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2008.05.31 Saturday

真夜中のラブソング

なんだかここ数日は冷たい雨降り。私は今日久しぶりに薄着で外に出て、余りの寒さに震えました。
アトリエも冷房に切り替えてしまったので、朝方底冷えがしてきて足下に小さな電気ストーブを置いたほどです。

今日の写真は高崎の作品展のときにメインで使った看板の写真。この絵のモデルは実はカボ企画のスタッフの一人。彼女のくるくる動く目と愛くるしい笑顔は、なかなか写真では撮れないもの。そこにこそ絵の価値があると、結構その瞬間を捕らえたつもりになっています。

つい先日大見得を切った油彩は、今は筆が止まったままです。しばらく別の作業に没頭しているのです。私は新しいことを始めると、寝食も時間も全部忘れてしまいます。…それはもう、自分でもあきれるくらい(笑)
それは凝り性というのでしょうか。今はその凝り性の血に拍車がかかっているみたい。

…その他にも今日は、来期のエプロンのサンプルが大量に届いたので、そのチェックもしました。私は毎日家の中のことを切り盛りしている女性たちを、みんな少女のようにかわいく見せたいの。さりげないチェックや水玉やボーダーは,最近の私の定番のようになっているけれど、今回のサンプルもかなりかわいい仕上がりに満足しています。
カボスタッフはサンプルが出来上がってくると、みんなで一通り袖を通して,着心地やパターンなどをチェックします。
私もほとんどのサンプルに袖を通します。身長や身幅などが違う人たちにも着てもらいます。
…そして、細かいところまで打ち合わせをして、最初の展示会用のサンプルを決定するのです。ほとんどの仕事がほぼ1年前にデザインをアップするので、本番が出来上がるまでにはかなりの時間が経過してしまいます。
だから、最初の展示会サンプルの時が一番重要なの。

…それとはまた別に今、思いつくまま少しずつ新しいラブソングも書いています。ヒロ君にいつか、まとめて渡そうと思っているの。真夜中に一人で過ごすアトリエは、照明や音楽を変えると、がらりと空気が一変してくれるので、色々なイメージを運んでくれます。

…こんなふうに書いてみると、ものすごく忙しい毎日のように見えるでしょうね。確かに,かなりの仕事があるけれど、忙中閑ありのたとえ通りに、忙しい時こそ私は時間の配分が動物的に働くようになります。
ひとつのことに集中できる時間は,そう多くありません。逆に色々なことに移行して行くことによって、新たな集中力が生まれて、それが加速して行くのです。
…だから、逆にひとつの仕事だけをやるよりも、全然違う仕事を4つやっても集中する時間が増えるので、とてもいいバランスになります。

実はそんな仕事をやりながら、今日も一冊本を読みました。スタッフに頼んでずっと作りたかったスカートも仕上げてもらいました。
…そして今一番熱中して夢中になっていることは、直接余り仕事とかとは関係のないことです。久しぶりに辞書を開いたりして、受験生のように勉強しているのです。
どうしても知りたいことがあるのです。…それはまたいつか仕事になる時が来るかもしれません。来ないかもしれません。
…そんなことよりも私は自分が興味を持ったら、トコトン夢中になってしまうのです。
それが私の原動力といってもいいかもしれません。

…そうそう、実は前から欲しいと思っていた圧力鍋が届きました。8リットル用のもの。思っていたよりも大きいけれど,これならば色々な料理が一気に大量に出来そうです。近所にある24時間営業のお店で、大量のトマトやお肉を買いに行ったのは真夜中の12時近くだったかなあ。
土,日はこの新しいお鍋で新しいレシピを試してみるつもりです。今度はお料理のお話も書きたいと思います。


2008.05.29 Thursday

祈り

つい昨日、ヒロ君(平野浩由さん)が参加したコンサートのCDを持って来てくれました。
聴き始めてみて、本当にびっくりしました。
「祈り」と付けられたタイトルのままに、心が洗われる時間が凝縮されて、そのなかにいっぱいに詰まっています。

私は夜更けに何度もこみ上げてくるものをそのままにして、心のままに任せていました。ヒロ君の母親から「本当に素晴らしいコンサートよ」と聞いてはいたものの、スケジュールが合わずに失礼してしまったけれど、カボ企画は音響がかなりいいの。吹き抜けのせいだけでなく…それよりも我が家を設計をして下さったアモ設計の篠崎好明先生が大のクラシックファンで、音楽にかなりこだわっていらっしゃることに寄るところが大きいと思います。

コンサートには行けなかったけれど、このCDがあれば、私はいつでもそのコンサートの観客のひとりになれる…それが何よりも嬉しい。

小田全宏氏のフルート演奏…大変申し訳ないのですが小田全宏氏のことは、この時まで全く存じ上げてはおりませんでした。…けれどサイト等をのぞいてみると、ものすごいキャリアの持ち主で「人間教育」という耳新しいジャンルで、多方面にご活躍されているご様子。

CDの巻頭には「私はプロの演奏家ではありません」と書かれいていますが、その一行を私は…演奏家だけに留まれずにいるだけ…と書き換えたい気持ちでいっぱいになりました。

私はこのブログのなかで、色々な方にこのCDをお勧めすることができるのを、本当に嬉しく思っています。…本当にお勧めですよ。曲目もわかりやすくなじみ深いものも多いのですが、フルートやリコーダーと,ピアノとのシンプルな構成だからこそ…聴く人の集中力を切らすことなく、確かな場所へと誘ってくれるように作られていて、聴く人のための音楽として確立している世界があります。

私は篠崎先生の影響で、ちょっとばかり音楽にはうるさいと自負しております。私の周りにはいつも私の足りないところを強化して下さる先生ばかりに恵まれていますが、篠崎先生も、そんなひとりです。
篠崎先生のお作りになる建物は、「暮らす」ということの意味を教えてくれます。すでに築18年が経過しているのにも関わらず、風が通る道や、光が差し込む時間などが見事に計算されていることに,今でも驚かされることがある家なのです。

私はその家の中にあるアトリエで、ひとりで「祈り」を聴いています。…ふと、祈るということが何なのかがわかったような気がしました。
「祈り」とは心の安息、休養を示しているものではないかしら?と…。
異論があるのは承知していますが、誰かの幸せを祈ったり、祈願したりすることは、結局自分の心の内側に平穏をもたらしてくれるような気がしているのです。

どんなに素晴らしい楽器でも、演奏する方の心の在処で、その音色は全く違う色になります。小田全宏氏も、本物の人生を目指しておられる方なのだということが、その音色で伝わって参りました。

ヒロ君のピアノも,かなりドラマティックな要素が多くて、私が一番好きなヒロのピアノの奏でる、少し緊張感のある演奏振りがたまらなく愛しく感じます。
ヒロは幸せだね!ヒロの周りにも、沢山の人生の達人が取り巻いているんだね。その出会いが全部ピアノの音になっていくんだね。

次の舞台では、なるべくヒロのピアノとのコラボを増やしたいと思っています。
…そして、次に小田さんと演奏するときは、忘れずに私に声をかけて下さい。何を置いても駆けつけたいと思います。じっくり聴いたけど、何度も鳥肌がたちました。

CDの入手先は下記のサイトまで。
http://www.odazenko.jp/


2008.05.29 Thursday

井口進さんという人

六本木にフォリオサウンドというスタジオがあります。六本木という場所にあるのに、二階建ての一軒家。私が一番好きな思い出深いスタジオ…そのスタジオの代表者であり、地獄耳を持っているエンジニアでもあるのが、井口進さんという人です。

いきなり彼のことを書こうと思ったのは、とても不思議な縁を感じているからです。
私たちが出会ったのは今から11年ほど前。私が作詞を手がけた歌の、初めてのスタジオ録音で、ものすごく緊張していました。
そのスタジオで、作曲家が名指しで指名したエンジニアがいるというので、わくわくドキドキしながら六本木まで車を走らせた日のことを、まるで昨日のことのように思いだしています。
…それが、私と井口さんとの出会いでした。彼は長い髪を一本に束ねてずっとスピーカーの方を向いているので、ほとんど顔が見えない状態がしばらく続きました。
丁度一段落着いたとき、作曲家の方にご紹介頂きましたが、かなりぶっきらぼうな挨拶。眼光鋭く、目を合わせてくれない…。後に彼はとてもシャイな人で、口は重いタイプだと気づきましたが、そのときはまだわかりませんでした。

仕事が進むにつれ、彼はその人柄と、仕事に対する情熱をどんどんあらわにしていきました。
基本的に無口な方なので…だからこそ、彼の一言は聞き逃せないほどに核心を突いてくることに気づいたのは、数日が過ぎた頃だったでしょうか。
私は何しろ初めての経験ばかり。訳の分からないまま数日が過ぎ、仕事は佳境に入り、
会話はみんな聞いたことのない専門用語ばかり。
右も左もわからない私だったけど、言葉に対してはこだわっていました。歌い手の声を通すと、伝わってくるものが違うということに気づいたのもその現場でした。

物事には必ずはじまりがあります。

そのスタジオにはどのくらい通ったかはもう忘れてしまいましたが、音取りとミキシングを合わせると、1ヶ月くらいはこもったような気がしています。その間の出来事は私の人生に大きな影響を与えたと,今頃になって思っています。
崖っぷちも谷底もそこにはありました。忘れられないのは、深夜遅くに帰宅する途中で見た星空や大きな月。…そして、慣れない現場で自分のパートと格闘している私に、いきなり投げてくれる井口さんのウイットに富んだ一言。

心優しい人なので、マイナス要因はこちらが口火を切らないと出てこないけれど、内側にはかなり冷静な判断力と、嘘をつかない誠実さを秘めていると気づいたときに、作曲家が何故彼を指名したかが良くわかりました。

つい先日コアホールの舞台の相談で久しぶりに再会したとき、井口さんが山本恭司さんのはじめてのソロアルバムや、平野浩由さんの初の録音…もちろん私の初めてのスタジオ経験にすべて関わっていたことがわかりました。

みんなそれぞれ時期が違っているのに、何故か井口さんの手に掛かっていたのです。

スタジオもエンジニアさんも、沢山いるのに…何故でしょう。
…これはもう、「縁」としか言いようのない説明できない出来事です。

彼は奥様とご一緒に、私たちの舞台を見に、わざわざ高崎まで来て下さいました。…そして彼のブログには,その舞台が目指している場所やこだわったところなどを的確に見抜いた…温かい記事を書いて下さいました。
近々、私は井口さんのスタジオで、私の朗読を録音をする予定です。


2008.05.27 Tuesday

学生時代

作品展の最終日の前日のこと。25年ぶりに大学時代の同級生と再会しました。お互いの子供たちの年齢は、まだそこに達してはいないけれど、その間何が起こったか、どんな人生を歩いて来たか…ということは、根掘り葉掘り知らなくてもいいことかもしれません。

ただ、覚えていることは「あの頃」の…一緒に過ごした時間だけ。…その時間が会話の中で輝き始めるだけで、私たちはすべてを超えて、ずっと同じ場所に立っていたことを確認できるのです。

大学時代…私たちは飽きもせずにかなりべったりと一緒に過ごしました。何かが引き合っていたのでしょう。周りから見ると、何故私たちが一緒にいるのかがわからないと言われるほど異色に見えたかもしれません。

彼らは生真面目を絵に描いたような人たち。

私はそのころからひたすら物つくりに夢中で、次の日に着ていく洋服を徹夜で縫ったり、染めたりして、今と変わらず自分の世界にどっぷりと浸かっているような日々でした。
けれど彼らは驚くほど、その頃の私を良く覚えていて、スタッフたちの前で散々若い頃の私を肴にして、暴露本を盗み読みしているようなハラハラする時間を過ごし…けれどその言葉のなかには、とても深い友情を込めることを忘れてはいないのです。

私が一番驚いたことは、彼らが話す学生時代の私が、今の私とひとつも変わっていないことだったのだと思います。
「君は笑っていたかと思うと、次に泣いて、急に怒りだして、また笑って…。みんなはどう対応していいかわからないうちに、さっさと帰る…そういう人間に慣れてなかったから、面白かった」…と。

…そして「信じられないほど無防備で素直だった」…という温かい言葉も添えてくれました。私はその言葉でハッと気づきました。私たちが何故あんなに一緒にいられたかということを。
私はあなたたちと一緒にいる時間は、いつも私のままでいられたのです。飾ることもなく背伸びすることもなく、無防備でいる私を許してくれていたのだと思いました。

社会に出て、正直に言ってしまえば、私はものすごく苦労したと思います(笑)四方八方に壁を立てている人たちが、そこにはいっぱいいたからです。その壁の前で、私は途方に暮れました。どんなに揺さぶっても叩いても、全身全霊で壊そうとしても、びくともしない壁を、私はいっぱい見たと思います。
そして、ボロボロになってしまったときにはいつも、彼らに電話をしていたことを思い出しています。
別に愚痴を言う訳でもなく、ただ声を聞くだけで軽口を聞いて、茶化したりするだけの長電話を何度もかけた記憶があります。

私が私のままでいられる場所…それは貴重です。…そしてその場所は、どんなに時が流れても、一瞬にして時を超えて私を黙って抱きしめてくれる故郷のように、そこにあり続けています。


2008.05.27 Tuesday

ラブソング

ヒロ君に送ってもらった切ないラブソングを聴きながら、これを書き始めました。歌は不思議な力を持っていると思うのはこんなとき。
さっきまでと部屋の空気も変わったようです。

今日は久しぶりに天田美佐子さんと電話で話しました。すぐに話は先日の舞台に流れて行きます。私はやっとプロデューサーの重責から解放されて、口が軽くなっている自分に気づきます。

iTunesが変わって、私たちが作った歌が次々と流れ始めました。…もうどんなふうに作ったかは思い出せません。そのときはただ夢中でそのことだけに集中して、完成してしまうと、まるで憑き物が落ちたように、ただ聴くだけの人になります。
作っている間は、繰り返し繰り返し、何度も聴いていても、神経はどこかにピン!とはりめぐらされていて、ものすごい集中力だと思うけど、どこかで音の向こう側のようなものに支配され続けるのです。

私は今になってやっと、いとおしいものに出会ったように、ただ楽しんで私たちが作った歌を聴き始めています。…こんな夜明けが来ることなど予想もしませんでした。
…気がつけば、私は自分でデザインしたエプロンを付けて、私がデザインしたボトムで、私のデザインした部屋履きをはいています。

私の机の上には、すでに来期のデザインのマップがあり、新しい部屋着のサンプルが壁にかけられていて、そのどれもが歌と同じプロセスをたどり出来上がってくるものばかりです。
けれど、私は何をして来たんだろうと思うとき、ただ作っていただけと思います。
…ただその仕事に、ひたすら心を込めてきました。
…物を作る作業は、ある意味でセラピーかもしれないとふと、今そんなことを思いました。

余分なものを身につけていては出来ない作業なの。
ものすごく削ぎ落としていくことがとても重要だったりして。

心の奥の奥の奥まで覗き込んで、そこにしまってあるたったひとつのものを取り出して
何度もながめて、時にはまた最初からやり直したり。
誰かがかわいい!と叫んでも、何かが違うと思ったりして…。…けれどそうやって作ったものは出来上がると無条件に愛しいものに変わります。

私は今、その愛しいものに包まれています。
こんな夜明けが来ることなど、予想もしませんでした。



2008.05.25 Sunday

ricoさんへ

私はまだ、コメントを下さった方にどうやってお返事を書くのかを覚えていません(笑)月曜日にはその辺の詳しいことを知っている人が出社するけど、それまで待てないので、ここに書いてしまうことにしました。

私も以前一度だけ、元スタッフのブログにコメントを書いたことがあるけど、ものすごく緊張したし、勇気も必要でした。…だからricoさんの気持ちは良〜くわかります!…素敵なコメントをありがとう。
先日BOWWOWのライブの後で、声をかけて下さったことも本当に嬉しかったです。恭司さんのファンの方たちは本当にみなさん素晴らしい方ばかり。相互に大切なものをしっかりと守りつつ、与えつつ…。

私はこのブログを始めるのも、5年は考えたかしら?…けれど、いざはじめて見るとかなり面白くなって、日記を書くようになっています。
絵やデザインの世界は日常ですが、最近は言葉を書くことが少なくなっていたので、なんかリハビリのような気持ちもあるのです(笑)

…実は、私の周りでも気づいている人がいるかどうかわからないほどささやかに、結構長い期間、ペンも筆も折っていました。けれどこのたびの作品展と舞台がきっかけになって、私はまた緩やかにペンと筆を復活させつつあります。

「大人のおとぎ話」…その言葉で私は以前「おとぎ話を聞かせて…」というタイトルの歌を作ったことを思い出しました。作曲は太田JIROさん。彼もまた素晴らしい表現者の一人です。9年ほど前に作った舞台「ちょっと切ない俣野温子の世界」…では彼がゲストでした。

…それからの長い時間を、私はデザイナーとして過ごしました。その現場も一筋縄ではなくて、かなりムキになったり、あれこれと迷いながら歩き、走り、立ち止まり…でしたが、今回の舞台も短いスパンでしたが、全く同じプロセスを踏みました。結局表現は同じ場所を目指しているもの。…それを確認した現場でもありました。

私は見かけよりは結構シャイで、ついつい照れてしまう方が先に立つので、人前が本当に苦手です(確実に、そうは見えない…という声が飛んで来そうだけれど)
…けれど、山本恭司さんもそういう方です。たぶん充分すぎるほどご存知だと思いますが(笑)…だから、表現者なのだと思います。
これは私の持論でしかないけれど、表現することは自分と向き合うことなんだって、いつも思います。
小さな自分や、頑張っている自分や、静かに沈静している自分を客観的に見ている「もうひとりの自分」との対話が不可欠。その時間に生まれるものが表現という形になっていくものだと…そんなふうに思っているのです。
…そして、それをまっすぐに受け取って下さる方たちもまた、自分の心との対話が不可欠なものです。…ricoさんのコメントからは、そういう静かな目が感じられて…それがとても伝わってきました。本当にありがとう。またお会いできる日が来ることを、心から楽しみにしています。




2008.05.24 Saturday

時間のお話

そこにはものすごく大きな時計がありました。正確に時を刻んで、百年が過ぎてもただそこにありました。街中の人がその時計を見て、朝早くから夜遅くまで、一生懸命に働く街の中心にあるのです。
けれど、その時計に魔法がかけられていることを知っているのは、ごくわずかな人たちです。
…一枚の写真を見ていたら、こんな書き出しの物語を頭の中で書いています。

時間というのは、何のためにあるのでしょう。約束を守るため?自分を統制するため?それとも人を管理するため?…私はいつもとりあえず、原点に思考を戻します。夜がない街や太陽のでない街…深い海の底や高い山の頂上で生きて行くとしたら、時間はどんな意味を持つものなのでしょう…。…そんなことをぼんやりと考えています。
私は周囲とは全く違う時間帯のなかでだけが、自分を活かせることだと、何故か小さな頃から思っていました。

時間に縛られない方法もあれこれと考えました。まず一番はじめに思ったことは、約束をしない…ということ。…それは流れに任せる…という意味でもあります。
何ヶ月も前から約束をしてしまうと、私はそればかりが気になって、直前にはもう集中力が切れていて、すっかりくたくたになってしまいます。

…そんな私が毎日のように締め切りのある仕事を持つことなど、誰にも予想がつかなかったのではないかしら?私の兄は、ともかく時間に正確。早起きで、必ず人よりも先に約束の場所に到着しているような人です。
…だから私と何かを一緒にやろうとするときは、私が考える以上に兄は神経をすり減らすみたいです。

…けれど、私はある日気づきました…。結局集中できる時間が重要なのです。だらだらと仕事をしても、結局はたいしたことも出来ずにその日を過ごして、次の日に持ち越して、また最初から…というような経験は誰にでもきっとあるでしょう。
…だから私は直前まで、その集中力がやってくるまでは、のほほんと、全く締め切りのことなどどこ吹く風のように過ごします。お茶を飲んだり、料理をしたり、花の手入れをしたりして…。
周囲はハラハラドキドキしていることもわかっているけれど、説明もしません。自分がフルパワーになれるときを、ただ待っているだけ。途中で説明などをはじめたら、その時点で放電してしまうの。

自己管理という言葉があるけれど、まさにそれ。自分のエネルギーやパワーが今、どのくらいなのかは自分にしかわかりません。テレビゲームの格闘技などで、エネルギーの量を表示しているものとかがあるけど、途中で説明とかをすると、急激にパワーダウンしてしまうの。
「時間はかかるだけかける」…インディアンの格言の中から見つけた言葉が好きで、時々締め切りに追われながら、独り言で言ったりもします。

…けれど、私はそのやり方で、ほとんど締め切りに遅れることはありません。どーしても出来ないときは、理由を探します。その仕事に問題がないかどうか…。私は一体何をしようとしているのかということなどを考えます。
…するともつれた糸が簡単にほどけるように、その仕事の意味がわかります。その仕事をやることに意味がないと結論が出ることもあります。
けれどたいていは、私が間違っています。自分で表現したいことがあるのに、簡単に済ませようとしているときなどです。

…それがわかったら、後は簡単。また自分の集中力を高めるために、お風呂に入ったりブログを書いたり。気のままに過ごします。ぴたりと焦点が合ったときにはもう完成しています。

時間は全く関係ありません。丸一日机の前でうなっていても、出来ないときは全く出来ません。…けれど、散歩の途中でコンビニの牛乳を飲みながら、次の仕事のアイデアがひらめいたら、飛んで帰ってひたすら集中するのです。

私は大きな時計を持っています。…それは私の身体の中にあります。その時計には魔法がかけられています。生きて行く時間を刻んでいるのです。毎旬毎旬が輝くように作られています。
2008.05.22 Thursday

今日は久しぶりのお休み

家とアトリエが扉一枚で切り替わってしまうのが理想でした。…そんな家が欲しくて、一目散にそこを目指したのはもう遠い記憶。
手に入れてしまうと、それが当たり前になって、違うことを考えてみたりして。
…でも今は、それが本当に私の居心地の良い場所になっています。忙しかったのでテラスのハーブは伸び放題になっていたけど、今日はカボ企画のスタッフたちと我が家で昼食。食後には、摘みたてのミントティーをたっぷり飲みました。

打ち上げや慰労会が続いていたので、かなり飽食気味だったので、今日は近所の産直のお店で沢山春の野菜を買って、さっぱりと野菜ばかりの夕食を作りました。
お店の人に「もろきゅう」用の細くて小さなキュウリが、今一番おいしいと聞いて、芥子の味噌漬けと一緒に合わせたら、かなりいける味。

母が作った中華あんかけも野菜がほとんどのさっぱり系。
…でも私はシャクシナに、はまった。シャクシナという漬け物は、暮れに漬けて春に食べるの。私は子供の頃群馬で母が漬けたシャクシナを、まだかまだかと心待ちにしていた時代を覚えていて、目がないもののひとつになっています。
今日は…その古漬けになった黄色い葉を細かく刻んで、炊きたてのご飯に乗せて食べました。…もう止まらないの。

作品展と舞台の余波は、カボ企画のスタッフ全員の心に強い影響を与えていたらしく、今日昼食を食べながらみんな口を揃えて「まだ、夢を見るんです!」って…大騒ぎ。
私もそうだった。朝目が覚めると同時に、何故か今日は何日?次の舞台はいつ?って条件反射のように思っていました(笑)
ずっと張りつめていた糸が、今日やっと少し緩みました。

「急ぎのジャッジです!」とスタッフにいわれて、「大丈夫よ、何とでもなるから…」っていいながら、のんびりコーヒーを飲んでいた私。
でも、他にも気がかりなことがあって…ただ祈りを込めていました。
夜、手術成功…の電話が入ったとき、やっと心の緊張がほぐれました。

人生は一筋縄ではいかないけれど、それだからこそ生きる価値があるもの。
今日はヒロ君が期せずして、以前から話にのぼっていたヒロ君の好きな歌のベストセレクションを贈ってくれました。
…それが心にしみるいい歌ばかりなの。
今夜はずっとそれを聴きながら、本でも読んで過ごします。


2008.05.22 Thursday

月を描く日々

私のタブローには、良く月が登場します。数年前に「星を抱く月」という短編を書いた頃から、結構意識的に「月」を描くようになったかも。私の日常は、パリ時間で、丁度みんなとは8時間くらいずれていて、太陽よりも圧倒的に月を見ることの方が多いし、どこかで月は親友の一人だと思っているところもあるの。

…そして、私は良く月と話をします。心のなかを打ち明けるには最高の友だち。夜明け直前くらいの白い月が一番好きかな。
今回の作品展ではかなりまとめて油彩を描きました。ここ数年なかなか筆を持つ機会が少なかったので余計に拍車がかかったかも。
その絵の中にも随所に月が登場しています。

何故かはわからないけど、私はいつからか、月と太陽と地球の三つの星のことを特別に考えるようになりました。専門的なことはわからないけれど、この三つの星は何か特別な関係でつながっていて、深い意味を持っている…というようなことを感じるのです。
だから私の書く物語にも良く登場します。
特に月は、私のなかで色々な顔を持っています。

今から17年前に、私は姉とも言っていいほどの親友を失いました。仕事でもプライベートでもいつも私の味方になっていてくれた人です。彼女が亡くなったのを信じたくなくて、1年ほどは放心状態が続きました。
丁度育児も重なっていた時期だったので、心身ともにボロボロだったと思います。
その頃も良く月に話しかけました。持って行き場のない悲しみは、みんな月が受け止めてくれたような気がしています。

最近このブログを書くようになってから、私は昔、毎日書いていた日記を思い出します。それは、その日のことを書くのではなくて、その日の私の心の中を綴るような日記でした。
今はもう手元には残っていないその日記の束は、今も私のなかで、月のようにそこにあります。
今このブログを書いていたら、舞台でキーボードを弾いてくれたみっちゃんからメールが来ました。そのメールにはあの舞台が終わってから、ポッカリな…気分です。と書いてありました。
ものすごく良くわかります。
私も今、ポッカリと空に浮かんでいるような気分です。

2008.05.20 Tuesday

昨日の続き

カボとはフランス語で大根役者という意味。今になって何故かその意味のことを考えています。もう20年以上も前に作った企画会社を今も続けていられることが何よりも嬉しいの。
昨日のブログは、色々な解釈をする人がいて、結構深読みしていただいてしまいました。ごめんなさい。

私の心の中を正直に書こうとしただけ。「夢」というキーワードはすごく単純だけれど、奥が深いね。それぞれの心の中には夢をしまっている場所があって、その夢は多種多様。ちょっとおいしいものが食べたいとか、欲しいものがあるのとかも夢の範疇だし、戦争反対とか環境問題とか…人類の夢とか壮大なものから、ささやかなものまで色々ある。
私の夢は、別に人から見たら、ごくごくささやかなものかもしれない。

以前は本屋さんに行きたい!というのが私の夢だった(笑)近所の本屋さんではなくて、欲しい本が何でも揃っている本屋さん。…そこに行く時間がなかった。今ではほとんどの本がネットで買えるので、もうその夢は叶っている。
私は昔、必死で集めた本をみんな売ってしまったことがあったの。…でもね。一度手放したらなかなか同じ本は買えない。
背表紙を見て、ああ、この本は昔持っていたとか、初版本だったのになあ…とか、口には出さなくても本屋さんに行くだけで、心の中は揺れる揺れる。

今の私の夢の中で一番大きな夢は、マイ・ネバーランドという歌の作詞に書きました。

「夢は眠っている子供たちの心に
終わりのない世界がここにあるよと
遠くに見える月の言葉を
ただそれを伝えたい」

毎日テレビでは情報が流れている。もう、後少しで地球は駄目になる…という類のもの。…あれを聞いている子供たちはどう思うのだろう。…そんなことを考えながら、テレビを見ている。…その歌を高崎市が「地球市民の日の歌」に指定してくださった。
作曲は山本恭司さん。先日の舞台では天田美佐子さんが見事に歌いきってくださった。

今、私はその歌を英語に直すための日本語と格闘している。価値観や表現はかなり違うので、これは慎重にやらないと…。
でもそれが完成したら高崎の姉妹都市、6カ国で流されることになるという。なんか想像つかないけど、頑張ってみます!

昨日のブログとは、矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど私は「夢」を追いかけません。それよりもただ「夢」を手の平に乗せてジッと観察をするほうが多いの。…そして、現実を見る。
夢を憧れという形で奉ることもないし、がむしゃらに追いかけることもしません。むしろ素知らぬふうを装っていて、いきなり掴む(笑)
昨日のほんの少しナーバスな感じで書いたブログは、今手の平に乗せている「夢」を真正面から見ている…ということだったかな。

いつもなら、そんなことはしない。流れに任せてしまう。なるようになる…と無条件に信じながら。…けれど、昨日のこと、私は祖母の形見の指輪をここ何日か左手の指にはめている。祖母は小柄だけれど、ものすごくインパクトのある人生観を持っていた。
気丈な人だった…その祖母に育てられた母…その母に育てられた私。
母から見ると私はものすごく歯がゆいらしい(笑)3人とも寅年で、その3人の運気を一身に背負っていると言い聞かされて育って来た。
その指輪は蛇の形をしているの。その目がやたらに光る光る。祖母も母もいつも「自分の人生を生ききる」ということに終始していた。
「私はそのふたりのように生きているのだろうか」そんな反省もあったかな。
電話やメールで「疲れが出てるの?」っていわれてしまいました(笑)
ご心配頂いてありがとうございます。私はとても元気です。
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