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2008.08.31 Sunday

日曜日には奇跡が起こる

このところの毎日の大雨に、ふとあの「ノアの方舟」を思い出したりしています。人間が堕落して、正しいものだけを残して、地上はすべて海に沈んでしまうというお話。
考えてみればとても怖いお話。
けれど、最後に鳩が木の葉をくわえて飛んでくる…というエンディングで救われます。

過去も現在も人は沢山の間違いを確かにおかしてきました。…でもそれが人間…というものなのかもしれません。

私は昨日から、久しぶりにスイッチを切って、眠りたいだけ寝ました。
1年に何度か、そんな日を過ごします。ものつくりの現場は、アイデアとの闘い。浅い眠りの日も多くて、スイッチを切りたくても自然に入ってしまう日々です。
…人は、沢山の間違いをおかすけれど、それを改良し、より良い方向に変えることもできるのだと、ぐっすり眠った後に、ふと思いました。

…それにしても日曜日を考えた人は誰なんだろう。
ずいぶん前に私は「日曜日には奇跡が起こる」という物語を書きました。今日は日曜日。久しぶりに読み返してみようと思います。
何か新しい物語が生まれそうな今日…手元にペンと紙を用意して、私は読みたかった本を開いています。

それは、若林一美さんの「いのちのメッセージ」という本です。彼女の本とはじめて出会ったのは、もう10年以上も前のこと。主婦の友社から出版された彼女の著書「穏やかに死ぬということ」という本の装丁を手がけた時のことでした。
そのとき彼女の本を読んだ時の衝撃は、今も心に強く残っています。私の装丁をご覧になって「もしかしたら…あの俣野さん?色々なグッズを作っていらっしゃる方?」
…それで、一気に水が流れるようにお話がはずんだことを思い出しています。

彼女はそれまでの社会がタブー視してきたこと、未開の地「死」をテーマに書き続けていらっしゃる作家さんで、家族…特に息子さんや娘さんをなくした方たちの言葉をまとめた「ちいさな風の会」の主催者でもあります。
彼女の「死」を見つめる視点は冷静で、彼女の本は穏やかな部分と人の心に押し付けることなく…けれど熱いものを伝える見事な筆致で構成されています。

ようやく時間が取れたので、今日はじっくり読ませて頂きます。
ざっと見出しに目を通しただけでも、ドキドキします。


2008.08.30 Saturday

旬なものとか記憶力とか

熱は出ないのに、身体が温まると咳が出る…典型的な夏風邪をひきました。夏風邪は長引くというけれど、症状はひどくないのに、なかなか治らないちょっと嫌な風邪です。
この数日の雷雨も異常…。なんだか不安感をあおられてしまいますね。

私の夏は毎年、締め切りに追われる季節。慣れているはずなのに、本番にならないとパワーが出ずに、すべりこみセーフの駆け込み型。
…そういえば、学生時代もいつもそうでした。試験もいつもギリギリまでぐずぐずしていたなあ。

けれど商品企画の仕事は机上では決して生まれません。生活や暮らしの中から自然にアイデアが生まれて来るのです。ほとんど一年前に次の年の企画の仕事は終わるので、いつも少しだけ私の頭の中の季節感は人よりもずれているかも。

でも、食卓に並ぶ夏野菜で、私はいつも自分と季節とのバランスを取ります。春には苦いもの…夏にはお日様にいっぱいあたった野菜…スーパーの棚のなかでは、一番売れているその季節の旬なものだけを選んで、片っ端から料理します。
頭はずれていても、身体は季節のものを取り入れることで、ちゃんと季節を認識するらしいですよ。

この時期…群馬の友人がいつも送ってくれるのは「ミョウガ」
いつも大量なので梅酢に漬けたり、塩漬けや味噌漬けにもするけれど、ただ刻んで鰹節をかけて炊きたてのご飯でいただくのが大好き。
お味噌汁や、冷や奴の薬味にも大量に使います。
…そういえば、ミョウガって…子供の頃食べ過ぎると物忘れがひどくなる…という話…確かに聞いたことがあります。
先日もある人がその話をしたので、ふと思い出しました。
何か根拠のあることなのかしら?

実はミョウガは、子供の頃からの私の大好物。もしもこれがなくなったら、かなりのダメージ。そうめんも、うどんも、カツオのたたきとかも、味気ないものになってしまいます。私の年間ミョウガの摂取量は、かなり人よりも多いはずだけど、記憶力には多少の自信があります。やっぱり変です。ミョウガと記憶力の関係は…。

今夜も夜食に息子と一緒にタマネギと大量のミョウガを刻んだお味噌汁を飲みました。
茄子の甘味噌炒めは、祖母の得意料理だったな。同じ料理でも、私の中には祖母と母の味の両方が残っていて、お砂糖の量が全然違いました。
祖母は普段はほとんど料理にお砂糖を使わないのに、何故か茄子の味噌炒めとお正月料理の八頭の煮物のふたつだけはいさぎよく、ふんだんにお砂糖を使ってました。
私も何故か、このふたつだけは祖母の味付けの方が好きで、少し甘めに作ります。油を多めに使うのも祖母流。

お料理は本当に楽しいです。今年はちょっとカレー作りにはまっています。カボのスタッフのカレーが余りにも見事なプロの味で…チョウ本格的。
彼女に基本を伝授してもらって、今、私流の味を作りつつある所。夏野菜をふんだんに入れたヘルシーなカレーにちょっとはまっています。
まだまだ家族には試作ばかりを食べさせていますが、この週末には完成させられるかな…。

ようやく仕事の決着がつき始めたので、今週は久しぶりにのんびり料理でもして過ごそうと思っています。ついでに風邪も追い出したいな。






2008.08.28 Thursday

風見鶏のエスキース

もうずいぶん前に、私は「風見鶏のエスキース」という「詩」を書きました。
…それはある人が書いた曲を聴いて、書き下ろしたものです。
今日はふと、その「詩」のフレーズが心に浮かびました。
デッサンやクロッキーとは違い、かなり完成の現物に近い所までを描いた下絵をエスキースと呼びます。

風の方向に向かってくるくる向きを変える風見鶏は…私の大好きなもののひとつ。
私は「ら・むりーず」の屋根に、どうしても風見鶏が付けたくて、大工さんに頼んで鋭角な三角の屋根を作り、そこに念願の風見鶏を付けました。
もう二十年ほど前のことです。

私はその詩に託したかったものを、今日突然思い出しました。風の向きを読み時代の荒波を越えてなお、その風見鶏は元気に動いています。
どう思われたっていいじゃない。正しさは、それぞれの価値観によって微妙に変化するものです。
そのなかで、変わらずに律儀に風向きを指し示す風見鶏が私は無性に愛しかったのです。
…それは少し自戒の意味も含めていたのだと今になって思ったりもします。

私はずっと作家的な方向よりも商業的な方向、良いものというよりも売れるものとは何かという問いかけの中に自分を置いてきました。…それは売れるものが良いものという価値観とは真逆な、良いものだから売れる…ということを証明したいという反骨精神にも支えられていました。
もちろん私は自分の作った物が「良いもの」だという自信はありません。
けれど、私は自分に正直に、誠実に、私の精一杯を形にして、ものつくりと向き合って来ました。

私は何事もなく、かわいいもの優しいものを作ってきたわけでもなく、人生の荒波が高ければ高いほど、優しいものが欲しいと切望した一人なのだと思います。

…そんな私の心の中に今、少し変化が起こっています。

私はずっと待っていました。待ち続けていました。それを言葉で言い表すのは簡単ではありません。けれどそれをものつくりで表現することは、出来るような気がしています。
私の心のなかに、ずっと回り続けている風見鶏は今、向きを変えました。


2008.08.27 Wednesday

静かな朝
















とても静かな朝です。
前日やり残したことも、明日のことも考えればいくらでもあるけれど、そういうことだけで成り立っている訳ではないと、ちょっと思いました。
私は自己採点で、かなり責任感の強い方だと思っているけれど、自分がいる場所や自分の肩に背負っている荷物みたいなものから離れて、ちょっと息を抜きました。

そうしてみたら、とても楽に息をしている自分に気づき、ちょっと驚いています。もしも新しい自分に出会いたいと思ったら、環境を変えてみるといいかも。行ったことのない街や、初めての経験…それが新たなパワーとなって、新鮮な風を運んできてくれます。

今日通りがかった家の軒下で、横殴りの雨に打たれている靴下を見ました。地下鉄の歩道では、何故か印鑑がひとつ、コロンと落ちていました。…それから沢山の人たちを見ました。自分の持てる力を出し切って、堂々と生きている人たちを見ました。
私はそれを心に書きます。
そのどれもがエネルギーを持っていました。靴下は、胸を張って雨に打たれていたし、主を失った印鑑を人々は直感的によけて歩きます。その光景を私はきっと忘れないでしょう。
バランスを失っているように見えても、その足取りは確かで、誰も不用意に踏みつけたりしません。

そして、私は歌う人を見ました。踊る人を見ました。奏でる人を見ました。
色々な人を見ました。そしてただ…人間は素晴らしいと思いました。どんなふうに生きるかという選択はそれぞれでも、一生懸命に自分を表現する人に無条件に脱帽です。
ともかく…今日は静かな…心穏やかな素晴らしい朝です。


2008.08.26 Tuesday

秋の気配

今年は作品展の準備を冬のなかでスタートさせて、外に出たら「春」になっていました。…そしてまた夏の間中、夢中になっていたことがあって、今日外に出たら「秋」でした。

…季節が変わったことにも気づく暇もないと、嘆くことも出来るけれど、私はそうではなく、ただ扉を開けただけで、北海道に飛んだように、その季節の変化に大感動してしまいました。

先日知り合ったイギリス人に、朝起きたら一番自分が幸せになれることを5つ思いだします…そうすれば、その日一日が豊かで幸せな時間だけが流れていくと、教えてもらいました。
…それもさっそく実践しています。

人はどんなふうにでも考えることができます。何が正解で、何が正しいってことでもないけれど、私は自分が幸せだと思える方向を向いていたいと思うのです。
…そうじゃないと、すぐ近くにいる人も幸せにはできません。

私は明日もあさっても、久しぶりに出かけます。きっとあちこちで「秋」の気配を見つけながら歩きます。

今日の写真は作品展で発表したタオルのビーズで作った「春の木」という作品の部分です。まだ芽を出したばかりの新芽がはじめて美しい世界を見るシーンのつもり。
感動するという気持ち…それが大切なんです…と、とある方に教えて頂きました。

私はかなりの仕事の締め切りをたった今すべてクリアーして、かなり満足です。

色、素材、形…などのバランスを取りながら、コツコツ進めていくものつくりの世界は自分のバランスとの闘い。今私はとてもいいバランスです。
そうじゃないと新しいものは生まれてきません。
ちょっとブログはさぼったけど、これもまた、バランスを取る上での大事な作業だと気づきました。
書かなきゃ…と思うのではなく「書きたい!」と思うときに、このノートを開きたいと思っています。





2008.08.12 Tuesday

赤い椅子

私はいつかアトリエに大きな赤いソファーが欲しいと思っています。
…そこに集う人たちをゆっくりと休ませてくれる、ゆったりした大きなソファー。

私がまだ二十歳だった頃のこと、私は赤い椅子に助けられました。ボロボロの心を抱えて何もかもが嫌になりかけたとき、私を無条件に休ませて、抱きしめてくれた赤い椅子は、私の思い出の中でも、今でもひときわ輝いているもののひとつです。

そのころもずっと私は「詩」を書いていました。分厚いノートと画材は私の大きなバッグの中に必ず入っていたもの。…それは必要以上に重たい荷物でしたが、それを持っていないと私はいつも、大きな忘れ物をしたような気になって、すぐに家に飛んで帰るのです。

心の中には常に激しい嵐のような風が吹いていましたが、ペンを持ち言葉を書き、小さな挿絵を描き込むと、何故かそのときだけは、心が休まるのです。
どうしてそうなるのかは、その頃はわかりませんでした。
私はただ、無心に書くことと、描くことでやっと自分のバランスを保つような不安定な心をいつも持て余しました。

そんな時代の断片を切り取ったような言葉で、私は最近「赤い椅子」という「詩」を書きました。…それも平野浩由さんが、見事に美しいピアノで曲を付けてくれました。
少し前に仕上がる直前まで出来上がったけれど、まだペンを置いてはいません。
もう少し時間をかけて、深いものに仕上げたいと思っています。

写真の赤い椅子は榛名のエコールというホールのロビーにあったもの。その時は忙しくて一度も腰掛ける時間はなかったけれど、スタッフが撮ってくれた写真の中にこの「赤い椅子」の写真を見つけて、何だか嬉しくなったことを思い出しています。

お盆前のこの時期はいつも、入稿に追われて忙しい時です。今日もあれこれと締め切りの仕事をしました。火事場の馬鹿力みたいに私ってかなり土壇場に強いの。

もうすぐ、全国的にお盆のお休みが来ます。

私はその間はひたすら仕事します!!…そして時期をはずして、休みを取ろうと思っています。…いつもそう思いながら、あっという間に次のお正月が来ちゃうんだけどね。
(笑)
…どうぞ皆様良い休日を!!


2008.08.11 Monday

ほおづき

また、新しい歌が生まれつつあります。
メロディーに乗った歌は、本当に私が書いた言葉?と耳を疑うほどの美しさ。
作曲は写真の平野浩由さんです。

何かが生まれるとき、私はいつも同じことを思います。

「花が咲くように生まれた」…と。

…ひっそりと咲く花のように生まれたものは、時代とか流行とかとは無縁の所で、繰り返し咲き続けてくれるものだと思うのです。…そしてそれこそがずっと私が目指している場所。
私はそんなものを作り続けています。おかげさまでロングセラーのものが多く、長いことお使い頂いているお客さまに、とても恵まれています。

先日、とある場所でほおづきが見事に自生しているのを見ました。誰にも気づかれないような場所です。興奮して友だちに電話をしたら「あれはほっとくといくらでも増えるのよ」
…その話は何だか嬉しくて、次のテーマはほおづきかな?っと思ってしまいました(笑)

私は長年ものつくりに関わって来て、何より嬉しいのは商品が一人歩きをはじめたときです。
それは簡単そうで難しい子育てのようなものです。手を離すまで私はきっちりと時間をかけます。かなりべたべたと付き合います。…けれどある日別れの日が来ます。
そのとき後ろ髪を引かれるものは、まだ準備不足なのです。
だから、きっぱりと別れられるように、後悔のないように出来ることは全部します。

今日はハンカチのデザインを考えていました。オールオーバーという手法の総刺繍のハンカチのデザインです。
…それも私の夢の中にあった仕事です。それが実現した時の感動を、思い出しながらあらたな方法を考えているとき、新しい歌声が私の背中を押してくれています。
こんなに毎日が感動の嵐でいいのかしら?と思います。

けれど、若い頃、私の人生は決して平坦ではなかったな。むしろ、普通の人よりも大変な人生だったような…。
…そんな話をしたら、ある人に「ここから先は全部いいことしか起こりませんよ」と言われました。

特にこの先5年間は、何だか私の人生の最良の年が来るそうです(ニコニコ)
…その予感は、実は私の中にもありました。
「花の命は短くて」という言葉があるけれど、確かにそういう部分もあるけど、繰り返し花は咲きます。
忘れていても、ある日また、気がつくと咲いています。

人生もきっと同じでしょう。存分に咲きたいと思います。


2008.08.05 Tuesday

距離について

メールやブログを書くようになって、みんなとの距離は縮まったような気がします。
けれど、その分、誰かを想う距離は遠くなったかもしれないと思ったりもします。

思っていることをすぐに言葉にするのではなく、ワインのように熟成する時間は必要。私は企画の仕事をする時は、いつもひたすら「沈黙」します。
最終形が見えるまでなるべく話をしません。
…それはかなり、周囲から見ると「ハラハラ、ドキドキ」の時間かもしれないけれど、その時間をしっかりかけたものは、決して軸がぶれません。

8年ほど前にタオル美術館を考えている時も、そうでした。全長250メートルの美術館の大きさは、それまでの私の想像力を遥かに越えていて、ただ図面とひたすらにらめっこをする日々。
環七の角に立ち、通りの幅や距離を身体に叩き込んでから、何度も図面と向き合いました。
スケールの大きなものは、家の中にいると決してわかりません。それを考えている期間は私は都内のホテルのロビーや、学校の校庭などの真ん中に立って、自分の位置を確認する毎日。それによって作品の大きさや、点数を決めるのです。
…すべての作品が展示された時は、本当に嬉しかったなあ…。今でもあの時の感動は瞬時に思い出すことが出来ます。

つい先月、タオル美術館の部分リニューアルをしました。今回は今までとがらりとイメージを変えるために、美術館の白い壁をスクリーンに見立てて、大きな映像を映し込んだり、高崎のシティーギャラリーで開催された作品展のために、新たに描き下ろした油彩などを運びましたが、一番メインのブースのリニューアルは、これから本格的な準備を始める所です。

スペースが広い場所では、大胆に…そして狭い場所では密度のあるものを…。
…そこは私なりのこだわり。
やっと色々な仕事の区切りがつきそうなので、今は「沈黙」のとき。
勿論普通のおしゃべりは、際限なく…。結構自分のおしゃべりのなかにヒントがあったりすることがあるの。
私は古くからの友人と、メールでバトルしてしまいました(笑)
…そして、今初心に戻りつつあります。


2008.08.02 Saturday

白い月

外は夏。でも何だかまだ私の中では、はっきりしません。
夕べ遅くに電話が鳴りました。とても理不尽なことに悩んでいる友だちから。
心が明るい方へ向いているとき、少し哀しい電話が入る。
そんなとき、私は心の中に「白い月」がぽっかりと浮かびます。

月は黄色に見えるよりも,白や赤いほうが多いみたい。

人生は思い通りに進んでいくと,私は本にもブログにも書いて来たけど、理不尽なことも多いのが人生。
そんなとき、我慢することも大事だけど、きっぱりとノー!を言うことも大事なこと。

私は久しぶりに腹が立ち「法的な手段に訴えたらどう?」と強い口調で言いました。もしも、法律があんたたちを守れないものだとしたら,そんな法律はいらないとも。

世の中にはそういう理不尽なことがあります。黙って受け入れられないことがあります。
そんなとき、いつも私だったらどうするだろう…と、ずっと考え込んでしまいます。
やっぱり闘うな…。

闘わずにあきらめることはしませんでした。私は以前その人に「受け身の人生だったよ。私の人生って…」と話したことを彼女は覚えていて「仕方がないのかな…黙って受け入れるしか方法はないのかな…」と、つぶやきました。

確かに私は求められることに精一杯答える人生を選択しました。けれど、その中には「ノー!」ということが多々ありました。

怒り…という感情は、とても強いエネルギーを含んでいます。若い頃、私はそれをバネにして何度も立ち上がり、挑みました。…けれど、最近は少し物わかりが良くなったみたいに、静かに暮らすことばかりを選択して来たような…。
そんな私に降って来た雨は、他人事ではありません。

「どうしたいの?まずそれを決めなくちゃね。私弁護士さんに相談してみるよ」
…けれど、答えはありません。ただひとこと「…わからない」とだけ。
私はもどかしい気持ちでいっぱいになります。
それは「受け身じゃなくて,ちゃんと受け取ってないってことだよ…」…そんな言葉を飲み込んだまま,時間だけが過ぎていきます。

いつの間にか夜も明けていました。
人生は矛盾との闘い。けれど人はそこに折り合いをつけて我慢することも出来ます。
私ならどうするか…価値観はそれぞれに違うから,両方のいる場所に立ち,私はずっと考え続けています。
でもやっぱり、守るな…。私がどうしても納得ができないのは、その中には強いものと弱いものの構図があることです。お互いがお互いを思いやる気持ちがあれば、もっと違う方法が提示されてしかるべくでしょう。

被害者は時として加害者にも取って代わります。同じように加害者も被害者になります。それぞれに、それぞれの立場に立つと言い分は正しいかもしれません。
けれど今回のケースは,どう考えても一方的に傷つくだけ。

日本語にはとても美しい言葉があります。「痛み分け」という言葉です。きっといい方法が見つかる…私は何故かその言葉に救われています。
「痛み分け」…の精神で取り組めば、何だかうまく話が進みそうです。
今夜は彼女に電話しようと思います。

2008.08.01 Friday

布で作られた花

今日、とある方から、布で作られた白い薔薇を頂きました。
とても繊細に作られていて、心が洗われるような清楚な薔薇です。

人は花に、何を託すのか…その意味が伝わってくるような素敵な贈り物でした。
…ありがとう。
私はその薔薇を見たとき「LOST LOVEみたい」とつぶやきました。結ばれていたリボンは渋いオリーブ色。
私がいつも好んで使う色です。

ずいぶん前に私が描いた本「LOST LOVE」は、決して寂しいものでも哀しいものでもありません。自分を強く育ててくれたルーツのような時代を切り取った本に仕上げたつもり。
…そして、私はその本を下敷きにして、朗読用の原稿になおしました。
さらに、今回のDVDのために、私は新たに新しい油彩を描き下ろし、そこには真っ白な一輪の薔薇を描きました。

そんなプロセスが一瞬にして、走馬灯のように頭の中をめぐりました。

たった一輪の薔薇の花が、凛と咲き誇る庭で、やはり薔薇は薔薇。周囲を圧倒する力を持っている花だと私は常日頃から思っているのです。
そんな人生が、あなたの人生でありますように…。

今日もおかげで、とても素晴らしい一日でした。


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