やっぱりその両方が欲しい!

朝はコーヒーとハムエッグ…トーストにハーブサラダ。
昼には中華でチャーハンかラーメン。
夜になると、やっぱり今ならさんまかなあ…みたいに、和、洋、中…を何でも取り入れて来た日本の食卓に学んで、何でも作って来た私。

…けれど、バラエティになってしまって、ひとつひとつは可愛くても、並べるときれいに見えない…そんな悩みをずっと抱えて来た私。

それでも、お買い上げくださる方には、自由に選んで頂きたい。そんな欲張り企画をやってきて、いつの間にか本当の私がどこにいるのかがわからなくなってしまうときもあります。

…そんなときこの「再会」がキーワード。まあ十年に一度くらいは振り返る時間を取るのも必要だと思いました。

私は昔ずっと日記を書いていました。日記と言っても日々の出来事を綴るわけではありません。それは心象風景を綴るようなもの。今日の私は楽しいか、寂しいか、哀しんでいるか、喜んでいるか…というような日記です。
もうずいぶん昔にまとめて焼いてしまったこともあり、ぼんやりと記憶の中にしか存在しない言葉もあるけれど、その中で私はただ、圧倒的に悲しんでばかりいました。

…そして、若さとは悲しむことなのだと思いました。自分の無力を嘆き、達成感のない日常を憂い、自分の存在が取るに足らないと後ろ向きになること…それが青い春の本質なのだと思うのです。

私はやっと、このごろになって、充実感や充足感を得ている…と思うとき、無性に不安定だった若いころの自分を懐かしく思います。
ムキになっていたころのデザイン画は、そんな私を良く覚えてくれています。

明日は日曜日…一人暮らしをはじめて、はじめて友人を招待して作った料理はハンバーグでした。…その味を友人は覚えてくれていて、あれから何十年も過ぎても、何かの折りにあのときの「ハンバーグ」の話が出ます。その友人は数年前に突然の病で逝ってしまいました。

マクドナルドもモスバーガーもなかった時代。私はちょっと奮発して100%牛肉だけのハンバーグを作りました。久しぶりにそれを作ってみようと思います。
きっとそれも昔の自分との「再会」になるでしょう。




2008.09.05 Friday

富士山を食べた日

スタッフの友だちが富士登山に挑戦して、5合目で買って来て下さった富士山羊羹…私はいつも疲労回復の速攻薬として、常備している羊羹好きを知っているスタッフが持って来てくれました(笑)金太郎飴のように、どこを切っても富士山…今日は富士山を一口でペロリと食べました!
…なんか縁起がいい感じでしょ。

昔住んでいたマンションの10階の窓から、ときどき富士山が見えました。あるとき友人の新居に遊びに行ったときも、その家のリビングから晴れた日には富士山が一望できるのが自慢のマンションだったな…。

新幹線の窓から富士山がくっきりはっきり見えるときも、特別なラッキーをもらったように感じて、知らず知らずに歓声の声をあげています。

日本人と富士山って、一本の道のようにつながっています。

私はふと蔵書の中にある北斎の画集の赤富士を思い出します。葛飾北斎…今から16年ほど前に出不精の私がどうしても行ってみたかった「津和野」…私はそこで不思議な体験をしました。
街に降り立った途端から、小さな子供の私が赤い鼻緒の下駄を履いて、その街を歩いている記憶が鮮明によみがえったようになりました。

丁度そのころ私は短編小説に凝っていたので、その話を下敷きにした短編を一気に書いたことを思い出しています。

北斎美術館は確かそのころ出来たばかりだった記憶があります(かなり曖昧だけど)…
…そして北斎の仕事に圧倒されて、私はその美術館にあったすべての画集を買いました。後に私はその画集をすべて、今は亡き甥への贈り物にしたのです。
甥は子供のころから絵が大好きで、細かい描写が見事で、私にはほとんど縁がない沢山の賞を受賞していたのです。

…けれどいつしか絵をやめてしまった甥が亡くなる1年ほど前に「もう、今の僕には必要ないから…」と、数十冊の画集を持って返しに来ました。それは大きな紙袋ふたつにぎっしりと入るくらいの量で、ものすごく重いものでした。何故か時を経て、結局私の手元に戻って来て、今では甥の形見のように私の本棚に並んでいます。

この話は本当はとても長い、沢山の想いが詰まっているので、ここに一気に書けるようなことではありませんが「いのちのメッセージ」と言う本を読みながら、私は悲しみに蓋をして来たようなことが溢れ出して来て、止めようがなくなっているのです。

津和野の旅は本当に不思議の連続でした。…小さな子供の私に導かれるように行った森鴎外記念館でも、私は不思議な空気に包まれました。
「私はこの街をずっと前から知っていたと思う」…何度もそういう私に一緒に行った家族は心配そうに私の顔を何度も覗き込みました。

人間にはやはり前世と言うものがあるのかもしれません。津和野の旅はそんなことを示唆してくれたような気もします。
…それは私の記憶の中でも、本当に特別な旅でした。
北斎美術館で観た「鯉の滝登り」の肉筆は、鮮烈に私に何かを伝えようとしていて、私は息を止めて、その絵と長い時間対峙していました。

少しは仕事をして来たつもりになっていた私を、その絵は笑い、赤子の手をひねるように、私を完全に打ちのめし、叱咤しました。
あれから16年…そのときまだ三歳にも満たなかった息子は、津和野の街に走る蒸気機関車の煙が漂う街を、目を丸くして歩きました。

圧倒的なもの…世の中にはそういうものがひっそりとあります。

今日…私はこれを書きながら、津和野が島根県だということに気づき、かなり驚いています(地理は一番の苦手だったの…苦笑)
私の長年の親友(山本恭司さんのお姉さんで平野浩由さんの母)にもあたる人は島根出身。その縁で島根県の方にお会いすることは度々あるのだけれど、私はいつも「まだ一度も島根県に行ったことがないの。近くを通った記憶はあるんだけど…」などと、話していたのです。
…そういえば、恭司さんにも同じことを言ってたなあ…(笑)

富士山を一口でパクリと食べた今日…私は自分の無知を知り、葛飾北斎の偉業を思い出し、亡き甥の笑顔を思い出してポロリと泣き、色々な方たちとの縁を想い、今日もいつ終わるとも知れない仕事に向き合っています。



2008.09.05 Friday

ネガティブとポジティブ











例えば雨の中から突然太陽が顔を出したり、テレビをつけたら、ものすごく見たかった映画が始まるところだったり、友だちを思い出していたら、本人から電話がかかって来たり。
そういうことを偶然と思う人もいるし、大げさだけど奇跡だと感じる人もいます。
私は絶対後者。
毎日のように奇跡のようなできごとに感謝しながら生きています。

人には色々な考え方があります。

久しぶりに会った人に「温子さんって人から見るとマイナスと感じるようなことでも、必ず最後はプラスで考える人だった」…と言われて、びっくりしました。
私自身は当たり前なので、考えたこともなかったからです。

けれど、私は結構頑固に思っている事があります。ポジティブに生きるって、ネガティブなことがそこに存在しないようにすることではなく、ネガティブなことも受け入れると言う考え方。

色々あるのよ。…だから、人生って手強くて面白い。

もう駄目だなって思うとき、どこからか力がわいてくるときもあります。でもそういうことって、自分をギリギリまで追い込んだときにやっと見えてくるもの。
だから毎日、毎瞬、一生懸命に生きることが大切だと思うのです。
…そして、長いこと走り続けた人には休息が必要。
毎日走っていると、いつの間にかそれが習性のようになって、休むことに罪悪感を持つ人も多いと思う。

私は来週くらいに一度夏休みを取ります。今計画中。

今日の絵は、油彩の部分です。主人公ではなく脇役。私は脇役を描き込むのが好きです。メインの人よりも肩の力を抜いて描けます。

最近新たにテキスタイルプリントが面白いと再確認しています。実は二年ほど前に織物用に描いた図案をプリントにしてみました。手法が違うと全く別のもののようにも見えて、色のバランスを変えると、また違う味が出たりします。
もっともっと布の仕事したいです。インテリアファブリックとかも作りたいな。前だけ見るのではなく、ちょっと振り返って、昔の柄の復刻もちょっと視野に入れています。
数えたことないけど、数千点の図案があります。

夏休み…実現するかな?
また違うものに走ってしまいそうな気もします。おっと、休息も仕事のうちだぞ。




2008.09.04 Thursday

ベストな関係












私を無条件に信じて支えて下さった人たちに、心からお礼を言いたい!…そんなことを今日は深く心に刻んでいます。
夕べ私は久しぶりに、とある人と食事をしました。仕事の現場で役割は全く別だけれど、一緒に12年走ってきた人です。
ずっとマインドは一緒。思い出話もこの先のビジョンも思う存分話しました。

人は人生の中で毎日、沢山の人と出会います。
通りですれ違うだけの人もいれば、同じ電車に乗り合わせている人とかも含めると、一体どのくらいの人に出会うんだろう。

…そして一緒に食事をしたり、笑ったり泣いたりする現場を過ごす人は、そのなかでもごくごくわずか。
気が合うとかそういう意味ではなく、同じ目標に向かってそれぞれの立場や考え方の違いを認めあえるのがベストな関係だと思っています。

夕べはそんなベストな関係を再確認できたような時間でした。
私は色々な意味でとても恵まれているので、いつもイエスマンに取り囲まれていると勘違いされることも多いのです。

はっきり言ってしまいますが、それは違います。「イエスマン」という言葉にも私は異論を唱えたいな。
とりあえず、何でもいいから「ハイ!」と言っておくなんて人は、私の周りには一人もいません。
そういう人が一人でもいたら、私はすぐに喧嘩を売ってしまいます(笑)
けれど、わざわざ反対意見を言うことで、自分の存在をアピールしたり、根拠の希薄な反対意見にも、私は猛然と突っ込んでしまいます。

人は迷うし、答えも無限。だから悩んだりぶつかっている方が自然という考え方もあるけれど、みんなで楽しく仕事をしていると、その人たちを「イエスマン」と決めつける人もいます。
それは哀しいというよりも、貧しいものの見方です。

みんなの気が同じ方向を向いているのはとても大事なことです。そして、同じ方向を向いて一緒に頑張れる仲間になれる人は、そう多くはありません。
そしてそこには、相手を理解したい!という気持ちや努力が必要なのです。
…そうやって貴重な時間を一緒に過ごし、ときどきで「イエス」や「ノー」があることに私は何の疑問も残りません。もちろん、全員が「イエス!」と言える現場が理想です。
その理想を目指している現場を「あり得ない」と考えたり、「イエスマン」の集団のように考える人もいます。

一般的な「イエスマン」は、同じ方向を向いていないのに、周囲に同調しているように見せている人のことではないかしら?

そして、私が迷い道に立っているとき、道を教えてくれる人も貴重だけれど、じっと黙って私が歩く方向を自分で決めるまで、見守って下さる人たちは、もっと貴重です。そういう人たちを「イエスマン」と決めつける人がいるとき、私の怒りは留まる所がありません。

人は決して万能ではありません。同じように正しさも答えも千差万別。そのなかで同じ方向を目指すことは、とても大事なこと。
意見の食い違いがそこの大元にあるのなら、一緒に過ごす時間は無意味です。別々に行動すればいいのです。
それは排除するのではなく、それぞれの道を全うするために。

けれど人間は結構複雑。同じ方向を見ているのに、わざわざ違う道を示したり、マイナス要因をあげつらねて、自分はちゃんと考えている…ふうに装ったりして。
そんなとき私は足踏みをしてしまいます。どうしても先に進めないと感じてしまうのです。それは私の弱点とも言えるかもしれません。
…そんな人を見ているのはとても苦しい。心のどこかに怪我をしているのです。そのために動けなくなっているだけ。そこにどんな理由があるのか、私はそれを見極めずには先に進めなくなるのです。

結論を言ってしまえば、例えば経営者のビジョンに疑問を持つなら、すぐに仕事を変わるべきです。それが友人なら、無理に一緒にいることもありません。その関係が切れたとしても自分を信じて、別の方向を歩くべきです。
けれど、考え方は違っていても、そのビジョンに魅力を感じるなら、自分の方法で精一杯できることをやるべきです。必ずどこかで同じ道に出ると思うのです。

意見は違っても信頼できる人、そういう関係は得難い。私はそんなベストな関係で関われる人に恵まれています。そしてこれからもそういう人たちとどんどん出会って、泣いたり笑ったりしながら、決して平坦ではない道を一緒に歩いて行けたらと願っています。


2008.09.03 Wednesday

Who am I?

前回ご紹介した若林一美さんの著書「いのちのメッセージ」…速読は得意なのですが、丁寧に読み進んでいて、まだ最後のページには届いていません。彼女の本にはいつも所々に心の中をわしづかみにされるような表現があって、いちいち引っかかりながら、自分の答えと照らし合わせてみたりしています。
こんなにゆっくりと本を読むのは本当に久しぶりです。

それにしてもこの本は、さらりと流して読み進むこともできるけれど、一行一行にとても大切なことが隠されているので、簡単には読み飛ばせません。

著者の若林一美さんは、いまだに未知の部分の多い「死生観」という微妙な問題と真正面から取り組んでいらっしゃる希有な作家さんです。この専門分野で大学で講義もなさっていて、その授業内容に触れている部分は興味深く、発想の源には今の時代では失われつつある「自分で考える」ことや「想像力」…「自分を知ることの大切さ」などから「いのち」や「生きる意味」までを広く捉えて、冷静に見つめる目を感じます。
私は一度お茶を御一緒したことがあるだけなので、こんなふうに数行でご紹介してしまうことの無礼を感じながらも、ぜひこの本をご紹介したくて書いてしまっています。

私が「死」ということを特別に意識したのは今から18年前のこと。私の姉とも親友とも呼べる人を亡くしたときからです。…丁度同じときに、私ははじめての出産を経験し、産後2ヶ月のとき彼女の発病を知り、夢中で駆けつけた記憶が残っています。

それからやっと息子がつかまり立ちが出来た頃に、彼女は逝ってしまいました。
その直後私は「生きること死ぬこと」というテーマで、作品展を開催したりして…それから少し後に、私自身がまさに咀嚼しきれない想いを抱いていたとき、若林一美さんの本に出会ったのも、必然と思えるような出来事でした。

その後お会いすることはなくても、彼女の活動は少しは存じ上げているので、私の中ではずっとつながっているつもりなのです。
…そんな時期がきたのでしょうか…私はその後も次々と「いのち」の灯が消えていく現場に向き合うことになりました。
そしてその度に「穏やかに死ぬということ」…という彼女の本のことを思い出しています。

「いのちのメーッセージ」のなかで
「死を学ぶということは、私はだれ?(Who am I?)という、みずからのアイデンティティを問うことにつながっていく」…という一行が印象的で、今日のブログのタイトルに使わせて頂きました。

…そして、その問いかけは、私の心の奥の引き出しの一番上にしまってあるものと同じでした。私はそれをときどき取り出したり、しまい込んだりしながら「ものつくり」と向き合う日々でした。

今日の絵は実は私が息子のように可愛がっていた甥です。25才で逝ってしまった甥は「おはぎ」と名付けた訳知り顔の黒いウサギを飼っていました。
もうあれから4年が過ぎようとしています。私が今年の春、この絵を描いた翌朝のことでした。
おはぎが死んだ…と連絡が入りました。
きっと今頃は天国で一緒に暮らしていると思います。

最後に、若林一美さんは「子供を亡くした親のための…小さな風の会」の代表をしていらして、ときどき送って頂くその冊子に、私はとても勇気づけられたことを記したいと思います。

最近では余り聞かない言葉になってしまったけれど「読書の秋」…心の結び目を作るにはとてもとてもお勧めの一冊です。




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