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2008.06.30 Monday

我が家の扉で生まれた揚羽蝶

ほんのついさっき、カボ企画のドアでアゲハチョウが生まれました!!

宅配便のお兄さんも大興奮。

実は2週間ほど前に、スタッフがかなり大きな青虫を見つけました。カボのドアにぺたりと張り付いていたの。よーく見ると、眼が離れていて、愛くるしいの。
…そうこうしているうちに、いつの間にかさなぎになって、ドアの下の方にぶらさがっていましたが、ついにさっき大きな美しい羽根を広げました。

2時間ほどは、私たちに自由に写真を撮らせたりして、…それもカメラを向けると大きく羽根を広げたりして…。
大サービスをしてから、飛び立っていきました。
宅配便のお兄さんが、ついさっき
「通りがかりにアゲハチョウがさなぎから孵るところを目撃した!と…かなりのテンションでやってきました。

…聞けば、ずっと荷物を配達しながら気になっていたと。

「きっといいことがあるわよ。羽ばたけ!ってことだと思う!」…というと、満面の笑み。…そお…きっといいことがあります。私ももう少し羽根を広げてみようかしら?

今日は朝から嬉しい電話を頂いたりして、まだ完徹状態の私ですが、眠れるかしら?

皆様のご多幸を願って、生まれたてのアゲハチョウをアップします。
みんなで羽ばたこうね!!!

2008.06.30 Monday

猫と人魚

今まで本当に色々な絵を描いてきました。仕事熱心…といわれても、こういうのは仕事ではないと言ってしまいます。一番近い表現があるとすれば、たぶん私は好奇心が旺盛なのです。

新しい画材を見れば、すぐに試してみたくなったり、パソコンのソフトも覚えると色々なことをただ確かめたくなってしまうのです。
…だからどんどん留まるところがなくなってしまいます。
きっとそれはいいことなのでしょう。

…けれど気をつけないと、逆にそれまでやってきたことを忘れていってしまうことにもつながりかねません。時々私はそんな自分をチェックします。
何が大切で、何が今一番必要なことなのか…。
実はDVDの編集もどんどん凝りすぎていく傾向にあるので、ちょっと反省。
シンプルな構成の方が見やすいかな…なんてね。

猫と人魚は…そんな絵です。私の中には矛盾する両方のものが混在していて、私はいつも自分が何故もっと冷静に物事を解決する能力がないのだろうか…と思いながら、主人を見ます。
…そして…ああ、だからこの人と結婚したんだと思います。

人にはそれぞれの役割があります。もちろん選択は自由ですが、みんながみんな同じ方向を見ているのではなく、別の見方もあるのだということを私はいつも主人に教えられます。
…けれど、いざものつくりをはじめると、そんなことはもうすっかりと忘れて、ただ全力で走ってしまうだけになります。
そんな微妙なバランスは「猫」しか保てないと思うのです。

私が描く猫は、自由で優雅で決して人に飼われることのない魂の持ち主を象徴しています。…それが私の人生の究極の目標なのです。



2008.06.28 Saturday

大きな鳥

「大きな鳥」というお話を書いてから、15年が過ぎました。私はこの物語を息子が眠る前の、読み聞かせの本の1冊として書きました。

当時は忙しくて本屋さんにも行くことが出来なかったので、深夜や明け方に、読み聞かせ用の本を色々と描いては「さあ、今日のお話!」…なんていいながら、息子が眠る前のほんのひととき、少しだけ気を抜くような日々でした。

けれど、子供の感性とは…と、とても勉強させられる、かなり刺激的な日々だったことを今になって懐かしく思い出します。

楽しいお話も沢山書きました。…きっとこれなら息子も大喜びだろうと書いたものは、ことごとく失敗作。
3才にも満たない頃、子供はほんの数ページでつまらないものからは、プイと横を向きました。

私が絵本の難しさや面白さに出会ったのは、たぶんこの時でしょう。
大人たちが考えている世界とは、別の次元が子供たちにはあります。

そのころのタイトルは「孤独な鳥」…グァッシュ(不透明水彩)で描いた挿絵を付けた、結構長い物語でした。

…そして…「孤独な鳥」…という難しいタイトルの絵本を、息子の横で読み始めたのです。…すると、不思議なほど息子はじっと聞き入っているのです。子供が喜びそうな恐竜の話や、子猫の話…色々と取り揃えていたのですが、なかなか息子のハードルは高くて、興味を持ってじっと聞いてくれることは、めったになかったので、私はものすごく驚いた記憶があります。

次の日も…その次の日も、ちょっと得意そうな顔で「孤独な鳥」を読んで欲しいとせがみました。

息子が中学生のとき、私は「大きな鳥」と改題してその物語を短い朗読作品に変更しました。

実はたまたまチェロ奏者のマイスキー氏が来日していて、私の大好きなバッハの演奏があるというので、スタッフを誘って出かけたのです。
そのときに何枚か買ったアルバムの中にその曲は入っていました。

私のアトリエは共鳴するので、チェロやヴァイオリンの無伴奏のものを良くかけています。マイスキー氏のチェロも、本当に心地よくアトリエに響いていました。

…そしてふと、とある1曲に心が留まりました。じっと聴いていたら、私はごく自然にその曲に合わせて新しい「大きな鳥」の原稿を頭の中で書き上げていました、

アルバムをよく見ると、「鳥の歌」というカタロニア地方の民謡だとか…。タイトルも知らずにはじめて聴いた曲だったのに、昔描いた物語を、その曲は瞬時に思い出させてくれました。

少し前のブログで触れましたが、私は今回のDVDのために、平野浩由さんと山本恭司さんにお願いして「鳥の歌」とグノーの「アヴェマリア」を演奏して頂きました。
素晴らしい演奏です。ギターとも思えない深い音色と、繊細で骨太のピアノの演奏は、とても新しく、奥行きのある世界を作り出していると思います。

そこに私は、ものすごく緊張しながら、私の朗読をかぶせました…なんだかやっとひとつの物語として完成したような気がしています。
今はその作品に合わせて、映像用の絵を模索しながら描いているところです。

…ところで、私はついさっき、「鳥の歌」にまつわる話をネットで検索してまた驚いています。カザルスが弾いて有名になったこの曲のエピソードを、実は私はついさっき知ったのです。

人は時々思いがけない出会いに恵まれます。私がこの物語を書いた時、日本はとても平和でした。
そのお話の中にたった一行「悲しい戦争が起こりました」という下りで、何人もの編集者さんたちが首をかしげました。
一番心に痛かったのは「俣野さんの描くものはやさしくない」…といわれたことかな。
何故?と尋ねたら、その方は「子供たちが考えなくてはいけないから」と答えました。

もちろん、私は二度とその方にお会いすることはありません。もしも、子供たちが何も考えずに育つことを「やさしい」と言うのなら、私は決して「やさしい人」にはなりたくないと思いました。

数年前に、私はタオル美術館のなかで大きなタオル絵にして、この作品を発表しました。おかげさまで、とても好評だそうです。けれど、今回はまた少し言葉を変えました。15年の歳月は、私の想いも少しずつ変えていきました。
タオル美術館では、この物語を「月」と「太陽」と「地球」という三つの星のために…。と書きました。

…けれど、私はたった今、この物語を「平和のために…」と心の中で祈りました。
カタロニアの鳥たちはみんな「ピース、ピース」と鳴くそうです。

色々な想いが溢れて、私は出来上がった「大きな鳥」を聴くたびに、胸の奥が熱くなります。
息子は今でもこの「大きな鳥」を聴くたびに何故か「これはお母さんの傑作だと僕は思う…」といってくれます。
私は息子にとって「やさしい母親」ではなかったような気もします。…けれど息子は何故かものすごく「やさしい息子」に育ってくれました。

…その「大きな鳥」の完成まで、後もう少しです。
私の15年を…その絵の中に込めてみたいと思っています。

2008.06.27 Friday

Lost Love

大きな白いバラが咲きました。画面の隅の方に。
…これはLost Loveという詩の朗読用画像のために書き下ろした油彩の部分です。

Lost Love…とは失恋だけでなく、人生の岐路で何かを失ったような感覚におそわれたときのこと。

大切な人の死に直面したり、突然会社をリストラされたとか、離婚や会社の倒産、信じていた人の裏切りなど…そんなとき、心はものすごく強い喪失感に打ちのめされることがあります。

私も何度かそんなことがありました。…きっとこれからもあるでしょう。

人として生まれたからには、それは決して避けられない道のような気がしています。

そんなとき、いつも私は「強くなる人」と「弱くなる人」に分かれるような気がしています。

今日は別の会社の方ですが、長年一緒に仕事をし、沢山のことを教えて頂いた人が、実は5月にすでに退職なさっていることを聞いた日です。

…それも私にとってはLost Loveといえるでしょう。

期せずして描いた白いバラ…定年までにはまだだいぶ間もあるのに、別の人生を選ぶのは自由です。新しい出発に心からエールを贈りたいと思うのだけれど、何も言わずに別の道を歩き出してしまわれたのは、哀しいです。

…そんなに軽い仕事じゃなかった。その現場を一緒に乗り越えたことが私の歩いて来た道の途中にあります。その花は大輪のバラこそがふさわしいと思っています。
私はこのバラに、色をつけようか…それとも…と迷いながらいったん筆を置きました。

モーブという濃い紫を、私は何度も手に取りパレットに置こうとして、…けれど乾くまで待つことにしたのです。今日が最後の仕上げの筆を置く日なら、私はたぶん、このまま色をつけずに置くでしょう。

…けれど、夕べは、元スタッフから結婚の報告のメールが届きました。それとついさっき我が家に戻ったら、その彼女から、さくらんぼが届いていました。それは彼女の笑顔のように、チャーミングな色や形で、思わず食べるのをためらってしまったほどです。

たった一日のうちでも心が沈んだり、華やいだりするけれど…そういうことを全部私は筆やペンに込めてしまいます。

…そう、私の絵や言葉はまるで日記のように正直です。…けれどそこに何を込めて描いているのかは、他の人には滅多に話しません。つい最近、7、8年ほど前に描いた油彩を、私は一気に塗りつぶしてしまいました。

その絵は実は結構気に入っていたものです。はじめての個展で最初に売れた絵を下敷きにして、ずいぶん後に油彩に描き直した構図です。もちろん、その絵に込めた想いは、今も温かく残っています。
けれど、元の絵を大切にして下さっているのが信じられるので、同じような構図はもういらないと思い切ってしまいました。

どんなに時を過ごしても色褪せない何かを私はずっと探し続けています。ものつくりが私の人生そのものなら、いつかそんなものを作ってみたいと心から願っています。

2008.06.26 Thursday

舞台の幕

例えば、役者さんは人生の大半を舞台の上で過ごすかもしれません。ミュージシャンも同じかな…。

けれどそれは特別なことではありません。会社の会議や展示会とかも舞台と同じ場所。百貨店や飲食店なども同じかな…。観客の心をつかまなくてはならない仕事をみんな、多かれ少なかれ持っているものです。

人生を舞台に例える人も多いと思います。…さて、今日は舞台のお話。

私は昔「舞台」という詩を書きました。
そこで迷ったフレーズがこれ。

「本物の宝石が偽物に見えるでしょう」
「偽物の宝石が本物に見えるでしょう」

舞台で演じる人たちが身に付けている宝石は、スポットライトを浴びて、大きければ大きいほど偽物のようにも見えるし、偽物をつけていても本物よりも輝いて見えたりもするものです。

もっと前にも私は同じ題で詩を書きました。
青が赤に見えて、赤が青に見える…という詩です。

私は舞台が大好きで、決して揶揄(やゆ)しているつもりはありません。むしろその逆。憧れの場所だからこそ、1点1点を見つめすぎてしまうのかもしれません。

私はここ半年くらい、1本の舞台のプロデューサーとして仕事をしました。舞台に御出演頂いた人たちもそれぞれに別の場所に戻ったり、別の仕事をしていたりして…時は流れていきます。
私はまだ、舞台の幕を下ろすことができずに、英訳やDVDの仕上げや、合唱曲にするための準備などをしながら、映像に加える新しい絵を描いています。

なんだか…時の流れがここだけ遅くなっているような感じなの(笑)
一人だけ乗り遅れているみたいな感じなんです。
…思えばあれからやっと1ヶ月がまるまる過ぎたくらいなの。
…そう考えると、それにしては良く働いてる…と思うけれど(笑)

お世話になった方たちにお礼状を…とも思いながら、まだ幕が開いたままなので、ごめんなさいとここで言ってしまうことにします。

もしも人生が一幕芝居ならば、今、私はやっと、誰が主人公だったかに気づいたばかり。それぞれの人生のなかでもちろん主役は自分に決まっているけれど、主役としての認識はなかったかも…。

…あなたはどうですか?自分が自分の人生の主役だと気づいていますか?

日々追われると、何故かそんなことはどうでもいいこと。それよりももっと大切なことがあるよ…なんて勘違いしていませんか?

私はそういう勘違いを良くします(笑)

誰かのために一生懸命に生きることが大切なことなんだと強く思い込んでしまっているのです。…けれど後になって良く考えてみるとそれは結局、全部自分のためだったと気づくのです。

舞台の幕はまだ閉じません…それが私の選択です。中途半端なことは嫌いでした。毒にも薬にもならないものは作らないと肝に銘じているのです。
願いが叶うなら「心に効くお薬」を作りたいと思います。…それはあなたのためにではなく、私のためにです。
ここで適当に流してしまったら、後できっと後悔する…何をやっていても、いつも同じことを理由にして、結局どんどん忙しくなってしまうんだけどね。

こういうことを言うと、すぐに「正直すぎる」という声が聞こえます。私は長年この言葉に悩まされました。色々な人が私に何故か「正直すぎる」…という言葉を使うのです。

物書きは正直に書くのではなく、読者が喜ぶものを書くのがプロだとも…良くいわれました。
…本当にそうかしら?まだ私の中には矛盾があり、答えは出ません。きっとこのブログを書き始めたのも、私なりの結論を出そうとしているのかもしれません。

結局、舞台衣装につけた宝石が偽物でも本物でも、そんなことはどちらでもいいこと。
…今はそんなことを思います。

主人公にはどんな飾りも必要ありません。…私の物語…いいかえれば、あなたの物語はあなたにしか書けないということ。それが大切な気がしています。
けれど、別の人は「私らしいもの」を書けといいます。
私は「私のまま」を書きたいと思っています。答えはまだです。

2008.06.25 Wednesday

羽根ボウキ


…もう15年ほど前から私の机の上にある羽根ボウキ…。最近ではパソコンで仕事をすることがほとんどなので、使うことは滅多になくなっています。

けれど私は時々手に取ってながめます。そのたびに鳥の羽根は本当にしなやかで強く、優しくて美しいと…ただ感心するのです。
同じように人の手や足や首や肩の線…もちろん表情や、ちょっとした仕草などを…絵を描くときにはじっと観察しているだけになります。

それは動物も同じ。

私は沢山の人をそうやって見てきました。
…いいかえれば、私はそういう人生を選択し、今ではそれは習性のようになっているのです。
そして、その人の個性を見つけます。眼に特徴のある人…横顔がハッとするほど印象的な人、その人の笑顔だけを見ていたい…とか、憂い顔が魅力的だな…とか…一番特徴的なものを際立たせるように描いていきます。

それは、筆を持っていないときにも起こります。一緒にお茶を飲みながら…ごく自然に頭のどこかが働いていて、描き始めてしまうのです。
人物を描くとき写真はナビに過ぎません。
どの道を通るのかを決めるのは、自分の選択なのです。

私は筆を持ち絵を描きながら、映像を作っています。音楽や朗読を聴きながら描いていく作業は思わぬ場所に連れて行ってくれるようです。
自分では意図していない主人公がいきなり顔を出して来たりして、本当に絵を描いて来て良かったと思います。

私は言葉と絵の両方に強く惹かれてきたので、言葉の足りないところは絵で描き、逆に言葉が多すぎるところは、絵をイメージだけにしたりしてバランスを取っていきます。

羽根ボウキはエアコンの風に吹かれて、今でも飛び立ちそうな形で…そんな私を見ています。DVDが完成したらみんなで乾杯したいと思っています。さあもう一息!
2008.06.25 Wednesday

カラスと眠る犬


私は何故かカラスに惹かれる…という話は前にも書いたけど、私の世界を描きたかった作品展で一番にイメージしていたのが、「眠るカラス」という歌です。
実はMacのピアノに向かって、一本指で作曲しようとして挫折し…結局山本恭司さんに助け舟を出して頂いて、ようやく完成した歌です。
たった数ヶ月しか経っていないのに、何故かずいぶん前の出来事のように思います。

この歌に込めた私の願いは、一言では書けません。最初の詩は本当はもっともっと長かったけれど、最終的にかなり刈り込んで、その方がより深くなったと思っています。
作品展の最後のブースで、ずっと流していたので、舞台では時間の都合で省きましたが、今制作中のDVDには収録したいと考えています。

この曲が出来上がって来たとき、私はとても大きな力のようなものを感じました。シンプルで子守唄のように優しいのに、何故か強いものが根底に流れているのです。
いつかこれをフルオーケストラで演奏できたら…。
…そんなイメージが涌いてくる不思議な曲でした。

世界中の心はどこか急いでいるものを感じます。眠るカラスはそんな時間にストップをかけたくて、ささやかに言葉を選びました。
良く聴いて頂くとかなりダイレクトなメッセージソングだけれど、Kyojiさんの曲にとても助けられています。

私はようやく今になって、今回の作品展の余韻のようなものを感じられるようになりました。DVDの完成までもう後少し…。今日発売が少し遅れてしまうというお詫びの手紙を手配しました。

実は私は映像の表現に憧れて、長いこと編集作業を全部自分でやっていました。その作品を本格的に外に向かって発表するのははじめてのこと。否が応でも緊張しています。
少し遅れますが、心を込めてお届けします。ごめんなさい。

心では思っていてもそれを表現するのはむずかしい。そんな基本的な当たり前のことを思い出す現場では、いつも私のそばにぴったりと寄り添っていた二匹の犬が耳をそばだてて聴いてくれていました。

もう二度と犬は飼いません。もう充分に学びました。命の尊さや心で話すというようなこと。

「星の王子様」の中に出てくる特別な狐は唯一の命のことを教えてくれています。この年になると出会いと同じくらい悲しい別れも経験します。
何だか今夜は無性に二匹の犬に会いたいです。
丁度目の前に昼寝をしているHanakoを描いた油彩を掛けているせいかもしれません。

私はいつもふと思い出すのです。
我が家のテラスにカラスが来ると、犬たちは大騒ぎで私に知らせます。カラスはその気配を感じてさっと別の場所に移動します。
しばらくにらみ合って、無言の会話が続きます。何を話していたのでしょう。

私はいつも同じことを考えていました。
「生きているって美しいな…」と。「…こんな何でもない日常が好きだな…」とも。


2008.06.24 Tuesday

海の住処

平野浩由さんが作曲してくれた「海の住処」という歌。…この歌を聴くたびに、私の心の中は、色々な想いでいっぱいになります。

言葉に何を込めるかと聞かれたら、やはり心でしょう。

誰でも心の中には大きな広い海があります。
私の海は、どんな海かしら?

…それはいつでもじっと自分の心を見ていると、だんだん輪郭がはっきりしてきて、色も風景も、すぐ足下にある、砂粒までが姿を現します。
私はその海に飛び込んで、海の底にある、昔なくした片方のイヤリングや、どこかに忘れてしまったノートなどを探しにいきます。
もちろん心の中には、そのすべてがあります。失ったものなど実は何もないのです。
そこに行けば、必ず…あります。

私は誰かと出会うと、その人の心の中の風景を黙ってみています。延々と砂浜が見えるときもあるし、深い海を持っている人もいます。
私はその海を遠くからながめます。…とても遥かな場所です。

海の底には何があるのか知りません。けれどそれは、それぞれの場所。私は船に乗り、その海にぽかりと浮かび、月の話などをしています。そして時々小さな小魚の群れを見つけてはしゃいだり、クジラを見て感動したり。
そんな時間を一緒に過ごせたら、私は小さな貝殻をひとつもらって、その日の記念に私の海に投げ込むのです。

いつだったかしら?私の海の底に、竜宮城を建てました。大きな書斎にはがっしりとした堅い木で出来た本棚が置いてあります。…いつか私はその書斎で、あなたに宛てた長い手紙を書くのです。
他には珊瑚で出来た橋があります。それはとても美しい赤で、遠くからでもとても良く見えます。

方向音痴の私は、海の中にも目印を付けていきます。帰り道も迷わないように記念にもらった貝殻をちりばめてあります。
…それが私の海。

もしもあなたが心のなかの海に泳ぐことがあったら、探して下さい。私はあなたの海の中にも、とても小さな貝殻を投げ込んできたのです。
もしもあなたが、帰り道がわからなくなったときがあったら、もしかしたら役にたてるかもしれないと。

「海の住処」は本当に美しいメロディーを付けてもらえて、私は生涯何度も繰り返しこの歌を聴くことでしょう。…で、昨日また私の海には、竜宮城の隣に小さな庵のような離れを建てました。そこで私は音楽を聴きます。ヒロ君の弾くピアノも聴きます。
勿論そこからながめる景色のなかに、あの日の小さな貝殻がキラリと光っているのです。


2008.06.22 Sunday

いつからでしょう…。人の目を見て話すよりも、画面を見て横並びで話すことが多くなっている。

息子のところに遊びにくる友だちもみんな横並びで座って、見ているのは画面だけ。昔のように車座になって話し込んでいるのを見かけるのは驚くほど少なくなっています。

私とパソコンの付き合いは、…たぶん15年以上になると思います。すべてをアナログで処理して来た私がパソコンを導入しようと決心するまで、2、3年は様子を見ていました。…この先はどういう時代になるのかしら?デザインの業界の方向も、それは同時に示唆していました。

街で見かけるプリント柄も、パソコンで描かれたものばかりになってきています。…最初はものすごく新鮮だったものが、主流になってしまうと突然色褪せて見えて来るとき…私はそのままの自分の感覚をじっとただ見ています。
…そして、いきなりアナログでテキスタイルデザインをはじめたりするのです。

時代が大きく変わるとき、どうしようもなく失われてしまうものがあります。みんなが同じ方向を見ていると感じるのはそんなとき。…それはそれで必要なことなのでしょうし、悪いこととは思わないけれど、ちょっと振り返ってみようか…と、時々思う訳です。

古き時代を良き時代だと定義するつもりはありません。今だからこそ出来ることも沢山あるし、何はともあれ…私はすごい時代に生まれ、貧しさも豊かさも人間の能力の高さも、愛も夢も沢山溢れた時代に育って来たことに、心から感謝をしているのです。
…私が子供の頃にはじめて家庭にテレビが導入されました。それからの時代の変化は、良い意味でも悪い意味でも人間そのものさえも変えてしまったかもしれません。

その狭間を見て来た人生は、貴重でしょう。…だから私は有り体に書いてしまおうと思っています。

私が子供の頃には「子供の世界」が存在していました。同時にそこには得体の知れない「大人の世界」もあったのです。
そのふたつの線引きされた世界への扉を行ったり来たりして、人は自分の世界を作り上げていきます。

…けれど今はそうじゃない。

それは、子供たちは簡単に「大人の世界」を見ることが出来るし、大人たちが「子供の世界」に居続けることもできるようになったと言えるかもしれません。
…そうじゃないよ。…と私は心から思います。
子供の時代に子供の世界を充分に享受して欲しいと願うのです。…そうしていればいつでも自分が子供だった時のことを、懐かしく愛おしく思い出せるような気がします。

私が子育てで一番気にしたところは、そこだったかな。いきなり大人になるのではなくゆっくり大人になってくれればいいと心から願っていました。
…今もそれは変わりません。
心や身体の成長と共にしか学べないことが沢山あります。
…けれど、今は小さな子供が大人と同じ情報を毎日取り込んでいる時代になってしまいました。

すると、私はいつの日か人間はパソコンのようになってしまうのではないかしら?…と思うのです。生まれてすぐから、色々な情報を頭の中にインプットされてしまうのですから。
けれどパソコンはただの道具にすぎないのです。

私はパソコンと出会ったおかげで、孫悟空が髪の毛を一本抜いて、もう一人の孫悟空を作り出すように、自分が3人にも5人にもなったような不思議な感覚があります。

けれど、元の私は完全アナログ人間として生を受け、そういうふうにゆっくり育っていることが許される時代に生まれ、私が望むときにだけ「子供の世界」への扉を開けたり閉じたりしながら、これからもゆっくりと成長していけたらいいと思っています。

昨日から私はまた新しいソフトを勉強中です。ちょっとやりすぎたせいか今日は少し目が重いです。パソコンをはじめたばかりのときも、私はよく次の日に目をはらして、光彩炎を繰り返しました。…もう充分に大人なのだから、気をつけたいと思うけれど、子供の頃の私そのままに、夢中になったら脇目も振らずにまっしぐらの私が、今も健在なのです(笑)

2008.06.22 Sunday

時代の選択

冷房を付けると冷えすぎて、切ると蒸し暑くて、付けたり消したりを繰り返しながら、節電のことを考えています。
映像作品を作るためにビデオに電源を入れて、パソコンに電源を入れて…あっちこっちが配線だらけで…こういうこと何もやらないで節電した方がいいの?…なんて思いながらコードやジャックと格闘している私。

…さっきニュースを見てしまいました。…何だか落ち込んでしまいました。…私はほとんど飲めないけど、薄いジンライムなんか作って飲んでしまいました。

…どうにもならない事実だけを私たちは毎日聞かされています。

息子が子供の頃、親をなくした子鹿のドキュメントを見ていたら
「お母さん!…どうしてこの人たちは子鹿を助けないの?」といいました。私はしばらく考え込んでしまったことを思い出しました。
「…このカメラを撮っている人とか、みんな近くにいるんだよね…どうして助けないの?僕だったら絶対助ける!」「…そうだね。それが普通の考え方だよ」…と私はいいながら、どんなふうに答えるべきか迷ったことを思い出しています。

同じように、今夜私が見ていたニュースも、救いようがない訳ではないのに、事実を淡々と聞いているだけの私は、いたたまれない気持ちになってしまいました。

2時間ほど前にいれたコーヒーを温めて、カップに注ぎながら送って頂いた香ばしいクッキーに手を伸ばしながら、音楽を聴きながら、大きなカンバスの上には大きな蛍光灯をつけています。
そんな自由で居心地の良い空間が欲しくて、一生懸命に働いて来て、私はそれを手に入れたけれど、今度はもう少し広かったらどんなにいいかしら?…なんて思ったりしています。
…そんなことを時々考え始めると、思考回路は混線して、Macの周りの状況とだぶって見えます。けれど、絵は着々と進行中。
誰かがそんな私を見たら、きっと言うでしょう。
「素敵なお仕事ね!」…そして私は笑いながら答えます「はい。本当に私は幸せ…」

そこにはどんな矛盾もないけれど、矛盾だらけの時代が目の前に横たわっています。それを見ないように聞かないように生きている訳でもありません。せめて自分の周りにだけは、その矛盾を無視しないで、ひとつずつ解決しようと思って生きてきました。
もちろん解決できたことなんて、ほんのわずかなことだったと思います。

今夜のアトリエも節電とはほど遠くて、スケッチに費やした紙もいっぱい無駄にしてしまいました。それを心に深く刻んで、納得いくまで、作りたいと思っています。せめて無駄になるようなものだけは作りたくないと、肝に銘じているのです。

時代の選択は、今エコに向かっています。私も同じ方向を向いています。…けれどやはり矛盾だらけです。
…だからといって、泣きながら歩く訳にはいかない。時代の選択が涙や苦しみを選んでいても、晴れやかに笑って生きていたいと思います。

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